114
宰相であるノルマン公は、王都にある自らの屋敷から王宮へ出仕している。
三公の一角であるにも関わらず、ノルマン公爵家の領土は狭く、傘下の貴族も
他の二公に比べると少ない。それは宰相職という、政治の大元を握るが故の自制
の現れでもある。
王都にある屋敷も、公爵家にしては狭い方だ。その屋敷を馬車で出た宰相の顔
は、真っ青だった。
――――王女ルティナが国王の居室に立て籠もっている。
その知らせは、宰相が放っている密偵が持ってきたものだ。報告では、見張り
の近衛騎士達は全て打ち倒されているという。夜明け前に火急の件、ということ
で起こされたノルマン公は、その報告を聞いた瞬間に全てを悟った。
(殿下)
王女ルティナは、宰相にとっては娘の様な、孫の様な存在だ。無論、王族故に
敬意は払っているが、その聡明さは宰相に取って好ましく、王女の事情を知って
いる事もあり、常々気に掛けていた。失踪したときは、何人かの手の者を放ち、
最終的に騎士団内で密かに保護されている事を知って安心したのだが。
(早まられぬ様)
王女が国王の居室にいるということは、宰相である自分を待っている筈だ。
そして宰相である自分を待つ、ということは、王位継承が絡む。
王子と近衛騎士隊が騎士団を攻撃している今、王女の行動次第で継承権も王位
も全てがあらぬ方向へ転がっていくのだ。
いてもたってもいられず、宰相は手に持っている杖で御者席に通じる窓を叩い
た。
「急げ、時間がないのじゃ」
「かしこまりました」
勤勉な御者は、馬に鞭を入れる。夜が明けてきたが、朝早いせいか道には誰も
いない様だ。速度をあげたため、馬車が不安定に揺れるが、ノルマン公はそれを
気にせず、ただ杖を握りしめていた。
■
タビーは、部屋の隅にいた。隣には、ザシャとフリッツ。
王の側には侍医と王女だけがいる。
「……夜が明けますね」
窓の外は白み始めていた。小鳥の鳴き声も聞こえる。王宮では下働きの者達が
目覚め、朝の支度を始める頃だ。
「近衛達、どうしますか?」
タビーの言葉に、ザシャは肩を竦めた。無様に廊下で倒れている近衛騎士達が
発見されるのも間も無くだ。そうなれば、他の近衛がここに押しかける可能性が
ある。
「放置でいいよ」
「いいんですか」
「だって、どこにも置き場がないじゃない?」
そう言われると、タビーとしても口を噤むしかない。倒れている騎士達をどこ
かに放置したくても、時間も人手も足りなかった。
「ここに、騎士達が押しかけてきませんか?」
ザシャの言葉も、フリッツは聞き流している。
「あと何回か、だったら魔力は持つから」
タビーが取りなす。ザシャは頷いたが、やはり不安そうだ。
「閣下が、どの程度早く状況を把握するか、だね」
少しの沈黙のあと、フリッツが呟いた。
「どちらの『閣下』ですか?」
三公は全員『閣下』だ。シュタイン公とディヴァイン公は『将軍』と呼ばれる
事もあるが。
「宰相閣下」
フリッツは腕を組む。
「今の状況を、王子や近衛が知るのをなるべく遅らせたい」
「……尚更、あの近衛騎士達を放置できませんよね?」
ザシャの言葉を、フリッツがまた聞き流した。軽んじている訳ではないと思う
が、ザシャは不服なのだろう。表情を強ばらせている。
「……君は」
暫くして、フリッツが呟く。
「ザシャ、君は王配になる気はあるの?」
「は?」
密やかな声と唐突な話題に、ザシャが目を丸くした。
「おう、はい?」
「王の配偶者。この場合は、女王のだね」
「まさか!」
声が大きくなる。王女と侍医がこちらを見た。
「声が大きい」
「すみません」
ザシャは王女達に礼をする。
「……その様なこと、今、関係ありますか?」
「あるよ」
フリッツの言葉に、タビーとザシャが顔を見合わせた。
「君は今でも婚約者なんだから」
「それは……ですが、口約束の様なもので」
「誰もがそう思うなんて、甘い考えをしていない?」
口元を歪めるフリッツは、いつもの彼とは違って見える。
「王位が決まったら……ダーフィトの貴族達は、みんな君に群がるだろうね」
王女とは一つ違い、ノルドの伯爵位を持つザシャだ。こちらに基盤を持たない
分、貴族達は我先にと集るだろう。ノルドも同様だ。ザシャを通じてダーフィト
が政治的干渉をしてこないか、もしくはダーフィトに政治的干渉をするか。どち
らにしても、放っておかない筈である。
「正直、王女より君の方が危うい。王配になるつもりなら、早めにどこかの陣営
と手を組むんだね」
「……」
タビーは良く判らないが、ノルドの伯爵家とダーフィトの王女は釣り合うもの
なのか。ノルドはダーフィトと同じ様な大国の一つではあるが、互いに友好的で
はなく、国が持つ領土もダーフィトほどではない。
そもそも王女であれば、公・侯爵家へ降嫁するか、一国の王族へ嫁ぐのが普通
だ。こういう考え方は好きでは無いが、ザシャと王女ではな家格が違いすぎると
タビーは感じる。
それでも、ザシャは今のところ王女の婚約者として認識されていた。
だからこそ、わざわざダーフィトの王立学院に留学しているのだ。その王女が
女王になれば、必然的にザシャは――――。
「私には、そのつもりは……」
「ない、って言葉を信用するほど、貴族は甘くない」
女王の王配には貴族であり、嫡子ではないことが望まれる。
更に実家の権勢が強くないことも。
ダーフィトで考えれば、公・侯爵家は除外になる。シュタインとディヴァイン
は国王を伯父としているし、ノルマン公は息子が一人だけだ。必然的に、伯爵位
以下の貴族が対象になる。
密やかな声でフリッツが話すのを、タビーはどこか遠くの国の話を聞く様な気
持ちで聞いていた。
国王の側についている王女は、父を心配している娘そのものだったし、幼く繊
細な王女が女王になる、ましてや結婚するということが結びつかない。
「殿下もそうだけど、君も同じだよ」
重大な選択だ。人生を左右するどころか、命の危険さえ伴う。
王配になれば、子を産ませることを求められる。女王が子を産めなければ、別
の男がその代わりを務め、王配であっても飼い殺しに近い状況に追い込まれる可
能性もあるのだ。
侍医が王女に何事か声をかける。見ていると、王の背に入れている布を取り出
している様だった。床ずれを防ぐものなのだろうか、タビーにはよく判らない。
寝ている王の体位が少し変わったことは理解できたが。
「お目覚めにはならないか……」
フリッツの言葉に、タビーは国王を見る。体を動かしても、反応はない様だ。
時間が経過すれば、騎士団と相対している王子やディヴァイン公が、この状
況を把握するだろう。そうなれば、今度は王宮内に戦いが飛び火する。
王女は侍医に差し出された布で、王の顔を拭っていた。
父と信じていた、だが父ではない王。
それでも王女は娘として王の顔を、首を拭っていく。どことなく神聖な儀式に
も似た行為に、タビーは目を閉じた。
それは、タビーが欲しくても得られないものだから。




