109
水面とほぼ同じ位置につくられた地下道の幅は狭い。ミルドラッセがいないか
ら安全だが、気をつけないと足が滑る。
冷や冷やしながら渡り終えた所で、タビーは後ろを振り返った。ミルドラッセ
が浮かんだままの水路は、薄気味悪い。このまま放置しておいていいのか疑問だっ
たが、フリッツ曰く『王宮魔術師長が考える事』とのことだった。つまり、放置。
ミルドラッセそのものを捕らえるのも難しいと思うが、倒さなければ王宮に辿
りつけないのだ。
渡りきった所で、緊張が緩んだのか王女が膝から崩れる。
「殿下!」
ザシャが咄嗟に支え、タビーが駆け寄った。
「殿下、お気を確かに」
「も、問題ありません」
気丈に告げる王女に、タビーは胸が痛む。地下道はともかく、ミルドラッセや
魔術を使った戦いなど、王女には恐怖でしかない。
「おやすみになりますか?」
「大丈夫、タビー」
タビーの手を支えに、王女は立ち上がる。
「急ぎましょう。無用な戦いを止めなければ……」
きゅっと拳を握った王女に、フリッツが同意した。
「まだ夜は明けていないと思うけど、早くしないと」
「でも」
「タビー」
フリッツが首を横に振る。
夜が明ければ、また近衛の攻撃が始まる筈だ。昨日は騎士団有利で終わったが
今日も同じ結果とは限らない。近衛も戦法を変えてくる。騎士団の規模から言え
ば負けることは考えにくいが、長引けば消耗戦となり、犠牲者もでる可能性が高
い。王女はどちらにも犠牲がないうちに、戦いを止めたいのだ。
王女の状況を確認してから、フリッツは扉をあける。その先は、また地下道だ。
「行こう」
4人は再び歩き始めた。
■
王子ルーファンは目を醒ました。
清潔だが古い木目の天井を見て、自分が今どこにいるかを思い出す。
王子とディヴァイン公、そして幹部達は王都にある宿の一つを占拠していた。
客を全て追い出し、宿の主人に温かい食事と寝床を求めたのである。
主人は何も言わずに、その要求に従った。これも王子が次期国王となるべき者
だからだ。ルーファンはそう思っている。
窓を見ると、まだ夜は明けていない。気持ちが高ぶっているのか、いつもより
早く目が醒めた様だ。だが、起きてもなにもすることはない。
今日は外壁を攻める予定だ。何も騎士団すべてを押さえ込む必要はなく、指揮
官を捕らえるか、シュタイン公を抑えるかが出来れば彼のルーファンの勝ちであ
る。将軍という身でありながら、自ら見張り台へと立つシュタイン公を捕らえる
のはそれ程難しくない筈だ。
そして、それはルーファンを王位へと導く。
ルーファンの母は、ディヴァイン公傘下の侯爵家に生まれた。血筋や家格から
すれば正妃にもなれる身。実際、その話を内々に進めようとした時、正妃の輿入
れが申し入れられ、父である国王はそれを受けたという。
ノルドの先にある、小さな国。ルーファンが名すら覚えていないその国は、正
妃の輿入れ後、ノルドに併合されてしまった。正妃の後ろ盾が無くなったことか
ら、ルーファンの母が側室ではあるが後宮へ迎え入れられたのだ。
母は、側室としての務めを存分に果たしているとルーファンは考える。
後宮に入ってから2年後には彼を産み、正妃を立てて前に出ず、国王を陰日向
で支え続けた。贅をこらした装いをするでもなく、あくまで側室として生きてき
たのだ。
そんな母を、ルーファンは哀れだと思う。
亡国の王女である正妃を気遣う必要が何処にあるのか。正妃は嫁いでから8年
近くも身籠もらず、ようやく産んだのは王女。だがその王女に後ろ盾はなく、聡
明であろうと王位につくとは思えない。ダーフィトは女王を認めているが、貴族
の中には年長の王子である彼自身を支持する者も多かった。
ここで騎士団を抑え、王に足る器である事を示せば、ルーファンの即位に誰も
反対はしないだろう。宰相であるノルマン公も、中立派等という日和見を撤回す
る筈だ。
窓から闇夜を見つめ、ルーファンは口元を緩めた。己の姿が窓に映る。
幼い頃から教え込まれた帝王学、侯爵家出自の母、治政への参加、近衛騎士隊
の掌握。
そのどれもが、彼を王へと導くものだ。何一つ欠けることはない。
己の頭に王冠が授けられる瞬間を夢想しつつ、ルーファンは再び寝台へ戻った。
■
「取りあえず、ここから先は安全なんですか?」
「うん」
「あれでも?」
「うん」
フリッツに何を言っても無駄だ、とタビーは悟った。もう何回目の悟りか判ら
ないが。
扉を抜け、休み休み歩き辿りついた場所は、先程よりも更に天井が高い。
その天井近くに、小さな扉が見える。その扉に至るまでは螺旋階段が繋がって
いた。
幅が狭く、手すりもない、石造りの螺旋階段が。
「あの扉を出れば、後宮の側に出られる」
「待ってください、あの高さまで……昇るのですか?」
ザシャの言葉ももっともだ。螺旋という形の上、階段の幅は非常に狭い。手す
りもないから、足を滑らせたら一巻の終わりだ。
「他に道はないし」
「先輩が破壊しまくったせいでね」
タビーが毒づいた。フリッツは受け流す。
「何か、魔術は使えないのですか?」
ザシャはフリッツに問う。
「僕やタビーだったら浮かぶ事はできるかな。ただ、人を抱えて、は無理」
「浮かべるけど、あの高さまで維持できるかは微妙」
残存魔力は既に半分を切っている。ミルドラッセとの戦いで思った以上に消耗
した。青の魔術に属する浮遊魔術は使えるが、扉まで辿り着ける可能性は低い。
「殿下」
フリッツが階段を見上げる王女に声をかけた。
「どうされますか?」
王女は彼に視線を移す。その瞳の強さは失われてはいない。
「ここから引き返し、騎士団と近衛の戦いが収まるのを騎士団で待つ、というの
も一つの選択です」
「……」
「この階段を昇れば、殿下は王位継承の争いに加わる事になる。しかも、かなり
有利な形で」
ザシャが呟いた。王女が国王の下へ辿りつき、戦いを収めるべく勅使を出せば
王子側にはかなり不利だ。戦いを収めるための勅使というものはあるが、今まで
に使わされた事がない。そんな勅使を出させるということは、政治に関わること
でもある。
「殿下、貴女はまだ幼く、女王となっても後見人が必要になります。その後見が
貴女を傀儡の様に扱うかもしれません」
王女は12歳、成人とされる16歳まであと4年。その間に女王として成すべ
き事を学び、政治の舵取りが出来る様になる必要がある。だが、悪意のある後見
人がつけば、女王には何も与えず、甘い餌だけを与え続けて傀儡にしてしまう。
今の段階で、王女の後見はいない。
母は正妃だが、その生国は既になく、三公の誰とも関係がなかった。
今のところ、シュタイン公が辛うじて王女派と見られているが、それも確実か
は判断できない。彼が王女を操り、己がいい様に政権を握る可能性もある。
(何より、シュタイン公は国王に恨みがある……)
タビーは口にしなかったが、そう思った。
シュタイン公の弟が王女の父だと言うならば、彼は王女にとって伯父にあたる。
騎士団を統括する彼は、王女を王位につけたい様だった。もし王女が女王とな
れば、間違いなく後見人として名乗りをあげる筈だ。
それが、吉と出るか凶と出るか。
弟を喪った悲しみから、感情的になっている事も考えられる。
そこまで考えて、タビーははたと気づいた。
王女の父は国王である。父が国王故に王女は王女たりえてるのだ。
だが、王女の父はシュタイン公の弟。その事実をタビーは知ってしまった。
シュタイン公がその事実を重く捉えれば、彼女の命も危険だ。秘密を知る人間
は少ないほどよい。
王女は螺旋階段を見上げている。
その幼さ、繊細さは失われてはいない。女王に任じられるのが可哀想にも思え
る程だ。
(殿下が女王になれば……)
そこまで考えて、タビーは己の考えを打ち切った。一瞬頭を過ぎった考えに、
反吐が出そうになる。己の保身しか考えていない自分が、情けなかった。
だが、タビーはまだ死にたくない。
生きて、己の夢を叶えたいのだ。
地下道だというのに、王女の周りの空気だけは澄みきって見えた。タビーは胸
を押さえる。己の浅ましさと情けなさを封じるために。
「……行きます」
長い沈黙の後、王女は静かに告げた。




