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タビーと騎士の犬  作者: 弾正
幕間32
1012/1043

1012★

「きゃああ!」

 波の様に寄せてくる地鳴りに、いくつもの悲鳴が響いた。

「家の外に出ろ!山側の連中は退避だ!」

 太い声はギルベルト伯爵のもの。彼がユガに連れてきた傭兵達も、民を誘導している。

「あれは…」

 小刻みな揺れの中、ジルヴェスターはユガの入口からナード砦を見つめた。

『明日にしよう』

 海賊に占拠されたナード砦、その奪還に向けてギルベルト伯爵が手配した重騎士の中隊と傭兵、冒険者の集団が全て揃ったのは三日前だ。援軍が増えたことを相手に悟られないため、砦側からは見えない様に少人数ずつユガへ入った。入れ替わる様にユガの住人達で希望する者は、護衛をつけた上で他の街へ避難を開始。これはわざと砦側に見える様に移動させている。街にいる騎士や傭兵が減ったと見せかけるためだ。

『明日?』

『ソルースだろ』

 ギルベルト伯爵によると、海賊は暦を大切にするらしい。縁起を担ぐのだろう、節目節目には海賊達が集まることも多いと言う。

『こっちからは見えんが、海側から随分出入りがある』

 ナード砦の海に面した側には崖につくられた階段がある。崖の下には大きくはないが船着場があった。近海の見回り用に作られた階段が海賊を招き入れたのは、不幸としか言い様がない。

『時刻は?』

『昼間だ。飯の後にするか』

 そうして決められたナード砦の奪還戦。

 その直前に青い光が空に現れた。見たことのない速さで砦に突っ込んだそれは砦の見張り台を破壊し、今は砦のあちらこちらを破壊している。

「んだ、ありゃ!」

 ジルヴェスターの傍らまでやってきたのは、ギルベルト伯爵。

「馬?」

「ええ」

 流星の様な青い光、それはよく見れば青い炎を帯びた馬だった。その上には、人影。ユガの街の上を横切った時には判らなかったが、今なら判る。

「先輩…」

「知り合いか?止めてこい」

 それは無理だ、と返す前に、ギルベルト伯爵は街へ向かって叫ぶ。

「全員、外に出ろ!山側には行くな!」

「ジルヴェスター様!」

 護衛のクロマイドが肩を掴む。

「危険だ、こちらへ」

 ジルヴェスターは砦の上で跳ねる青い炎の馬から目を離さず、無言のまま首を横に振った。

「ジルヴェスター様!」

 苛立つ護衛の声も彼の耳には響かない。

「に、ににに、逃げましょう、あぶ、あぶない、あぶない!」

 もうひとりの護衛であるラッツがジルヴェスターの腰にしがみつき、体を引く。

 震えながら砦に目を向けたラッツの目には、禍々しい黒い魔力を纏う馬と乗り手が映ってる。今までに感じた程の無い大きな魔力だ。

 護衛二人がかりでジルヴェスターの体を引っ張る。街からは残っていた住人や騎士、傭兵達が次々と逃げだし、山から少し離れた草原へと向かって行く。

「ひいっ!」

 ラッツが悲鳴をあげジルヴェスターから手を離し、その場にへたりこんだ。

「先輩!」

 青い炎の馬から、乗り手が飛び降りる。長い杖、逆立つ赤い髪、間違いなくタビーだ。

「先輩!」

 受け止めるべく走り出そうとした彼の前で、タビーは地面に杖を突き立てる。

 大地が、強く揺れた。

「伏せろ!」

「つかまれ!」

 怒号が飛び交う。

「先輩!」

 大きな揺れに転倒したジルヴェスターの前で、地面にヒビが入り出した。顔を上げれば砦近くの地面には巨大な亀裂が入り、砦そのものも傾いでいる。

「早く!」

 呆然としているジルヴェスターの腕をクロマイドが引き、どうにか立ち上がったラッツが中腰で背中を押す。

「ま、待ってくれ!」

 遠目にタビーの足下も崩れ出したのが見えた。反射的に手を伸ばした彼の前で、青い炎を帯びた馬が彼女を器用に拾い上げる。

「先輩!」

 その声をかき消すほどの大きな音をたて、ナード砦が地面毎崩壊し、海へと落ちていく。中にいた海賊のものか、怒号や叫び声が聞こえていたが、少したつとそれも消えた。最後に大きな揺れがひとつと叩きつけられる様な音、その後には静寂。

「先輩…」

「周囲を確認しろ!」

 騎士たちの声が響く。住人や騎士、冒険者達は全員無事な様だった。

「おい」

 呆然としているジルヴェスターの首根っこを掴んだのは、ギルベルト伯爵。凄まじい勢いで首を締め上げられ、彼はようやく周囲の状況に気づく。

「あ…」

 今のジルヴェスターは大隊長、私事で任務を放棄するなどあってはならない。表情を強ばらせた彼に鼻を鳴らし、ギルベルト伯爵は腕を放した。

「旦那様」

 ひょろりとした男が近寄ってくる。

「おう、どうだ」

「馬は全頭無事です。物資は殆ど持ち出せませんでしたが…」

「掘りゃ出てくるだろ」

「家屋が倒壊する可能性がありますので、推奨はできませんが…それより、あちらを」

 彼が指さしたのは、海の上。

 きらきらと光る何かが行き来をするたび、船が消えていく。

「嘘だろ、おい…」

 クロマイドの呟きは、その場にいた全員の気持ちだ。恐る恐る崖に寄ってきた人々は、遠目に軍船が消えていくのを見て立ち尽くす。

「終わりだな」

 誰かが口にする。

 何が何だか判らなかったが、誰もがそれだけは理解した。

 戦争は、終わったのだ。 

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