アマリにも
例に漏れず連載している小説などとは何の関係もありませんので暇つぶしにどうぞ。
留年した。
成績云々の話ではない。
高校を留年したのだ。
恐らくは、自分の意思で。
桜吹雪も止みかけた17歳の春。
私は、晴れて高一をリスタートした。
留年と言ったって、そんな大袈裟なものではない。ただ単に、私は昨年一年を旅に費やしただけである。
ああ、ちょっと学校にその旨を伝え忘れていたのは迂闊だったかも知れない。
でも、ある日突然旅に出たくなったのだ。それはもう仕方無い。
親は口出ししてこなかった。そうか、行ってこい。それだけ。
心配してくれているのが解る声音だったけど、私にとっては純粋に嬉しかった。
まあ。
無事に帰ってくることが出来たのだし、良いだろう。
私は足元にすり寄ってくるアマリの喉を撫でてやりながらそう考えた。
アマリとは猫のことだ。
真夜中を体現したかのような身体と森を閉じ込めたかのような瞳を持つ、私の愛猫。
旅の途中で拾った。と言うより、一緒に何日間か過ごす間に意気投合し、勝手に付いて来た。だから飼い猫ではない。私の友達のようなもの、という表現が一番近いだろうか。それも、生半可な血なんかよりも濃い絆を持つ親友だ。
彼は真っ黒な猫の癖に、わざわざ私の前をいつも横切るように歩く。これのお陰で、私はいつも不幸なのに違いない。
でも、その不幸を相殺しているように彼は私の危機のようなものを何度も救ってきた。
彼は頭が良いから、恐らく黒猫の伝承を知りながらそれをしているのだと思う。
それは危機を防ぐのも含めて。
恐らく、いたずら好きなのだ。
彼は私の飼い猫ではないのだから彼に首輪をつけたくは無かったが、万が一保健所なんかに連れていかれたら困るのは彼自身であろうと一応首輪をつけてもらっている。
すべすべとした艶のある黒い毛並みに映えるよう、赤色。首輪という感じがしないよう、細い革ひもにネックレスのように小さい飾りをつけたそれは、きっと彼も気に入ってくれているだろう。
実際、外そうと思えば外せるぐらいに彼のそれは緩い。
それでも外さないのはきっと彼がそれを気に入っているからだ、と私は勝手に思っている。
まあ案外、彼もこちらの意を汲んでくれているのかも知れないが。
私はすっきりと葉だけになった桜を見上げた。最近は毛虫の害が酷いらしく、近隣から伐採を叫ばれている桜。
何を思って毛虫をつけるのだろう、と考えた。
桜が自分から毛虫をつけるわけがないとは分かっているけど。
ああ不毛だ。
早々に私は思考を投げ出す。
何も得るものが無いことに思考エネルギーを費やす必要は無い。
そんなことが好きな人もいるのだろうが、私は好かない。
「アマリ、行こう」
にゃあ、と一声。
青でもない、緑でもない不思議な色が二つ、一度私の顔を見つめてからついと逸らされた。
そのまま歩き出す。
振り返らなくても、アマリはきちんと私の後を付いてきてくれている。だってそれは、旅の途中からずっとそうだったから。
学校のチャイムはとうに鳴ったが、学校だって私のような問題児を好きこのんで抱え込みたくはないだろうから、私はいつも学校に遅れて行くことにしている。
アマリも一緒に、だ。
最初のうちはペットを教室に連れ込むだの何だのとやいのやいの言っていた先生達も、私が一向に態度を改めないのを見て諦めたらしい。彼はペットじゃないし。
諦めたのか最近は何も言ってこないので、それを良いことに私はアマリを連れ込み続けている。
所は変わって学校の廊下。
ずるぺたずるぺたと廊下に反響して変な音を出す上履きを脱ぎたい衝動にかられながら、私は教室の扉を開いた。
「遅れました」
一言。
先生が首をちょっと動かして座れと促してくるので、私はそのまま窓際最後尾にある席に座った。
クラスメイトはもう慣れっこで、こちらに視線ひとつ寄越しやしない。
さて、座った瞬間から暇である。
授業自体は去年全く学校に来ていないのだから聞いたことのないもので、それが暇である理由ではないのだが。
何かにつけて去年の旅の事を懐古する私にしてみれば、学校というものはそれ単体が暇なところとして定義されてしまっているのである。
暇だ。
とんでもなく暇だ。
旅に出たい。
でも、二年連続はさすがに学校が黙っていないだろうから我慢する。
全ての授業を面白くすれば生徒はもうちょっと勉学に向かうだろうに、学校は一体何をやっているのだとそんなつまらないことを真剣に考えてみる。
ああ、やはり不毛だ。
寝ていた方がましだろうか。
自然に浮かんだ欠伸を噛み殺しもせずに、ふわあ。
「ん?」
にゃっ、と。
いつの間にか机に乗っていたアマリがそんな私の手のひらにぱしんと猫パンチをした。
じっとこっちを見るアマリを見つめ返し、疑問を感じた約三秒後に意味を理解する。
これは儀式だ。
私は彼の前足にもう一方の手を乗せた。彼の前足をそっと包むように。
そして目をつぶった。
深く考えずとも、いつもやっている生活の一部のように身体が動く。
思い出したこの一連の動きはアマリと私のひとつの儀式である。
意味は、「夢を見よう」。
この動きの後には、たとえどんなに眠くなくたって目を閉じ、眠らなければならない。
意味も、動きも、彼との旅の間にいつの間にか決まっていた。
さあ、後は眠るだけ。授業なんて関係無い。
周りなんか気にせずに私は机に突っ伏すと、眠った。
ふわふわとしたつかみ所の無い空間が広がる。
「夢を見よう」の儀式の後は、いつもこんな夢を見る。
夢じゃないかも知れないけれど。
ふわりと身体が浮く。
自由落下の最中のように、アリスが一緒に落ちているティーポットを見た時のように。
このまま不思議の国に行くのもまた一興。
でも、そうじゃない。この後の展開は決まっている。
「アマリ」
私は小さく呟いた。
「芽衣」
声が聞こえる。
アマリがそこに、いた。
しかし、いつものアマリでは無い。
全身黒の服に身を包み、その髪も黒く、目は森色で。
人間の年齢に換算すると丁度それぐらいになるのだろうか。
十八歳位の男の人が、そこにいた。
私と同じく、綿菓子のような空間でふわふわと浮かんでいる。
「久しぶり」
その男の人――アマリは、そう言って私の頭を撫でた。
「あんまり久しぶりって感じしないけどね」
毎日一緒だから。
上から見下ろされたことに対抗してむくれてみると、頭にのせられた手がさらに私の髪をぐしゃぐしゃにした。
完璧に、子供扱いされている。
「二年も生きてないくせに」
「だが実際僕の年齢をヒトで表すとこうなる」
芝居がかった口調でアマリがなかなか楽しそうに。
「上から芽衣を見下ろすのは楽しいよ」
呼ばれるのは私の名前。芽衣だなんて小洒落た名前、私には合わないのだけれども。
「で。今日は、どうしたの?」
いつまでもむくれているのも悪いかなと思った私は、アマリの言葉を無視して続きを促した。
「あー、いきなりそこに入る?」
今度はアマリのむくれた顔。
見た目はクールそうなのに、とても子供っぽい。
「んー。そうだね、いや、何か久しぶりだからしてみたんだけど」
特に用事はないかな、と。
アマリが儀式をするのは、決まって私に何か要望とかがある時。
私がこの空間を夢だと断定できない一端は、ここにある。
だって、夢が終わってから夢アマリに要求されたことを起きてから彼にすると、例外無く喜んでくれるのだ。しかもいつもなんか比じゃないぐらいに。
じゃあ、何も要望が無い今日は?
「暇だったの?」
私は訊ねた。
「ううん、違う。芽衣が旅から戻ってきてから、あれでしょ?儀式、してないでしょ?」
しかしアマリはそれを否定する。
にゃーごにゃーごと甘えるように。
まあ、こっちも嬉しいから良いんだけど。
ああでも、私の頭をくしゃくしゃにするのはやめて欲しいかな。
そのまましばらくしていると。
「そういえば、ねぇ」
アマリがじっ、と私の目を見てきた。
吸い込まれそうになって、ぱちりとまばたきに助けられる。
「な、何?」
「僕が勝手に思っただけのことなんだけどさ」
森色が更に、近づけられる。
「芽衣はさ、何か周りの人間たちに酷い目に遭わされてたりするの?」
何を。
何て。
もしかして。
瞬間、息が詰まる。
思考自体が一瞬停止した。
「ち、違うよ。そんなわけ、無い」
そうやって慌てたことを彼に勘付かせないよう、私は息を整えて言う。
「私が、ちょっと異質なだけだから。皆、私との接し方がわからないだけだから」
すらすらと。勢いのまま押し返すように。
必要以上に言い訳っぽくなってしまったのは、きっと図星に近いところを突かれてしまったからだ。
「うん。大丈夫だよ、大丈夫。それに、私にはアマリがいるんだし」
アマリにそれを気付かせるな。
隠せ。彼に迷惑をかけてはならない。
そんなことをしたら、彼と私は友達では無くなってしまう。
「うん。なら良いけど」
アマリは。
ふうとそれきり、興味を無くしたように。
私はため息を吐いた。
良かった。彼にバレずに済んだ。
「でも、何かあったら言ってよ?」
心配そうな顔のまま、アマリ。
「うん」
言った瞬間、脳裏にフラッシュバックした。
ちょっと目を離した隙にカッターか何かで外からは見えないように丁寧に切られていた筆箱。悪意ある切り方。
私はごくりと唾を飲み込んだ。
気取られてはいけない。
まだ、避けられてるだけならアマリに迷惑はかけない。
はず。
ほっと一息吐いた私は、終わりを持ち出した。
「ねえアマリ、長いこと寝てるのも不自然だから、そろそろお開きにしない?」「ん、わかったよ。僕も儀式の途中で起こされるのも嫌だしね」
頭にのせられていたアマリの大きな手が、私の目を覆う。
「じゃあ芽衣、帰りたいって思って」
言われた通り。
帰りたい。
帰りたい。
帰りたい。
どこに?
フラッシュバックする。
わざわざ消えるようにシャーペンで小さく落書きされていたノート。
いたずらともとれるような軽い内容だった言葉では、私がいくら訴えたところで先生は取り合ってすらくれないだろう。
いくら信念があっても、学校にとって私はただの問題児だ。
ねえ。
本当に、帰りたい?
ひゅっ、と喉が変な音を立てる。
「文理?」
アマリの声。
「なんでも、ない」
ああ、帰りたい。
どこに?
暖かい家に、帰りたい。
両親の元に、帰りたい。
ふっと、意識が薄れた。
夢の中なのにおかしいな。
そう思った。
「ん、うぅ」
小さく呟く。
ぱちりと私が目を覚ますと、もう休み時間で。
相変わらず誰一人として起こしてくれる人もいなくて、私は安堵と同時に落胆した。
他の人にまた「いたずら」をされていなかったからだが、声をかけてくる人がいないと言うことは、状況は好転もしていないからだ。
まあ、しょうがないか。
私はノートすら出していない机を見ると、再びそこに突っ伏した。
どうせ暇なら。
先生すら起こしてくれないなら。
残りの授業を全部寝て過ごすぐらい。
そして、放課後になった。
ようやく教室から解放されて、私は学校から一刻も早く出ようとカバンを手に取った。
ところで、違和感。
「あれ」
アマリが、いない。
いつから?
記憶をたどる。
はっきりと断定はできないが、恐らくは、夢から覚めた時には既に。
何で気付かなかったんだろう。
確認するまでもなく、いつもアマリが私と共にいたからだ。
いつか私は、彼が私に付いてくるものだと断定していた。
そんなわけ無いのに。
彼は、どこに行ったのか。
わからない。
彼の行動はあまりにも普通の猫と違いすぎていて、だから私には彼がどこに行ったのか全く見当がつかない。
探す?
そうしよう。
彼がいなくては学校に来ることが出来ないぐらいに、私は彼に依存していた。
耐えられない。
なるべく生徒たちに目を合わせないようにして、私は廊下を急いだ。
視線が突き刺さるような気がする。
本当は痛くないはずなのに、見られている背中が酷く痛んだ。
建物の中を探し尽くした私は、建物より広い学校の裏庭を這いずり回っていた。
確かに面積は広いが、人の目が少ないので校舎よりも楽に探し物をすることができるように思う。
半ば森のようになっているそこは、最近熱くなり始めた太陽光を丁度良いぐらいに遮ってくれる。
「アマリ、出てきて」
何度も繰り返した台詞を、また。
「アマリ」
ざっ、と、背後から草を踏む音。
「へぇ、こんな所にいたの」
びくりと跳ねた私にかけられる言葉は、今最も聞きたくない声。
私に「いたずら」をしている、首謀者。
おそるおそるといった体で私が振り向くと、なぜか勝ち誇ったような表情で。
「猫を探してるんでしょ」
何で知ってるの、という言葉は飲み込んで。
「そ、そうなの。どこに行ったか、知らない?」
何か裏にあるんだろうな、と顔を暗くしながら、代わりにそう訊いた。
「ええ、私は」
出来るだけ顔を見ないように、見ないようにと下を向いている私にも分かる。
今の言葉には、嘲笑が含まれていた。
口が渇く。
うまく言葉が出ない。
「じゃ、あ、誰か、知ってる人」
「も、知らないわ。私は」
毎回のように付け足される「私は」をどう考えて良いのか分からないまま、しばらく私とその子は黙り続けていた。
「あ、来たみたい」
誰が、と訊く勇気があったら私は今頃友達を作れている。
だからその子が顔を向けた方向を何も知らずに見て、さっと顔から血の気の引くのを感じた。
アマリだ。
そこには、アマリと、彼の首輪をつかんで立っている女の子。
そして、その女の子の後ろから二、三人。
「アマリっ」
大丈夫、とか、怪我はない、とか、色んな事が喉元で詰まる。
渇いた口に邪魔されて出てこない。
「この猫、アマリって言うんだって」
「余り物のアマリ?可哀想な名前」
沈黙をどう取ったか、好き勝手に話し出す女の子たち。
「ち、違っ」
「ねぇ、この猫あたしたちにくれない?」
「そうそ。あなたより私たちに飼われてる方がこの子も幸せでしょ」
「やっ」
「名前も変えなくちゃね」
「余り物じゃ可哀想だもん」
本当に、好き勝手。
私の言葉もろくに聞かずに、どんどん話は進んでいく。
「ほら、ごろごろごろ」
既にアマリは女の子たちの腕の中。抱かれて、喉を撫でられている。
「やっ、アマリ、アマリっ!」
「あーあ、泣いてるよ」
「酷い名前付けといてさ」
違うのに。
違うのに。
ひとつひとつの言葉が重い。
物理的な力を伴って、私に刺さってるんじゃないかと思うほどに。
「違う、違うの。アマリは余り物じゃない」
物語の中じゃ熱いものが頬を伝うなんて言うけれど、これはそんな綺麗なものじゃない。
視界を歪めて、それより先に出てくる鼻水をすすって。
「アマリをっ、放して!!」
途中にしゃっくりが入った。
格好がつかない。
案の定、女の子たちは笑い始めた。
恥ずかしい。
涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔が更に赤くなる。
私はうつむいた。
恥ずかしいよ。
ひとりになるとこんなにも無力だよ、アマリ。
だから、戻ってきて。
「痛いっ!」
ふいに、アマリを抱いていた女の子が叫んだ。
「え、何?」
別の子の声。
ふうっ、と激しく息を吹くような音が聞こえた。
うつむいた私の視界に、黒い尻尾。
「アマリ?」
しゃあっ、と、噂に聞く猫が怒ったときの声が聞こえる。
「怒ってるの?」
私の前で、女の子たちに顔を向けて。
背中の毛を立てて、もう一度。
しゃあっ。
「わっ」
そう叫んだ後、アマリはすごい勢いでたたたっと私の肩まで駆け上がると、私の顔にその黒い尻尾を勢い良く叩きつけた。猫パンチもおまけで。
あまりの勢いにぐらりと傾いだ頭を立て直す。
今、何を。
にゃっ。
少し強い語気でそう鳴かれ、呆然としていた私はゆっくりとその意味を咀嚼した。
そして、泣いているぐずぐずの顔を無理やり笑顔にする。
その後私は、アマリの頭をぽんぽんと軽く二回叩いた。
これも、儀式だ。
意思の疎通をするための、中身の無い儀式。
「『笑え』っ、て、」
しゃっくりは止まらずに。
「アマリは、本当、どこまでも優しいね」
強張った笑顔はまだ、直らなくて。
ほっと一息吐いた瞬間、私の目からぼろぼろと涙が大量に。
止まらない、それ。
幸せな涙。
「アマリ、アマリ」
私は彼を抱きしめた。
彼がまた私の元に戻ってきてくれたことが、とんでもなく嬉しい。
「その猫、マオを引っかいたの!!」
だから、すっかり記憶の端っこに追いやっていた声。
「先生、先生!」
何人かが大声で先生や生徒を呼び立てる。
さっきまで恥ずかしさで赤くしていた顔からざあっと血の気が引いたのがわかった。
果たして先生は、無関係な生徒は、この状況を見て校則違反の問題児と傷を負ったただの女子生徒、どちらを善とするだろうか。
結果は火を見るようだ。
「どうしよう、アマリ」
私は肩のアマリに訊ねた。アマリは何も答えずに、しかしその森色をせわしなく動かして現状の把握をしているように見える。
「アマリぃ」
声が情けなくべそをかきはじめた。
慌ただしく動き出す空気。
こういう時の対処法とか、何一つ知らないのに。
「どうしたら、どうしたらいいの?」
女の子たちは私のことなど目もくれず、向こうで血を流している女の子の手当てを必死にしている。
端から見れば、私が完全な悪人だ。
にゃぁお。
肩から鳴き声。
にゃぁお。
にゃぁお。
連続して、私に何かを訴えかけるように。
はっ、と気付いた。
まだしたことのない儀式。
意味さえ知らない儀式。
夢の中のアマリに教えてもらったそれは、絶対に記憶に刻み付けるようにと言われたもの。
「アマリ、」
しゃっくりは止まった。
その儀式は簡単だ。
アマリの呼び掛けに対して、彼の名前を呼ぶだけ。
「天利、健人」
人間のようなそれは、本当の彼の名前。
途端、酷い立ちくらみに襲われた。
立っていられなくなる。
夢のあの世界のように、ふわふわと上下が曖昧になる。
三半規管からの吐き気に必死に耐えながら、私は何が起こったか考えた。
「芽衣」
夢の中のような浮遊感。
それが抱き止められたことによるものだと気付いたのは、視界が安定してからだった。
「アマ、リ?」
人間の姿で、彼はそこにいた。
私をその身にもたれかからせて。
私は疑問で一杯になった。「夢?」
真っ先に推測したのはそれ。
しかしアマリは首を横に振って否定した。
「現実だよ、芽衣」
芽衣、芽衣と彼に何度も名前を呼ばれる。
それを聞いているうち、私の目からはみっともなく涙が落ちた。
「ごめん、ごめんね、アマリ」
私、と一息をおいて。
「アマリに迷惑、一杯かけちゃった」
彼がなぜ人間の姿なのかとか、そんな野暮なことは訊かない。
重要なのは、
「だから、もう友達じゃないよぅ」
と、いうこと。
語尾が小さくなる。
認めたくなくて。
昔の「友達」に迷惑をかけたときに言われた言葉が蘇ってくる。
「迷惑をかけたら、それは友達じゃないのっ、て」
思えばあの時からだ。
あの時から私は、人と接するのが怖くなった。
今までの友達を次々に失うような気がして。
「そんなの、誰が言ったの?」
だから、アマリの言葉にきょとんとした。
「昔の、友達だった人」
結局その人にも私は迷惑をかけてしまい、友達じゃなくなってしまった。
「迷惑をお互いにかけあうの、は、ただの依存だって、言ってた」
一度止まったしゃっくりが、再び。
そんな私を見ながら、アマリは少し表情を険しくした。
そして、しばらく黙り込んでから、
「でも、迷惑をかけあってこそ友達なんじゃないかな」
うーん、と首をかしげながら言った。
「少なくとも僕は、芽衣のことを気の置けない親友だと思ってるけど」
小難しい言葉まで使って。
「ほら」
気付いたように。
「友達って、お互いが『友達でいたい』って思ってる状態のことだと、僕は考えるかな」
そして、私を泣き止ませるために彼は私の背中を優しく何回か叩いた。
「ねぇ芽衣」
ふっと顔を緩めてアマリはそう言った。
「逃げようか」
ぴくり、と私の身体が反応する。
どこからなんて、訊く方が馬鹿だ。
「で、でも、先生とか、お母さんとかっ」
ただでさえアマリは相手に傷を付けているのだ。
前のようにすんなりとはいかないに違いない。
「大丈夫。ねえ芽衣、昔っから黒猫は魔女の使いなんだよ」
それでも芽衣を傷つけた奴にこんなことしたくないんだけどね。
そう前置いて、彼はまだ先生の来ていないことを確かめてから、怪我をした女の子に向かって手をかざした。
「うん、これでもう大丈夫」
何もなかったことになるよとろけるような笑顔で彼はそう言ったのだった。
「お父さん、お母さん、話があります」
その日、飛ぶように逃げ帰った私は、開口一番こう言い放った。
そばには猫に戻ったアマリ。
「私をまた、旅に出させてください!」
私に、学校は合いません。
はっきりと、今度は両親の目をじっと見ながら言い切った。
数日後。
私は猫姿のアマリと共に学校にいた。
願いは満場一致で却下されたのだ。
代わりに、定期テストで今までの二倍の成績を取れたら、もしくはアルバイトで旅に行けるほどの資金を貯められたら行っても良い、と言われた。
だから今は、嫌々ながらだけど学校もちゃんと通ってるし、放課後はアルバイトに精を出している。
「アマリ」
にゃご?
二つの森色が、こちらを向いた。
「まだ、ずっと、友達でいてね」
たしたしとほっぺたに猫パンチ。
当たり前。
そう言っているように、私は感じた。
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