102
不穏な空気は、室内に軟禁されていたザシャにも伝わっていた。
窓から見下ろせば、騎士達が急いた表情で行き来している。どこからか焦げく
さい臭いもした。
(……反乱?)
ザシャは眉を顰める。彼が見る限り、騎士団内に不穏分子がいる様には思えな
かった。とはいえ、どんな恵まれた職場でも不平不満は出る。ただ、それが騎士
団内の反乱とは結びつかなかった。それ程脆い内部であれば、今頃ザシャはもっ
と酷い監禁状態になっていただろう。
何かがぶつかる様な大きな音もする。正門の方からだ。状況から言って、騎士
団が攻められていると考えた方が普通だ。だが、この巨大な軍に対して、誰が何
故攻めるのかはわからない。
窓の側に立ったまま、下を見下ろす。騎士の行き来が少なくなったそこを、見
慣れた姿が横切ろうとしていた。
反射的に、窓を強く叩く。
下を歩いていた面々が顔をあげた。
『ザシャ?』
一番後ろについていた少女が自分の名を呼んだ様に見える。つられて、前の二
人も顔を上げた。一人はどこかで見た記憶があるが定かではない。もう一人は、
間違いなく王女だ。
一瞬迷ったが、ザシャはもう一度窓を叩く。彼女達が立ち止まったのを確認し
て、彼は身を翻した。
ベッドに敷かれているシーツを剥ぎ取り、手にぐるぐると巻き付ける。
窓の側に戻って、手を窓に叩きつけた。
二人に挟まれた王女が顔を覆い、悲鳴を上げる。だが、それを気にせずザシャ
は何度も窓を叩いた。窓の外には鉄格子がある。割れたとしても、逃れられない。
部屋から出る扉には外から鍵がかかっている。
『離れろ!』
彼女達を先導していた男が叫ぶ。辛うじて聞こえたザシャは、その場を離れた。
瞬間、窓や鉄格子が橙色に光る。少しして、それらは雪の様に溶け出した。
鉄格子や窓、そしてその下の壁までが溶け、外の空気が入ってくる。溶解がお
さまり、無様に溶けた窓と格子、壁が露わになった。
「殿下、タビー!」
その溶けた所から顔を出す。
「ザシャ、そこにいたの?」
「何があったんですか?」
「近衛と揉めてる」
男が端的に告げる。
「まさか」
「その『まさか』だ」
ザシャは絶句した。今、近衛が騎士団を攻めても良いことは何も無い。大方、
騎士団が王に反抗した、という様な事をでっち上げているだのあろうが、それは
むしろ王子を王位から遠ざける。
「……どこへ」
渇いた喉を鳴らしながら、ザシャは問う。
「王宮だ」
行くか?と問われ、ザシャは反射的に頷いた。ここにいるべきだと判ってはい
るが、事は自分にも関わる。ザシャはノルド国の伯爵位を持ち、今、こちらを見
上げている王女の婚約者でもあるのだ。形骸化してはいるが。
「タビー」
男が声をかけると、タビーが溜息をつき窓の側による。両手を大きく広げた。
「受け止めます」
「は?」
確かにザシャはタビーより年下だ。身長も彼女より低い。だが、ある程度成長
した体を持つ。それをそのまま受け止めるのは、危険だ。
「あ、魔術を使うから大丈夫」
思い出した様に杖を振ったタビーに、ザシャは脱力した。だが、悠長にしてい
る暇はない。
ザシャは解けた窓から足を出し、腰掛ける様な体勢を取った。
「いいですか!?」
「いつでも!」
タビーの声に、ザシャは思い切って壁を蹴った。風が耳元で音をたて、あっと
いう間に落下する。地面にぶつかる寸前、何か柔らかいもので受け止められた。
「っと」
弾かれて、体勢を崩した彼の手をタビーが握りしめる。
「大丈夫?」
「はい」
立ち上がって、ザシャは王女を見つめた。以前みた時と同じく、人形の様な硬
質の美しさ、だが今、その瞳は強い意志を秘めている。
「彼はフリッツ。学院の先輩で……」
変態、と続けたかったが、タビーは留まった。王女の前で下品な言葉を発する
訳にはいかない。
「すみません、助けて頂き、ありがとうございます」
「どういたしまして」
にやりと笑ったフリッツは、タビー達を振り向いた。
「時間がない、行こう」
王女は頷く。ザシャは促されて、王女の前に入った。
「行こう」
四人は走り出す。
目指すは、王宮だ。
■
近衛騎士隊が傭兵を連れ、騎士団を攻めているという報告は、ノルマン公にも
届いていた。
「馬鹿な!ディヴァイン公は気でも違ったのか!」
「殿下が共におられるとのことです」
「ルーファン殿下が?」
側近の言葉に、ノルマン公は青ざめる。
近衛が騎士団を攻めるのは、子ウサギが熊を襲う様なものだ。騎士団はこの国
の軍事、警備、犯罪の摘発等を一手に引き受けている。大きさからして近衛とは
差があった。王都にある騎士団本部はその一部とはいえ、近衛騎士隊を上回る人
数を抱えている。加えて、普通の建物に見える騎士団は、万が一の時に要塞にな
るのだ。国王や王族が襲われた時、騎士団が避難場所になるのは伊達ではない。
「理由はなんだ?」
「は、シュタイン公爵が王家に反乱を企てているとのことです」
「反乱……」
体の力が完全に抜ける。よろめいたノルマン公を、側近が慌てて支え、近場の
椅子に座らせた。
「馬鹿なことを」
「如何いたしましょう」
「直ぐに止めるのだ!」
貴族同士の私闘や戦いを止める場合、通常は勅使が使わされる。国王の名にお
いて、戦いを止めさせ、裁定をするのだ。だが、建国以来、貴族同士の私闘など
起こった事がない。勅使が使わされてしまえば、どうしても責任を取る者が必要
になる。通常はそれを嫌う貴族同士が適当な貴族を仲介して和睦するのだ。
今、国王は倒れ、王権の代行者は決まっていない。
故に、勅使はだせない。
不幸中の幸いだ、王子とディヴァイン公にとっては。どの様な理由であれ、戦
いを始めた方に非がある。
「誰か……いや、私が書こう」
ノルマン公は立ち上がると、執務机へ移動した。羊皮紙と羽根ペンを手にとり
速やかに戦いを止める様に書き記す。乾くのを待ちかねた様に、それを丸め、封
印を施した。
「これを、ディヴァイン公へ」
「かしこまりました」
側近が去って行くのと同時に、ノルマン公はがくりと体の力を抜いた。
「早まったことを……!」




