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三題噺

めでたくもあり、めでたくもなし【三題噺】

作者: 駿河晴星
掲載日:2026/01/24

三題噺のお題は「旅・支・手」。

どこで使われているか、探してみてください!

「女将、ありませんよぉ」


 枕棚を漁りながら明希子あきこは、踏み台の下で見守る女将に助けを求めた。


「そんなはずないけどねえ。毎年そこに仕舞っているはずだから。去年のは?」


「去年ってなんでしたっけ?」


「辰よ、辰」


「ああ、ありますよ。辰って書いた箱。卯もあるし、酉もあるし、今年の巳だって……あれ、重たい」


 明希子は「巳」と側面に書かれた箱を前に引き出し、蓋を開けた。中には、黄ばんだ薄葉紙に包まれた置物が入っている。おかしい。だって、「巳」の置物は、まだ料亭の玄関に置いてあるのだから。


 慌てて、でも破らないように気をつけながら、明希子は薄葉紙を剥いでいった。


「あ、あ、女将さん!」


 明希子は二段ある踏み台をタタンと降りた。


「ちょっと、危ない!」


 女将のまっすぐに引かれた細眉が歪むのなんか、興奮した明希子には見えていなかった。


「ありましたよ、来年の! 午年の置物!」


 明希子の両手には、白馬を模した磁器製の干支置物が乗っていた。白い体躯には筋肉に沿って影が落ち、碧く彩色されたたてがみや尾毛は風を受けたようにやわらかになびいている。右前肢は高く上げられ、今にも走り出しそうだ。


 先々代より受け継いできた置物を十二年ぶりに目にし、女将は頬を緩めた。


「よかったわ。見つかって」


「巳年の箱に入っていました」


「あら、どうして今年の箱に入っていたのかしら。未年の箱ならわかるけれど」


「確かに。前回片付ける時に間違えたなら、次の未年の箱ですよね」


 二人して、うーんと唸る。


 薄い板壁を抜けて、垣根の向こう側から、下校中の子どもたちの声が響いてくる。その瞬間、明希子の頭に一人の少年の顔が浮かんだ。


「わかった! 坊っちゃんですよ!」


 坊っちゃんとは、次の春で小学六年生になる女将の息子のことである。


りつ?」


「ほら、夏休みの宿題で、馬の絵を描いていたじゃないですか。この置物、あの絵にそっくりです!」


「そうだったかしら」


「きっと、そうですよ」


 坊っちゃんは、絵のモデルにするために午年の置物を取り出した。そして、使い終わった後、元に戻そうとして、間違えて巳年の箱に入れたに違いない。


「でも、前回の午年の時、あの子は〇歳の赤ちゃんだったのよ。この馬を見たことなんて……」


 ふと、女将の顔が険しくなる。


「先代のしわざね?」


 女将はたすきを解くと、着物の袖の皺を伸ばした。足早に向かう先は、先代――つまり彼女の父親のところだろう。


 親子喧嘩に巻き込まれてはたまらない。明希子は他人事のような顔をして、自分の仕事に戻ろうと踏み台に足をかけた。


 すると、すでに廊下に半身を出した女将が言う。


「そういえば、明希ちゃん。年末年始はどうするの?」


 明希子の心臓がとくんと跳ねた。


「そうですね」


 明希子の口は、それっきり動かない。


「まあ、今年もこの街にいるなら、おせち作り、手伝ってくださいな。みんな、あなたが煮る黒豆が大好きなのよ」


「ああ、はい。ぜひ」


 口角を引き上げた明希子は、立ち去る女将の足音を聞きながら、巳年の箱を下ろした。





 女将の家は親戚が多い。先代の兄弟が五人いて、その子どもや孫がみんな集まるものだから、三十人以上の人間がひとつ屋根の下でどんちゃん騒ぎである。


 普段は、料亭でおしとやかにつつましくお客様に対応している女将も、板場で厳粛に、時に若手に檄を飛ばしながらこの世のものとは思えないほど美しい一皿を生み出す板長も、お客様が見たらひっくり返ってしまうのではないかと思うほど騒がしく、大口を開けて酒瓶を空けている。


 人が集まれば、噂話にも花が咲くというもので、支店を任された兄弟・従兄弟たちも一緒になって、お客様のことをペラペラ、ペラペラ話しているのである。


 そんな人間味が溢れすぎている場を見るのが、明希子は嫌いではなかった。


 ここには、人の温もりがあった。


 ピンポーン。


 インターフォンの音がするが、酔っぱらいたちは誰も立ちあがろうとしない。坊っちゃんやその従兄弟たちが走って玄関に行ってしまったので、明希子はあわてて追いかけた。


 戸を開くと、そこには、黒い中折れ帽を被ったスラリと背の高い老夫が立っていた。


「あー、瀬川せがわのじいちゃん!」


 坊っちゃんが叫ぶ。先代の親友で、毎年正月に挨拶にやってくる瀬川源一郎(げんいちろう)だった。


「あけましておめでとう」


 瀬川の挨拶に応えて、子どもたちも「おめでとーございます!」と合唱する。しかし、挨拶もそこそこに、子どもたちの両手が前に伸びていた。


 彼らの期待に応えるべく、瀬川はチェスターコートのポケットに手を入れ、中から数個のポチ袋を取り出した。もらった子から、大喜びで家の中に戻っていく。「お礼は?」と明希子が言うと、ちょっとだけ振り返りながら、でも足を止めることなく「ありがとう!」と笑った。


 彼らはなんて幸せなんだろう、と明希子は思う。


「あけましておめでとうございます」


 子どもたちがいなくなってから明希子は深々と頭を下げた。瀬川は雇い主の大切なご友人、というだけでなく、料亭のお得意様でもある。礼を尽くさなければならない。


「あけましておめでとう」


 声が頭上から降ってきて、明希子はようやく顔をあげる。


 すると――。


「どうぞ」


 目の前に、ポチ袋が差し出されていた。


「そんな! もういただけません!」


「まあまあ、少しだから」


「もう二十歳です! 正真正銘、大人になりましたから」


 昨年と一昨年は、もう成人したのだと伝えても、「僕のころは二十歳が成人だったから」と押し切られてしまったのだ。しかし、今年こそ断らなければならない。


 瀬川は残念そうに、ゆっくりと手を下げた。


 よかった、ちゃんと断れた。そう明希子が思ったのも束の間、瀬川は意味のわからないことを言い出す。


「門松は冥土の旅の一里塚」


「え?」


 瀬川の視線は、玄関横に飾られた立派な門松に向けられていた。


「門松というものは本来めでたいものですが、飾るたびに年を重ね死に近づきますから、僕たちのような年寄りにとっては、あの世に向かう一里塚のようなものだという意味です」


「一里塚……」


「昔、旅人のために等間隔で設けられていた目印のことです」


「はあ……」


「門松は冥土の旅の一里塚、めでたくもありめでたくもなし、と一休宗純は言ったそうですが、でも正月はめでたい方がいいじゃないですか」


「そう、ですね?」


「だからね」


 左手首を掴まれる。瀬川の言葉の意味を探っていた明希子は反応が遅れた。ハッと気がついた時には、左手の中にポチ袋が収まっていた。


「先ある若者に良いことをしたと晴れやかな気持ちでありたいんです。年寄りのプライドを守ってやってください」


 瀬川は明希子の横をすり抜け、家の中に入っていく。


 結局、断ることができなかった。そんな自分を情けなく思いながらも、明希子は口元を緩めた。ポチ袋には、かわいいユニコーンのシールが貼ってあった。


 子どもの時、欲しくて欲しくてたまらなかったお年玉。成人してからの方がもらえるなんて。明希子は両手で包みこむようにポチ袋を持ち直した。

最後までお読みいただきありがとうございます!


本作は、「旅・支・手」をお題とした三題噺です。

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