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タビーと騎士の犬  作者: 弾正
王女と継承
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 学院にも石造りの階段はある。

 だが、この世界でこんなに長い石造りの階段は見たことがない。おまけに、螺

旋状だ。

 螺旋階段といえば中央に芯の様なものがあると思っていたが、どういう構造な

のか、この階段には無い。支えとなるものがまったくない石造りの階段は、恐怖

でしかなかった。


(下はみない、下はみない……)


 内心で呪文の様に唱えるタビーだが、足下を確認しようとすれば下は必然的に

目に入る。その都度、心臓がばくばくした。


「殿下、大丈夫ですか」

「え、ええ」

 王女は顔を青くしている。行動を共にする様になって、王女の笑顔を見たこと

が無いことにタビーは気がついた。学院に来た時も、人形の様に整った表情、騎

士団で一緒になってからはせいぜい苦笑か自嘲混じりのそれ。


 王女が微笑めば、どれだけ美しいだろう。心を癒されるだろう。

 今はそれを望むべくもないが。


 階段の上を立って歩くのは危険だ。命綱もなく、魔術も咄嗟に使えるかわから

ない。結果的に、腰を少し屈めて階段そのものに手をつきながら登っていく。

「半分過ぎました?」

 下は見たくない。既に高さは相当なものだ。

「もう少しかな」

 先頭を行くフリッツも、今回ばかりは余裕がない。王女を気遣いつつも、階段

を手探りで登っている。

「罠は無いでしょうか」

「気配はない」

 ザシャの問いかけにも淡々と応えるだけだ。

 落下の恐怖と緊張で汗が浮かぶ。拭う為に手を上げるのも怖い。さらにタビー

の杖は長く、常に片手がふさがっている状態だ。せめてエルトの袋に入ればいい

が、それすら出来ないのが恨めしい。


(アロイス先輩みたいに、背負うか)

 大剣を使っていた彼は、剣を背負っていた。杖でも同じ様なものはできるだろ

う。使った後、差し直すのが面倒そうだが。

(ベルトに挟むのはどうかな)

 いい考えに思えてベルトを触ってみようとしたが、右手は階段から離れない。

 それだけ緊張しているのだ、誰もが。

 石階段にはぽつり、ぽつりと汗が落ちた痕がある。誰もが同じ恐怖を抱えてこ

の階段を登っているのだ。


 そして、その階段の先には、王女が後継者となる道がある。


 王女の希望は戦いを止めることだ。だが、その気持ちはどこから来ているのか。

 今はまだ民を巻き込んでいない。ただ戦いが怖くて偽善的に止めようとしてい

るのか、それ以外の思惑があるのか。

 見極めるだけの材料が、タビーにはない。

 そもそも見極めてどうするのか。タビーは一介の学院生で、王女はこの国の継

承者候補でもある。王女の思惑を見定めたところで、タビーの生き方に変わりは

ない。


 学院を卒業し、魔術師となり、ダーフィトを旅する。

 そしていずれ自分の居場所となるべき地を見つけて、静かに暮らす。


 地味に見えるが、案外大変なことだ。

 王都とは違い、不便な面も多いだろう。人付き合いも、生活そのものも同様だ。

 暮らしたいと思っても、受け入れてもらえない事もある。


(もしかしたら、一生旅をするのかな……)


 それもまたいい。寄るべき地を持たず、流浪の魔術師として生きていくのも一

つの選択だ。


(流浪の魔術師、って)


 タビーは苦笑する。考えたのは自分だが、流石に気恥ずかしい。だが、将来の

事を考えると、少し気が紛れる。


「……」

 前を進むザシャが、急に止まった。ぶつかりそうになって、タビーは慌てて止

まる。一瞬体がぐらついて焦ったが、どうにか留まった。


「ザシャ?」

 全く動かない彼に、タビーは声をかける。

「どうした?」

 前を進むフリッツから声がかかった。不安定だから振り向けない。状況が見え

ないのだ。

「大丈夫です、先進んでください」

 努めて明るい声でタビーは告げる。何かを察したらしいフリッツは歩みをとめ

ず、登っていく。その後ろを王女が続いて行った。

「ザシャ」

 声を潜めて、タビーはその名を呼んだ。

「……です」

「なに?」

「駄目、です」

 よく見れば、ザシャの全身が震えている。後ろから見えるのはせいぜい腕や首

下くらいだが、異様に汗をかいているのが判った。

「駄目、って」

「も、もう……」

 声まで震えて聞こえる。この高さだ。落ちたらひとたまりもない。そしてザシャ

が動けなければ、その後ろにいるタビーも動けないのだ。彼を追い越すには階段

の幅が狭すぎる。どうしても、というなら、ザシャを伏せさせて、その上を乗り

越えて行くくらいか。

 だが、ザシャの恐怖も判る。大人びて見えるが、基礎課程の一年生、この4人

の中では一番年下だ。地下道で襲われ、ミルドラッセに遭遇し、そして支えもな

いこの階段。精神的に追い詰められるのも無理はなかった。

「ザシャ、ゆっくりと膝をついて」

 前を行く王女達に聞こえない様に、タビーは告げる。

 震えながら、だがゆっくりとザシャは膝をつく。四つん這いの様な格好になっ

たところで、完全に動けなくなった様だった。

「ゆっくり、息を吸って、吐いて……」

「で、できな……」

「大丈夫、喋れるから呼吸はできてる」

 焦らないでいい、と続け、タビーも階段に膝をついた。中腰はきつい。ついで

に足を伸ばして、階段に腹ばいになった。

 ザシャは少し落ち着いた様だ。何度か深呼吸をしている気配がする。


 基礎課程にもある瞑想の講義では、まず呼吸法を指導された。魔術師に必須な

内的循環の基本は瞑想でもある。魔力を巡らせ精神を集中させ、雑事を考えない。

 深呼吸で気持ちを落ち着かせると共に、体内の緊張をほぐすことができる。


「ザシャ、基礎課程終わったらどこに進む予定?」

 タビーは唐突に話しかけた。振り向かないが、彼の戸惑っている様子は判る。

「どこ、って……」

「魔術応用に来るの?」

「いえ、私は財政へ」

「あー、官吏か」

 財政専攻課程に進むのは、貴族の嫡子や官吏志望が多い。中には商人志望の者

もいる。政治と経済は密接に結びついているから、進む方向としては間違っては

いないのだ。

「いえ、その、私の家は伯爵家なので……」

「跡継ぎかぁ」

 タビーは敢えて暢気そうな声で返す。

「ま、まだ決まった訳では」

「そっか。でもどうするの?卒業したらノルドへ帰る?」

 普段のタビーは、ここまで踏み込んだ会話をしない。同期生で色々話すことも

あるが、大体が当たり障りのない会話だ。

「ノルド……」

 ザシャが呟いた。恐らく、彼にとっては地雷に等しい話だ。だが、今はそこま

で気を回していられない。とにかく、動いて貰わなければ。

「私は王都を出た事ないからなぁ。海も遠くからみただけだし」

「と、遠く、ですか?」

「うん、防御壁の上から。知ってる?あれ、登れるの」

「だ、誰でも?」

「あー、どうかな」

 タビーはザシャを見る。震えが少しずつ収まってきた。

「私はギルドの仕事で登ったんだよね」

「ぎ、ギルド?冒険者ギルドですか?」

「あ、そっちも入ってるけど、私は基本的に商業ギルドなんだ」

「商業……」

「依頼も沢山あるし、6歳から仕事できるしね」

「どんな仕事が?」

「うーん」

 タビーは少し考える。

「良く行ったのは、貸金屋かな。計算と、代筆」

「貸金屋って……子どもに仕事をさせるんですか?」

 どことなく非難めいた口調に、タビーは笑う。

「一番公平だよ。きちんと仕事が出来れば、ちゃんとお金は払うし。まぁ、賄い

とかは無いんだけど」

「賄い……」

「あと、染め物屋とか。こっちはちょっと大変かな。熱湯使うし、染めムラとか

出来ちゃうと怒られるし、賃金引かれる」

「……そうなんですか」

「うん。ザシャも暇な時は商業ギルド行ってみなよ。登録料1クプラ。お得だし

安全だよ」

「安全って……」

 ザシャが笑った。タビーも笑う。

「昼の仕事だしね。届け物とかだったら短時間で終わるし」

「稼げるんですか?」

「数をこなせば」

 タビーは足を少し伸ばしてから膝立ちになる。

「ザシャ、行こう」

「……」

「私も魔術使えるし、何かあったら支えるから」

「……抱きかかえるのはできない、って」

「うん。でも人を浮かせるのは大丈夫」

 浮かせるだけなら出来る。移動させることはできないが。

「本当ですか?」

「なんなら、今浮いてみる?」

 そのくらいの魔力なら、余裕がある、と続けると、ザシャがまた笑った。

「大丈夫、です」

 声はまだ強ばっているが、少し気が楽になったのだろう。

「もうさ、このまま四つん這いで進む?」

「は?」

「中腰だと腰疲れるし。両手両足ついてたら、ちょっと安定するんじゃない?」

「……そうですね」

 ザシャが四つん這いの体勢で階段を登り出す。タビーもその後に続いた。

 ちらりと下を見る。かなりの高さだ。

 この高さまで、支柱なく螺旋階段を作れる、ということは恐らく魔術で作られ

た筈だ。ミルドラッセといい、悪趣味としか思えないが。


(そもそも、いざという時に王族が使う道なんじゃないの?)


 だったらこんな階段やミルドラッセは不要だ。この階段を下るのは難しいし、

ミルドラッセを倒さずに先に進むのも困難である。

(どこかに、回避できる道があるのかな)

 そうでもなければ、この造りは納得できない。追っ手を挫けさせる為には有効

だと思うが。


 タビーは、階段の先を見上げる。

 扉は、まだ遠い。



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