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王宮の警護を担当するのは近衛騎士団である。
特別な行事があるとき、不測の事態で人が足りない時には騎士団の騎士達を派遣してもらうこともあるが、それ以上のことはそうそうない。一般的には王族の護衛と王宮の守りを担当するのが近衛騎士団、王都、ひいては国内の治安を守るのが騎士団と認識されている。
近衛騎士団は王宮の西側に本部があり、近衛を統率しているディヴァイン公爵の執務室や鍛錬場、馬場等も備えられていた。広さは騎士団に劣るとはいえ、設備は充実している。
近衛とは反対に、騎士団は王宮内ではなく隣接する広大な敷地に本部をおく。隣接しているとはいえ、騎士団の敷地から王宮へ向かうには一度騎士団の正門を出てぐるりと遠回りをしなければならない。これは『騎士団の敷地から不審者が入らない様に』という配慮らしいが、どちらかといえば近衛騎士団への配慮である。王族を守る護衛任務や警護任務は近衛騎士団の優れた部分であるが、全体的に見れば力量は騎士団が上になりがちだ。貴族の多い近衛騎士団の面子を守るための配慮でもある――――。
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「ん?」
書類を抱えていた騎士は、事務方の執務室が並ぶ廊下で立ち止まった。
どこからか何かが焼ける臭いがする。周囲を見回すが、煙や炎は見当たらない。だが外から騒いでいる様な声が聞こえた。彼は警戒しながら窓際へ歩み寄る。
窓からは、いつもと変わらない王宮が見える――――筈だった。
「馬鹿な!」
騎士は慌てて窓を開けた。冷たい風と共に、灼けた臭いが室内に流れ込む。臭いの先、王宮の西側から上がるのは赤い狼煙。それは緊急や危険を知らせるものだ。
「どうした!」
彼の声を聞きつけたのだろう、いくつかの部屋から騎士達が出てくる。鼻をつく臭いの原因に気づいた彼らも窓際に駆け寄り、そして上がっている狼煙をみて目を丸くした。
近衛騎士団本部がある王宮の西、端側から赤い狼煙が上がり続けていた。ありったけの狼煙をくべているのだろう、狼煙は火事と見まごうばかりの勢いだ。
「王宮だ!」
「状況を確認しろ!各部署へ伝達、警護強化!」
混乱しながらも居合わせた中隊長達が指示を出していく。その声に騎士達が動き始め、あちらこちらで声があがり始めた。
「暴動だ!」
階下から駆け込んできた若い騎士が、叫ぶ。
「暴動?おい、どういうことだ?」
若い騎士に近づいた騎士の一人が、次の瞬間、その場に崩れ落ちた。
「貴様、何を…」
血が灰色の絨毯へ散っているのが見え、騎士達は反射的に己の武器に手を掛ける。
「動くな!」
若い騎士の手には短剣が、その刃先は倒れた騎士の喉元に突きつけられていた。
「動けば、コイツの命はないぞ」
全員が体を強ばらせる。
短剣を突きつけている若い騎士は貴族の出身だが、いたって普通の騎士だ。王立学院を出、将来の幹部候補として日々の任務をこなしていた。言動や思想に問題もなく、過激なことを口にする訳でもない。同僚達はそう思っていたが――――。
「貴様…」
「武器を捨てろ!」
長剣の柄に手を伸ばしていた騎士が唇を噛む。これが盗賊であれば、躊躇わず突っ込んでいっただろう。だが、相手が同じ騎士団の騎士であるが故に躊躇いが生まれた。そして相手はそれを見抜いている。
「捨てろ!」
刺された騎士の出血は思う程酷くはないが、本人の意識はない。早く手当をしなければ、助けなければと気持ちだけが焦る。
「わかった、言うことをきこ…」
「その必要はない」
割り込んできた声に若い騎士が振り向こうとした瞬間、その背中が勢いよく蹴りあげられた。倒れた騎士の喉元から短剣が離れ、若い騎士が体勢を整えるより先に、近くにいた騎士達が彼を抑え込む。
「参謀閣下」
その場に無表情のまま立っていたのは、ディートリヒ・ヘス。ついこの前、戦場から戻ってきた騎士団の参謀だ。彼の後ろには、銀髪で鷲鼻の男と付き添いらしい者達が数人控えている。
「地下牢へ入れておけ」
己が蹴り上げた若い騎士を一瞥し、彼は騎士達へ指示を出す。
「よろしいのですか?」
年長の騎士が一歩前へ進み出て問いかけた。
「せめて拘束をせねば、脱走や自害の恐れが…」
「好きにさせればいい」
彼の口調には何の感情もこめられていない。当惑しつつも、騎士は引き下がった。その横を捕縛された若い騎士が連れられていく。刺された騎士へは、鷲鼻の男が手当を始めていた。
「反乱が発生した、騎士団は今より厳戒態勢をとる」
「はっ!」
反射的に姿勢を正し返答した騎士達だが、未だに状況が飲み込めていない。『反乱』『厳戒態勢』、訓練ではよく聞いていた言葉だが、実際にその指令が出るとは思ってもみなかった。
「防衛線を張る。王宮側はそのまま、門は全て閉鎖」
「お待ちください、王都を警備中の騎士達は…」
「反乱鎮圧までは、騎士団内部へ戻すことはない。各拠点を守る様に通達済みだ」
「通達済み…?」
騎士達は顔を見合わせる。
「恐れながら。反乱が起きると…ご存じだったのでしょうか」
ひとりの騎士が問いかけた。その問いかけに、参謀は応じない。
「――――いささか」
立ち上がった鷲鼻の男が、うっすらと笑みを浮かべている。
「説明不足では?」
倒れた騎士の手当を終えた男が口にした。その言葉にも応じず、参謀のヘスはその場を離れていく。制止もできずに見送る騎士達に、鷲鼻の男は少しだけ息をついた。
「反乱の発端は王宮、狼煙があがったのは西…近衛騎士団だったか、相手も一枚岩ではなさそうだ」
「近衛が救援を求めているのでは?」
その意見は黙殺される。厳戒態勢をとった今、いくら王宮に隣接しているとはいえ軽々しく対応はできないということなのだろう。
「それよりも先に、こちらだな」
「こちら…?」
「さっきの騎士がひとりだけで動いているとでも?」
居合わせた騎士達は体を強ばらせた。誰が反乱を起こしたかは未だ判っていないが、彼の様な存在がまだいるかもしれない。他の場所で同じ様なことになっているのであれば――――。
「手分けしよう、俺の隊は東から回る」
「こっちは寮を確認してこよう」
騎士達が頷き、さっと動き出した。残されたのは鷲鼻の男と複数の付添人、そして倒れて意識を失ったままの騎士だけだ。
「ナタニエル様、彼をどちらに運びましょう」
「…寮の部屋、と言いたいところだが」
騎士団にも反乱分子がいるのであれば、安全を確認できるまではここで待つ方がいいだろう。騎士団の廊下だが、屋根もあれば絨毯も敷かれている。もし他にも怪我人がいるなら、ここでまとめて見る方が手っ取り早い。
主の考えを察したのか、付き人の一人がエルトの袋から取り出した白と緑の布を窓にかけた。臨時の救護場所だ。
「部屋から布を持ってきましょうか」
「安全か確認出来るまでは待った方がいいかもしれない」
「だったら廊下の布だけ先に外して集めよう」
慌ただしく動き出す付き人達をそのままに、ナタニエルは窓際から赤い狼煙を見上げる。
その煙は、今もまだ消えていなかった。




