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タビーの杖は、タビーの身長よりやや長めだ。
成長期の彼女の身長は確実に伸びている筈なのだが、何故か差は縮まらない。
その杖で、壁のあちこちを軽く叩く。
「どうだ?」
「うーん、私にはよく判らないな……先輩、どこか音が違うとか?」
「同じ音に聞こえる」
フリッツも壁を見上げた。時間は刻々と過ぎていく。
「やるか」
溜息をついたフリッツは、杖を掲げる。
「殿下、お下がりください」
タビーが部屋の隅へ王女を誘導した。ザシャがその側に控える。
「爆ぜろ」
杖の先が光る。緑魔術だ。杖をあてた部分から、壁が溶け始める。
石造りの壁が、まるで飴の様に溶けて流れていく。
ようやく人一人通れる様になって、フリッツが杖を下げた。額に汗が浮かんで
いる。
「大丈夫ですか」
「どうにか」
フリッツの方がタビーよりも魔力を使っていた。負担も大きい。
「ここから先は、タビーが頼りだから」
「は?」
「それ」
フリッツが指さしたのは、タビーの杖だ。
「他人が触れないでしょ。誰かにであったら、それで対応して」
「対応って……」
当たり前の様に言われるが、王宮内で会う人間は官吏か近衛、もしくは貴族だ。
杖を使って弾く事が一番無難なのは判るが、厄介な輩に会ったらどうするのか。
「殿下、そろそろ行きましょう」
フリッツの声に、王女は頷いた。
タビーは杖を握る手に力を込める。
「先導はタビーで。殿下、おそらく後宮か離宮の側です。道案内を」
フリッツは最後尾につく。ザシャは先程と同じく王女の後ろだ。
「行きます」
タビーは、溶けた壁から一歩を踏み出した。
周囲は木々に覆われている。壁は岩に模されていた。外から見ると、石が溶けて
いる様に見える。上手く隠されていた。
「ここは……後宮の側です」
「陛下のいる場所はどこか、検討がつきますか?」
外はまだ薄暗いが、まもなく夜明けだ。完全に日が上がるまでに、ある程度進む
必要がある。
「お父様……いえ、陛下は、王宮にご自分の部屋をお持ちです」
「療養となれば、そこにいらっしゃる?」
「そのはずです」
王女の案内に従って、足早に扉から離れる。夜明け前のせいか、後宮もそこに繋
がる石畳にも、誰もいなかった。
「見回りは、最低限しかいないでしょうね」
ザシャがぽつりと呟いた。近衛の大半は今、騎士団を取り囲んでいる筈だ。近衛
は王族を守るのが使命、であれば、今は最低限の人数を国王や王妃、側室につけて
いるのみ。手薄な今なら、進みやすい。
「タビー、あちらです」
王女が示した道を、タビーは進んで行く。思った以上に見張りがいない。警戒し
つつも、4人は王宮の奥へ向かう。
タビーが持つ王宮のイメージは、絢爛豪華な柱や絵画、美術品が飾られている様
な場所だ。だがダーフィトの王宮はそこまで豪奢ではない。余計な飾りもなく、柱
や廊下も磨き込まれているが、華美ではなかった。
その廊下を静かに進む。足音は思ったほど響かない。
「こちらです」
王宮の廊下は直線の部分が多かった。直線部分は死角が少ない。曲がり角もいく
つかあったが、直角にはなっていなかった。柱に合わせる様に丸く作られた部分も
見事だ。こんな時でなければ、ゆっくり眺めたくなる様な場所。
「タビー、こちらです」
国王の居室に近づく。見張りの姿は未だ見えないが、全員が早足になっている。
「もう少し先……」
「何者だ!」
声に全員が振り向いた。瞬間、フリッツが杖を出す。
「征け!」
最初に声を発したのは騎士だった。だが、騎士が何かを言う前にフリッツの魔術
が相手を抑え込む。
「う……」
その場に倒れ込んだ近衛騎士を見て、王女の顔が強ばった。
「だ、大丈夫なのですか」
「……少し気絶しているだけです」
発動した魔術はそれほど強いものではない。その分、相手が気づくのも早いだろ
う。
「殿下、急ぎましょう」
タビーは王女を促した。いくつか角を曲がった所で、再び近衛騎士と遭遇する。
今度は二人。
「殿下!」
彼らが驚いている隙に、タビーは相手の間合いに飛び込む。杖を差し出し、受け
止めようと腕を翳した騎士を弾いた。
「なんだ!?」
弾いた勢いで転倒した騎士を抑え込む。その間に、フリッツが再び魔術を発動さ
せた。二人の騎士が呻き、廊下に転がる。
「……」
王女の顔は引きつっていた。申し訳なく思いつつも、タビーが促す。
王の居室は、ここから遠くないと言う。だが、フリッツはそろそろ魔力が限界に
近づいていた。
「タビー、悪いが次からは頼むよ」
「……本気ですか」
「王女誘拐犯として極刑になりたいなら、止めないけど」
「……了解です」
王女が行方不明になり、近衛騎士達はその行方を追っていた。攻撃を仕掛けてき
た王子達も騎士団が王女を誘拐したと決めつけている。王宮に残っている近衛騎士
達が王女と不審な集団を見つければ、同じ考え方をしてもおかしくない。
「あの角を曲がれば……お父様、陛下の居室です」
しばらく歩いた所で、王女は指をさす。国王は父では無いと知った今でも、彼女
に取っての父は王なのだ。ずっとそう信じてきた事を、今すぐに変えられるほど王
女は大人ではなく、さりとて子どもでもなかった。
タビーは角に体を添わせる。
覗き込めば一番奥に大きな扉があり、その前に近衛騎士が2名、立っていた。
「魔術を使いますか?」
「その方が安全だろうな」
できるか、と言いたげなフリッツの視線に、タビーは頷く。やらねばならない。
人に対して魔術を発動できるかと悩んだ事もあるが、今はそんな悩みも封印する
時だ。
(……青魔術なら)
催眠作用のある霧を発生させることができる。気絶させる緑魔術よりも魔力を使
うが、タビーの抵抗感は少ない。あとは確率の問題だ。うまく二人同時にかけられ
るか、両方ともかからないか。片方だけかかる、というのが一番面倒だ。
「誘え」
タビーは杖を翳し、静かに唱える。声に、騎士達は気づかない。
暫くして右側の騎士がふらつき始めた。気づいたもう一人が声をかけている。
(駄目か)
効かなかったのであれば、もう一人には別の魔術を使うしかない。今、自分が使
える魔術を思い出しながら、タビーは再度杖を掲げた。
「征け」
小さな雷が走り、先程魔術に掛からなかった騎士を捉える。念のため、というつ
もりはないが、魔術の範囲に入っている倒れた騎士にも魔術が作用した。
ばたり、という音がしてから、タビーはそっと顔を出す。
「……大丈夫そうです」
ますます顔を青ざめさせた王女に、タビーは申し訳ない気持ちで一杯になる。
この幼い王女は、この一ヶ月の間にどれだけ気持ちを揺さぶられたのか。
聞かされた衝撃的な事実、地下道を彷徨い、追い込まれる様に騎士団へ、そして
さらに突きつけられた現実。そして今、刺客やミルドラッセ、困難な道のりを経て
ここにいる。
「殿下……」
「いいえ、タビー。大丈夫です」
王女は手を組み、強く握りしめていた。
「陛下に会うためには……仕方ありません」
その強い眼差しに、タビーは深く礼を返す。
「行きましょう」
王女の言葉に、全員が歩き出した。タビーが先行して、騎士が気を失っているこ
とを再確認する。
フリッツが手を翳し、扉の前で何度か振った。
「魔術的な問題はないね」
「……」
王女は、扉をノックする。
中から、応えはない。
「……」
王女は深呼吸をし、扉の取っ手に手をかける。
鈍い音がして、扉がゆっくりと開き始めた。




