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半月以上も軟禁されていると、体が鈍ってくる。
ザシャに許可を得て、共同スペースで腹筋や腕立て伏せをしながら、タビーは
いつここを出られるのか考えていた。
思えば、一ヶ月と少しばかり学院に戻っていない。部屋に腐るものはないが、
窓から抜け出した経緯もあり、騎士寮の面々を心配させているのではないかとい
う罪悪感が勝る。
「……凄いね」
今日も本を読んでいたザシャは、タビーを眺めながら呟く。
「え?」
「腕立てとか、私はそんなに長くはできない」
「うん、私もこれくらいが限界かな、と」
腕から力を抜き、床に腹ばいになった。
「……講義、どうなってるかなぁ」
「……」
「試験も受けていないし」
以前も怪我で試験が受けられなかった事がある。あれは学院が試験免除を認め
てくれたから助かったが、今回は判らない。フリッツは学院への外出許可その他
の手回しは済んでいる、と言ったが、それが本当かどうか。
「帰りたい、なぁ……」
学院の寮はこの部屋の様に広くない。床は木で出来ているし、ベッドも同じだ。
温泉は部屋までひかれているが、掃除や日々の手入れは自分でする必要がある。
肉一色の食事で、野菜も少なめ、果物が出る事も無い。カッシラー教官のご相
伴で朝一にヒジャ乳を貰えるくらいだ。
それでも、寮に帰りたい。学院に戻りたい。
「陛下の葬儀があったから、学院は臨時休みのままでは?」
「そうかなぁ。それならいいけど、いや良くないか。結局残りの期間で詰め込み
になるよね」
「それはあり得ます」
「ザシャは?戻りたくない?」
タビーの質問に、彼は答えなかった。もとよりそれを期待していた訳ではない。
彼女は仰向けになると、豪奢な照明を見つめる。
「あれも魔力板使ってるのかなぁ……交換の時、大変そう」
この世界に電気はない。その代わり魔道具が発達しており、魔力をこめた板を
交換すれば壊れない限り使える。
基礎課程の頃、夏期休暇に魔道具関係の特別講義を受けた事があった。前世の
物理に良く似た講義で、さっぱり判らなかったが、今なら少しは理解できるのだ
ろうか。
「何も判らないから、どうしようもないし……」
陛下の国葬が行われた事は教えて貰った。と言っても、食事を運んでくる侍女
が『国葬で忙しいので、持ってくるのは簡単な食事になる』と言ったからだ。
「……殿下は、大丈夫かな」
不敬な物言いかもしれない。だが、ここにはザシャ以外誰もおらず、その彼も
咎めることはしなかった。
王女は王権の代行者だ。国葬は王女の名の下に行われる。王子と側室の国葬も
同時に行われたと聞いた。参列できる様な身分ではないが、どこか遠くから見送
りたい気もしたが。
タビーは、立てかけてある杖を眺めた。
中央よりやや上側に、王子の剣で刻まれた傷がある。不思議な事に、この杖に
は細かい傷はつかず、大きい傷だけが残っていた。その理由を考えても仕方ない。
タビーの杖はタビーそのものだ。壊れるまで、寄り添うものなのだから。
この傷を付けた王子が、今はもう亡い。あの最後は、王族としての誇りを守り
たいが故なのか、激昂し錯乱した末の行為だったのか。
王としての能力は、王女を上回っていた。ただ、全てを手中に収めようとした
ことが王冠を遠ざけたのだ。
仰向けのまま、タビーは全身に力を込めて体を伸ばした。軟禁されてから、少
し太った様な気もする。せめて走らせてほしいが、この部屋をぐるぐる回る気は
起こらない。少しでもということで、背筋や腹筋、前世の記憶を思い出しつつス
トレッチに近い様な事をしている。全身運動に最適なラジオ体操が前世にあった
ことは覚えているが、内容は思い出せなかった。
今のタビーは、タビーとしての記憶が主だ。
稀に前世の記憶を思い出したりもするが、そこまで大きくない。思い出したと
ころで、それを活用できるとは思えなかった。
ノックの音がした。
「はい」
タビーは慌てて立ち上がった。ズボンをはいているが、この年頃の学院生が床
に転がるなど許されない。しかもここは王宮だ。
立ち上がった所で入って来たのは、シュタイン公だった。その後ろには、鋭い
眼差しをした騎士が袋をもって付き従っている。
「……」
こんにちは、と言うべきなのか、何か口上が必要なのか。判断できなかったタ
ビーは取りあえず礼の形をとった。ズボンでは様にならないが。
「元気そうだな」
「はい」
久々に見たシュタイン公の表情は、前に比べて穏やかになった気がした。
王と王子が亡くなり、王女が女王になる。彼の思惑通りになったからだろうか。
それだけではない気もする。最も、将軍位にある彼が、心の内を晒すことはな
いが。
「ヘス」
後ろに控えていた騎士が前に出た。タビーとザシャに袋を差し出す。
「あ、あの?」
「着替えろ」
ヘスと呼ばれた男は、二人に命じる。
「?」
戸惑いつつも袋を開けてみれば、黒い塊がそこにあった。
「これ……?」
「早くしろ」
「え?あ、はい」
タビーは慌てて自分の寝室に飛び込む。念のため鍵を掛けてから、ベッドの上に
袋の中身を広げてみた。
「制服だ……」
中身は、騎士団の黒い制服だ。シャツと丈の長い上衣、ズボン、腰に巻き付ける
ベルトにブーツ。
ここに軟禁されてから、下着や部屋着は提供されていたが、まさか騎士団の制服
を渡されるとは、思ってもみなかった。
取りあえず、急いで着替える。シャツの袖がやや長いが、折り返した。上衣は袖
口が釦で止められるから大丈夫だろう。ズボンの丈もぴったりだった。
「ええと……」
色々と飾りがついていたが、シュタイン公の制服も騎士団のものだった。ズボン
の裾はブーツに入れるのか入れないのか迷ったが、そのままにしておく。
ブーツの爪先がかなり余ったので、取りあえず持っていた布切れを押し込んでか
ら履き直した。シャツの上から、エルトの袋がついた自分のベルトを巻く。それか
ら上衣を羽織ったところで、苛立たしげなノックの音がした。
「い、今、今行きますっ!」
ベルトを腕にかけ、上衣の釦を止めながら部屋の外にでる。
ヘスがタビーの頭から足下まで眺めた。
「ベルトを」
「は、はい、今します」
上衣の釦を全てとめ、幅広のベルトを巻く。
「いいだろう」
ザシャも出て来た。同じように制服を着ているが、幼いながらも似合うのは貴族
だからなのか。
「ついてこい」
シュタイン公が身を翻す。ザシャとタビーは顔を見合わせた。
もう一度促され、彼女は慌てて杖を持つ。
「……閣下」
ヘスがシュタイン公を呼び止めた。どうやらタビーの杖がお気に召さない様だ。
「構うまい。槍の様なものだ」
促され、二人は彼らの後ろをついていく。
久々の外だ。
王宮内は慌ただしい。侍女や侍従が行き来をし、着飾った貴族達がそこ、ここに
いる。彼らはシュタイン公を見かけると、深々と頭を下げた。
思った以上の早足だ。騎士とはこういうものなのだろうか、と思いつつ、タビー
は懸命に後をついていく。
「こちらだ」
あの大広間の近くだと判った。だが、扉は閉ざされており、彼らはその横にある
回廊へ入る。
更に奥に進むと、開かれた扉がいくつかあった。貴族や騎士達が出入りをしてい
る。その中には、近衛騎士の姿もあった。あの時、立て籠もった近衛騎士達は全員
許され、職務に復帰したという。女王になる王女と、良い関係ができればいいと思
うが――――。
そこまで考えて、タビーはぴたりと足を止めた。
「タビー?」
ザシャが不思議そうな顔をする。前を行くシュタイン公とヘスも立ち止まった。
「どうした」
「あ、あの、閣下」
騎士ではない自分がそう呼んで良いのか判らないが、タビーは震える声で続ける。
「きょ、今日って、いえ、今日はもしや…戴……」
「言ってなかったか」
シュタイン公達は視線を交わす。
「戴冠式だ、殿下の」
瞬間、体が硬直した。
「え、ま、まさか……」
「まさかも何も、殿下のご希望だ」
「え?」
「早くしろ、時間がない」
シュタイン公達は再び歩き出す。タビーも慌てて後を追った。
回廊を抜け、どこか見覚えのある廊下を辿り、小さな離宮に辿りつく。
「ここ、は」
「殿下のお住まいだ。今日までだが」
後宮に男は入れない。だが戴冠式で官吏や騎士達が行き来することもある。今ま
で使われていなかった離宮が王女の仮住まいとなった。
シュタイン公が通り掛かると、誰もが道を開ける。間違いなく、今一番権力を持っ
ているのは彼だ。それを使うか使わないかは別として。
一番奥の部屋へ辿りつく。側に控えていた近衛に何事か告げると、彼は頷き静か
に扉を開ける。
中に入ったところで、今度は女性の騎士達が彼らを出迎えた。
シュタイン公を見て恭しく一礼すると、騎士の一人が扉を叩く。
「シュタイン公爵がいらっしゃいました」
聞こえなかったが、応えはあったのだろう。扉が開かれる。
青く染め上げられたドレスを身に纏い、王女ルティナが、そこにいた。




