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シュタイン公爵と副将軍でもあるクノールは、海を眺めていた。
冬の海は昏い色、黒に見える。その沖合には、三日前までノルドの軍船が数え切れないほど並んでいたが、今はただ海だけだ。
「残骸も見当たらないとのことです」
二人の後ろにいるのは、フリッツ・ヘス。騎士団の参謀でもあるヘス男爵の息子で王宮魔術師達を率いている。行動に若干の難はあるが、少なくとも騎士団の不利益になることは一切しない。報告も正確だ。
「全部海の中、か」
船が沈めばその残骸が岸に流れ着くこともある。あれだけの軍船が一気に喪われた、残骸も残さないというのは尋常ではない。
「どうされますか?確認へ向かわせますか?」
「ミルドラッセがいる海に?」
フリッツの問いかけにクノール卿が応え、シュタイン公爵が無言のまま目を細める。
「どんな漁師でもお断りだろうな…ナードも駄目か?」
「数名の生き残りがいます。明日にでもこちらへ来るでしょう」
「明日?」
ナード砦が崩壊したのも、ノルドの軍船が消えた日と同じだ。普通なら直ぐにこちらへ来させる筈だが――――。
「生き残りでも、使えない者が多いと聞いています」
クノール卿は静かにため息をつく。
ナード砦は、ノルドの軍船を沈める前に中にいた海賊ごと崩落した。砦は大地から突き出た岬に建てられていたが、その根元に相当の力を打ち込まれ崩壊したと聞いている。直ぐ側にあるユガという街は、その振動で被害が出たほどだ。幸い住人達は軽い怪我で済んだようだが。
「証言出来る者を選別するのに時間がかかった様です」
「選別…」
現場を見てはいないが、クノールも若い頃にナード砦を見学に行ったことがある。あれだけ頑丈な砦でが一刻も持たずに崩壊にしたのだ、どうにか生きのびても心が壊れることも十分考えられた。であれば、ノルドが関与した経緯を証言出来るかはわからない。
「よく知っているな」
「ええ」
いささか硬いクノールの問いかけに、フリッツはうっすらと微笑みながら頷く。王宮魔術師の筈なのに、騎士団の様々な情報に精通している。父親から聞いているのかとも思ったが、父親が王都へ戻った後も特に変わらない。
もっとも、そんなフリッツを便利に使っているのは騎士団を率いるシュタイン公爵だが。
「引き続き、沿岸の調査を」
公爵からクノールへ指示がでる。無論、ただ残骸が漂着しているかの確認だけではない。
「承知いたしました」
■
タビーは、ゆっくりと目を開けた。
薄ぼんやりとした白い光、紗の様な青や緑がひらひらと動いている。
体は浮いている様にも思えるのに、全身は固まった様に動かない。呼吸はできているのだから、生きてはいるのだろうが――――。
「おはよう」
のぞき込んできたのは、馬。フェアアデファートンだ。腕や足や体は人の物、馬頭に四肢の先は蹄、最初に出会ったときは鎧姿だった。編み込まれた鬣と青毛の肌、歪だがそれがまた不思議と好ましい。
「ここ、は」
「お前の中だ」
「…」
そう言われて理解できるのは、前世の記憶があるからだろうか、それとも魔術師だからだろうか。とりとめもない事を考えて視線を動かす。
「もう少しすると、目が覚める」
「そう」
意識を失う前に己が成したことを思い出す。最果ての谷が抱え込んでいた力を解放し北の大地を蘇らせ、北から南、東から西へと抜けて砦を陥落した。そして――――。
「全部、海の中?」
「そうだろうな」
ファーはくるりと蹄を反す。
「戦争は、終わったんだね」
「それは我の知らぬことよ」
顔を上げ、彼は何も無い空を見上げる。
「久々にこの地を巡ったが、人は変わらぬ。いつもどこかで戦っている。魔獣がいなくなれば、人同士で相争う有様だ」
「うん…」
「こうなってくると、魔獣や魔人が残った方がいいとも思えるな」
「でも、彼らはまた蘇るんじゃないの?」
ヤンもそうだが、アンカーやベルーガ、リディをはじめとする魔人達は、大地の記憶の中でも戦っていた。今すぐではないにしろ、また復活する可能性はあるはずだ。
「どうであろうな。ヤンは魔力の扱いに長けていた。他の連中がヤンと同じ様なことを成せようか」
「ヤンは…」
「そこにいるではないか」
ファーはタビーの胸元に蹄の先を向ける。
「いつかは知らぬが、お前がこの世から喪われるとき。共に消えるだろう」
まぁ、既にヤンとしての意識などないだろうが、と続け、ファーはくるりと回った。
「さ、お前は十分休んだ。今度は我の番だな」
空気が揺れる感触がする。ファーの姿が空気に融ける様に滲んでいく。反対にタビーの体は少しずつ動く様になっていった。
「ご褒美を楽しみにしていよう」
笑い声の様な嘶きを残し、ファーの気配が消える。
瞬間、タビーの体は墜ちた。




