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「――――よって、ユガ復興についての全権をギルベルト中隊長へ委任する」
読み上げたタビーの前で、ジルヴェスターが顔を引きつらせていた。彼女の隣にはギルベルト伯爵がどかりと座り、ニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべている。
「お早いお戻りで、大隊長殿」
伯爵の言葉に眉を寄せたタビーの視線を受け、ジルヴェスターはさりげなく浮いた汗を拭った。
「で、でも、指令書ですし。書式も間違えていません」
そういう問題ではないだろう、と言いたかったが、とりあえず指令書をくるりとまいて隣に座るギルベルト伯爵へ返す。
「随分優秀な弟子だな、魔術師サマ」
伯爵は揶揄う様な物言いをしつつ、戻された指令書をそのまま後ろに投げる。いつの間にか控えていた細身の男が顔色一つ変えずにそれを受け取り、懐へと格納した。
「旦那様、どうぞ」
タビーの横を抜け、前に回った細身の男が木の盆を差し出す。使い込まれて飴色になったそれには木の椀が三つほどのせられていた。前世の味噌汁の様な形態に懐かしさを感じながら受け取る。
椀の中はぬるめの湯にいくつかの薬草を浮かべたもの。魔術師であるタビーにはそれがどんなものか察しがつく。同じ様に椀を渡されたジルヴェスターは不思議そうな顔をしている。
「いただきます」
これは厚意である、とタビーは内心で己に言い聞かせた。あくまで、ギルベルト伯爵からの、厚意なのだ。
「おう」
タビーとギルベルト伯爵がそれぞれ口を付けた。予想通りの味が生ぬるい水と一緒に流れ込んでくる。この薬草は熱い湯に入れて飲むのが定番で、ぬるま湯で入れると独特の臭いとえぐ味を強く感じてしまう。周囲では湯を沸かしている者達も少なくないから、熱湯を入手するのは難しくない。なのにわざわざぬるま湯を調達した意味を嫌というほど理解した。喉を通った白湯から独特の香りが鼻に抜けていくが、どうにか一息に飲み干す。
「うっ!」
恐る恐る椀に口を付けたジルヴェスターは、ひとくち含んだ所で動きを止める。
「吐くなよ」
同じく飲みきったギルベルト伯爵は、座ったまま笑った。
潤んだ瞳が助けを求めるかの様にタビーに向けられるが、彼女は首を横に振る。呑み込むことも吐き出すこともできず、ジルヴェスターは片手で口を押さえた。
「ジル、思いきって飲むか、椀に吐き戻すかだよ」
胃からせりあがってくる臭いをこらえつつ、タビーはギルベルト伯爵へ視線を移す。
「伯爵、お伺いしたいことが…」
「おう、なんだ?」
「これから東へ行くとのことですが、どこに行くのでしょうか」
「閣下が?」
頷いて応じると、ギルベルト伯爵は顎に手をあてて眉を寄せる。
「東の拠点、って言ったら、クレモアくらいだな。あそこは騎士団も常駐している」
「クレモア?」
問い返したところでげふっと大きい声が聞こえた。どうやらジルヴェスターも全て飲みきった様だ。
「クレモア、クレモア…」
思い出そうとするが、位置も判らない。東の大きな街や港の名前にも同じものは無かった様に思う。
「…い、せんぱ、い…」
息も絶え絶えに、ジルヴェスターが片手を上げた。
「パルーデル港とロゴの中間くらい…さ、最初の王が作った…」
彼の説明に左手首の腕輪が少しだけ熱くなる。脳裏に浮かんだのは、最果ての谷の傍らにあったものと同じ様な城。
背後に切り立った崖があり、高い尖塔が連なっている。英雄の眠る塔で見たものだ。
「崖が後ろにある、お城?」
「そう、そうです。詳細なものは英雄譚の外伝2巻第6章に…」
「魔術師様、こちらを」
横から差し出されたのは地図だった。受け取って広げる。
「ここだ、クレモア」
ギルベルト伯爵が指さした場所は東の端、歴史ある場所として有名なパルーデル港からも離れている場所だ。
「この大陸にたどり着いて、最初の拠点となった場所ですね」
ジルヴェスターもタビーの隣に座ろうとし、ギルベルト伯爵に睨まれて動きを止めた。
「今の王都に移った後にも、何かがあったときの為にと整備されたらしいです」
上から降ってくる後輩の説明にタビーは頷く。今でも騎士団が守っている場所ならば安心だろう。王都から距離があるのが少々不安ではあるが――――。
「閣下がクレモアに行くなら、俺はこちらに残るしかないな」
大げさなため息をつくギルベルト伯爵の言葉に、曖昧な笑みで返すしかない。クレモアまでは相当の距離があり、彼の部隊では移動に時間もかかるだろう。いつか王都に戻る時も、ユガからとクレモアからでは随分違う。それにユガは西、ディヴァイン公爵家傘下の貴族が集まる。機動力はともかく、それ以外の戦闘能力に秀でている重騎士隊と傭兵達を抱えるギルベルト伯爵の存在は、西の貴族達に向けていい牽制にもなる筈だ。
タビーはもう一度地図に視線を向けて位置と道のりを確認する。ヴェルフェンから最果ての谷ほど離れてはいないが、東の端にいれば王都と連絡を取るのは難しいだろう。
そして、討伐隊と合流するのはそれ以上に困難な筈だ。
つきかけたため息を呑み込み、タビーは地図を丸める。
「どうするかな…」




