スポーツ選手の性加害は許されるべきか?
あるサッカー選手が、性加害を行ったにもかかわらず日本代表に選ばれていることで大きな批判を受けています。しかし彼は被害者側と和解し罪に問われなかったため、お咎めなしでよいという意見もあります。我々日本人はこの問題をどのように考えるべきなのでしょうか。
当然彼は性加害の事実から逃れることはできません。一方、あくまでそれに対立する意見として、「スポーツ選手はどこまでその潔癖性を求められるか」というものがあります。たとえばその人気を少なからず性的な潔癖さに依存しているアイドルや俳優などは、少しの浮気・不倫すら強く批判される傾向にあります。これは彼らが「完璧に支持者の要求に応える潔癖な性的アイコン」であるからです。
ただし、スポーツ選手はその人気を性的な潔癖さではなく、スポーツの技能に依存しています。さらに極端な例を挙げると、国家の存亡を賭けた大戦争中に、明らかに突出して有能ながら不倫疑惑がある将軍を粛清するのは明らかに国を滅ぼすわけです。もちろんサッカーで負けてもおそらく国は滅びませんが、選手の技能と彼の性的な潔癖さは関係ないのです。ただし、選手が明らかに犯罪行為を行った場合、彼は法治国家においては「犯罪」として「逮捕」されます。この状況になってしまえば試合に出られないのは当然のことです。ただしそこまででなくとも(今回の場合は和解しているため、公式には「罪」ではないわけですが)、性的に潔癖でない選手をプレーさせるのが問題であるのはなぜでしょうか?
これはスポーツチームは本質的に「人気」を生存理由としているからです。たとえばサッカーチームは、軍隊や工場や農家のように、社会に必ずしも必要なものではありません。あくまで余興としてサッカーを楽しむ集団が、自分の所属する集団を代表するものとして支援しているにすぎないのです。つまりスポーツチームはそれが代表する集団の規範をある程度守ることを求められます。もし彼らが属する国に「人をレイプしてはならない」という規範があれば、それを守らなかった選手は支持を失うのです。
当然この基準が不適切に運用されないために国家側も「法律」でそれを厳格に規定しようとしますが、そもそも国家の中には現在の国歌の法律に不満を感じながらもしぶしぶ国家に従っている人もいるわけです。まとめると、今回問題となっている選手は我が国の規範から逸脱したのではないかという疑惑を持たれつつも、結局国はそうではないと判断したということになります。
つまり国民としては当該選手を支持すべきであるのですが、さらに個人的な意見として支持せず、むしろ国や国を代表するチームを批判することもでき、そして我が国はそのような批判が比較的許される国柄なのであります。これは民主国家として認められるべき権利です。しかし前半で論じた通り、個人的な良心から当該選手を許せるかは、国としてそれを許せるかとは別の話です。これは「代表選手としては許せないが、我が国の法律が不適切であると主張するほどでもない」というような程度の批判である可能性もあります。結局、我が国や多くの現代国家において、性的に完全に潔癖であることが強く求められ、それを少しでも逸脱した者は(特に社会的地位の高い者は)強い批判を受けることは間違いないようです。




