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第四の選択肢は、降ってきた奇跡ではなかった――一万世の積み上げそのものが、契約のハッキング手段だった

 ――お前たちは、何を、見つけたのだ。

 アズラエルの問いが、引き取られないまま、青さの中に、残っていた。

 問いは、まだ、青さの中に、残っていた。


 ——お前たちは、何を、見つけたのだ。


 アズラエルの発話は、置かれた拍のまま、引き取られずに、そこに、あった。


 一万世、問われる側は、私だった。純度を問われ、覚悟を問われ、刻限を告げられてきた。観測者の側から、答えを待つ問いが置かれたのは——一万世で、これが、初めてだった。


 私は、答えの言葉を、探さなかった。


 探す必要が、なかった。答えは、言葉より先に、もう、書かれていた。


 私は、彼の方へ、向いた。


 彼の胸の高さに、薄い一枚が、あった。左鎖骨の、薄荷の痣のある高さ。書き終えた朝に、彼が、自分の手で、そこに置いた一枚。


 彼は、私の視線の先を、辿った。辿り終えるより早く、彼の手は、動いていた。


「——見せるのか」


「見せる」


 短い問いと、短い応えのあいだに、迷いの拍は、なかった。


 一万世前の泉のほとりで、答えを探してくれと頼まれたのは、私たちの側だった。見つけた答えを、見せない理由は、どこにも、なかった。


 彼の手が、胸の高さから、一枚を、取り上げた。取り上げた一枚を、私の方へ、差し出す。受け取る指先に、彼の指先が、触れた。一万世、世の最初の検収のたびに確かめてきた指先が、今は、確かめるためではなく、渡すために、触れていた。


 触れた指先のあいだを、熾火が、行き来していた。回収の流れでは、なかった。貸し借りのない、毎瞬の、行き来だった。


 一枚は、軽かった。羊皮紙より、薄い。一万世の帳簿の、どの頁よりも、軽い。その軽さの上に、一行だけが、載っていた。


   *   *   *


 私は、アズラエルの縁の前に、立った。


 一万世、私は、この縁から、受け取り続けてきた。純度の桁。残量の宣告。刻限。器の供給の、停止の予告。受け取る側に、私は、一万世、立ち続けてきた。


 今、初めて、渡す側に、立っていた。


 一行は、今朝、声として、観測者の帳簿に、記録されていた。けれど、書かれた一枚そのものを、観測者は、まだ、読んでいなかった。声は、記録できる。——書かれた答えは、読むしか、ない。


「——これが、答えだ」


 私は、一枚を、差し出した。


 アズラエルの輪郭が、一枚の上へ、傾いた。


 読む、という動作を、観測者がするのを、私は、初めて、見た。一万世、観測者は、計る者だった。聞き、計り、記録する者だった。読む者では、なかった。


 明けきった青さが、一枚の薄さを、向こうから透かしていた。透けた薄さの上で、文字だけが、濃く、残っていた。


 一枚の上には、あの一行が、並んでいた。


 ——私たちは、消滅したくなかった。ただし、消滅を、お互いに、押し付けたくなかった。だから、お互いを、生かし続けるために、契約を、引いた。


 長い一行では、なかった。けれど、アズラエルは、長く、読んでいた。


 読みの長さを、私は、計りかけて——やめた。計らないまま、待った。


 彼が読んだときよりも、長かった。一万世と、その前の、ただ一度きりの生の分まで、遡っていく長さだった。


 読み終えた輪郭の上で——動きが、来た。


 揺らぎでは、なかった。


 一万世、私は、観測者の揺らぎを、数えてきた。二度目の揺らぎ。三度目の揺らぎ。ひとつ前の世の終わりの、止まらなくなった震え。どの揺らぎも、観測者の意図の外側から、来ていた。


 今のは、違った。


 輪郭の上端が、低く、降りて、静かに、戻った。意図を持った、最初から終わりまで、ひと続きの動き。


 何かに、似ていた。


 ——頷き、だった。


 人間が、人間の言葉を、受け取ったときの、頷き。


 一万世、刻限を告げてきた縁が、計測の外の動きを、初めて、自分から、取った。その動きを、私は、桁に置かないまま、受け取った。


「——これが、お前たちの、答えか」


 発話の拍は、無機質のままだった。保たれた拍の底に、一万世ぶんの照合の重みが、沈んでいた。


   *


 私は、応えた。


「——これは、三つの道を、まとめて、書き換える、一手だ」


 継続。終了。書き換え。観測者の提示した三つの道は、どれも、契約の内側の道だった。装置が在り続けるか、消えるか、形を変えるか。——三つとも、装置を、装置のまま、扱っていた。


「継続でも、終了でも、書き換えでもなく、——契約の、本当の目的を、思い出す、ことだ」


 彼の声が、隣から、続いた。


「——契約は、本来、俺たちを、生かし続けるために、引かれた」


 泉のほとりの、夕暮れ。水面ごしに、ひとつの消滅を看取った、若い二人。消えないための装置を、自分たちで引こうと決めた、最初の生。その景色が、彼の声の下に、敷かれていた。


「——ところが、装置の運用が、俺たちを、殺し続ける形に、誤作動していた」


 誤作動、という語が、青さの上に、置かれた。


 王宮の刃。写字室の、八年の咳。海沿いの踏切の鉄。海面下の青さ。——愛のいちばん高い拍を、死で回収する運用。生かすために引かれた装置が、殺すことでしか、回らなくなっていた。


 私は、続けた。


「——誤作動を止めるには、装置を壊すのでも、書き換えるのでもなく、——私たちが、契約の、本当の目的を、毎瞬、思い出し続けることだ」


 答えの一行は、帳簿の外側に、書かれていた。


 契約は、帳簿の内側の、すべてを縛れる。純度を。刻限を。器の供給を。記憶と忘却の、振り分けを。けれど、帳簿の外側に書かれた一行には、契約の、どの条項も、届かない。


 届かない場所から、一行は、契約のいちばん底を、照らし返す。


 外から、壊すのではない。条項の上から、書き換えるのでもない。装置のいちばん底に、最初から置かれていた目的を、内側から、思い出させ続ける。——帳簿の外側の一行だけが、その仕事を、引き受けられた。


 一万三回目の世で、私は、答えのない問いの置き場所を、初めて開いた。あの置き場所は、もう、この朝のために、開かれていた。開いた私が、それを知らなかった、だけだった。


 問いは、世々を渡って、磨かれ続けた。彼は、写字室の世の終わりに、熾火の一筋を、流れに逆らわせて、私へ返した。あの一筋が、階梯の、最初の段になった。


 彼が、一万六回分の熾火を、同時に私へ送り出した朝、最初の輪が、外れた。記憶と忘却の境を、二人で滅した朝、二つ目が、外れた。愛の拍は、死の回収から、毎瞬の交換に、置き換わった。


 ——どの一段も、答えの一行へ、向かっていた。


 向かっていたことを、私たちは、登り終えてから、知った。


   *


「観測する」


 アズラエルの発話が、来た。


「——契約の、第四の輪が、外れた」


 残っていた、最後の輪。自らの手で、生を、断つことの、禁止。一万世、いちばん底に置かれ続けてきた輪。


「——自死禁止の輪を、お前たちは、自死の禁忌ではなく、生の禁忌として、書き換えた」


 外れた、と、書き換えた。ふたつの動詞が、同じ発話の中に、並んでいた。


 最後の輪は、壊されて外れたのでは、なかった。


 一万世、その輪は、外からの禁止として、私たちを縛ってきた。死んではならない、という縛り。今、その輪は、同じ場所で、向きだけを、変えていた。禁じる対象が、死では、もう、なかった。——生を、手放すこと。お互いを、生かし続ける手を、止めること。


 外からの禁止が、内からの誓いに、なった。誓いに変わった輪は、縛りとしては——外れた。


 契約の鎖の、最後の輪が、外れた。


   *   *   *


 青さの中央に、沈黙が、降りた。


 計測の沈黙では、なかった。三つの縁が、同じ向きを、確かめ合う沈黙だった。


 私は、言った。


「——第四の道を、引く」


 引く、という動詞は、一万世前の泉のほとりで、最初の装置を引いたときと、同じ動詞だった。消えないために引いた手と、同じ手で、今度は、生きるために、引く。


 彼の応えが、来た。


「——引こう。今度は、目的を、見失わないまま」


 アズラエルの発話が、続いた。


「——観測者の任は、まだ、解かれていない」


 無機質の拍のまま、観測者は、自分の位置を、告げた。


「——第四の道の、最初の観測を、私が、引き受ける。お前たちが、本当の目的を、思い出し続けるかどうか。それを、観測する」


 三つの縁が、ひとつの合意の上に、立った。


 被観測者が、二つ。観測者が、ひとつ。最初の生の泉のほとりで結ばれた、三つの位置のまま。けれど、観測されるものは、もう、死の純度では、なかった。——生の、継続だった。


 アズラエル自身の、空の欄は、まだ、空のままだった。あの相手が、何故、消えたのか。その答えは、この一枚の上には、なかった。観測者は、空の欄を抱えたまま、それでも、第四の道の隣に、立った。


 彼の縁が、私の方へ、寄った。寄った縁の中で、彼の口元に、笑いの形が、あった。泉のほとりの、若い男の笑いに、近かった。私の口元にも、同じ形が、戻っていた。


 道の引き方は、まだ、白紙だった。


 器を、どう取り直すのか。世を、どう続けるのか。設計の手順は、ひとつも、まだ、引かれていなかった。


 白紙が、怖くなかった。一万世、白紙の設計図は、次の死までの距離だった。今朝の白紙は、次の生までの、距離だった。


 手順は、次の朝から、引けばいい。今朝は、道の向きだけが、決まれば、よかった。


 一万世、設計図の最初の一行は、いつも、死の刻限だった。第四の道の設計図の、最初の一行が何になるのかを、私は、まだ、知らなかった。知らないまま、その白紙は、温かかった。


   *


 答えの一枚を、私は、彼に、返した。


 彼の手が、受け取って、もとの高さに、戻した。左鎖骨の、薄荷の痣の高さ。


 しまっておく場所では、もう、なかった。毎瞬、思い出すための、いちばん近い場所だった。


 明けきった青さの中で、私は、一万世を、振り返った。


 王宮の大広間の刃。修道院の写字室の、蝋燭と咳の拍。神殿の屋根の縁の、嵐。草原の、銀の腕輪。海沿いの踏切の、鉄。海面下の、青い光。——そのすべての底に、ふたつの動詞が、置かれていた。生かしたい、と、生かされたい。


 三百の問いを、毎夜一行ずつ、磨いた三十年。問いの全部が、ひとつの答えに収束した、あの夜の底。震える手で、計らないまま引いた、最初の一画。


 もし、一万三回目の世で、最初の問いを、開かなかったら。もし、三十年、毎夜、問いを磨かなかったら。もし、彼が、あの世の終わりに、設計図の外側へ、手を、伸ばさなかったら。もし、観測者が、答えを探す側に、立ち続けなかったら。


 ——あの一枚は、書かれなかった。


 書かれない一枚は、どの道も、開かなかった。


 三つの道の前で、立ち尽くしたまま終わる朝も、あり得た。あり得た朝の数を、私は、計らなかった。計らないまま、書かれた一枚のある今朝に、立っていた。


 第四の選択肢は、降ってきた奇跡ではなかった。


 ——一万世の、積み上げ、そのものだった。

 第四の選択肢は、降ってきた奇跡ではなかった。――一万世の、積み上げ、そのものだった。

 自死を禁じる最後の輪が、生の禁忌へと書き換えられて、外れる。三者の、合意の上で。

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