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その日はたまたま、取引先がカフェの近くだったこともあり、お昼時にふらりと店に立ち寄った。
まだ啓人さんは寝ている時間だろうと思ったけれど、たまにはきちんと客として店に行き、金を落とさなければならないような気がする。
啓人さんがいると自分が飲食した分の代金すら受け取ってもらえないから、こういう時に店の売り上げに貢献したい。
「いらっしゃいませ~!…あ、この間の。」
「こんにちは、その節はどうも。おかげさまであの後無事に会えました。」
「よかったです、あの日夜にもう一度来店されたって聞きました。店長と仲がいいんですね。」
「う~ん、どうかな…、俺は仲良くなりたいけど、迷惑になってないといいな。」
「いやぁ、もう全然、全然!店長もひとり身になったばかりで人恋しい時期ですから、会いに来てくれる人がいるだけで大喜びですよ。」
「そうかなぁ、…だといいけどね。啓人さんて人あたりがいいけど、時々わざと皮肉で言ってるんじゃないかって思うような発言するから、なんだか訳が分からなくなってきちゃって。」
「あぁ~…、確かにそういうところありますよねぇ…、でも店長ってホントに本心しか言わないっていうか、裏表がないだけなんで、言われたままを素直に受け取っていいと思いますよ。」
「そうなんだ、じゃあ俺も、あんまり邪推しないように気を付けようかな。」
「はい、それがいいと思いますよ。」
「ありがとう。」
一瞬無言でお互いに落ち着いて、レジの女性スタッフが慌てたように両手をバタバタさせた。
「わっ、やだっ、私、注文も取らずに話し込んじゃった。すみません!」
「いえいえ。」
「何にされます?」
「ん~、この前のフルーツティおいしかったから、今日もそれにしようかな。サイズ大きい方で。」
「かしこまりました、よろしければそちらのカウンター席へどうぞ。すぐお出ししますね。」
カウンター席に座ると、少ししてグラスをもってカウンター越しに目の前にやってきた彼女が、コースターの上に注文したフルーツティーを置いて、ごゆっくりどうぞと言った。
「あ、私、日勤の香住と言います、よろしくお願いします。」
「どうも、佐野燈士です、よろしくね。」
「あ、あなたが燈士さんだったんですか?ひな…、夜勤のスタッフが最近よく来てくれるって話してて。」
「あぁ、あのイケメンのお兄さん!そうなんです、最近よく会うんですけど、俺が行くとすぐにカウンターの奥に行っちゃうから、直接話したことはまだあんまり無くて…。」
「へぇ~…、佐野さんて、ひながイケメンに見えるんですね?雰囲気だけはイケメン風な感じはするけど。」
「イケメンでしょう?…いや、わかんない、推しに似てるからそう思うだけかな?少なくとも俺はかっこいいなと思うけど。」
「え、佐野さんの推しって誰なんですか?」
「Luminous Echoってバンドグループ知ってる?そのドラムの人なんだけど。」
「あ、オウくんっ!?」
「そう!知ってるんだ!」
「知ってます、知ってます!まぁ、オウくんがかっこいいのは分かります。」
「だよね、夜勤の子、何となく雰囲気とか見た目が似てるなぁって思って。」
「ん~、なるほど、佐野さんはひなみたいな男がタイプなんですね?」
「まぁ、まぁ、まぁ、見た目はね、…タイプかな。中身はあんまり知らないし。」
「ふふっ、佐野さんのそうやって正直に教えてくれるところ、好きですよ、私。」
「やぁ、俺普通に言っちゃってるけど恋愛対象がさぁ、アレで…、うん、まぁ、嫌悪感とか持つタイプだったらごめんね、先に謝っとくよ。」
「いえ、むしろ大好物です、そういうの。…こんなこと言うの失礼かもしれないけど。」
「あっ、そうなの?ううん、全然失礼じゃないよ。姉に君の事紹介したら泣いて喜びそう。」
「え、お姉さんも…?」
「うん、昔っからね。」
「へぇ!ぜひ今度一緒に来てくださいね!」
「ふふ、うん、そのうち連れて来るよ。」
「やった!……あぁ…、私ずっとひな×店長推しだったんですけど、ひな×佐野さんも応援したくなってきました。」
「えぇ!?すごいな、腐女子の妄想力…。」
「燈士くん、今日はフルーツティなんだ。」
「うわっ!びっくりしたっ…。」
香住さんと話し込んでいるところに、急に背後から声を掛けられてびくりと体が強張った。
振り返ると、イタズラが成功した子供みたいに、少しだけ口元をニヤリと歪ませている啓人さんの姿がある。
心臓の上をさすってわざと睨みつけるような顔でそちらを見やると、驚かせてごめんと素直に謝ってきた。
「今日は紅茶の気分なの?」
「佐野さん前回もフルーツティでしたよね?」
「ん…、うん。」
「へぇ、僕がいない時は紅茶なんだ?」
「うん…、もともと紅茶が好きで。」
「え、ごめん、もしかしていつも紅茶飲みたいなぁって思いながらカフェモカ飲んでくれてた?」
「ううん、ううん!そんなことない!啓人さんの淹れてくれるカフェモカもすごい好きだし!」
「そっか、よかった。」
「うん…、うん?…あの、いつもおいしいカフェモカごちそうさまです。」
「いえ、気に入ってもらえてうれしいです。」
「あぁ…、佐野さん×店長も押せるかも。」
「ふふっ、相変わらずだなぁ、ことりちゃんは。」
「啓人さんて、“ひな”とか“ことりちゃん”とか、スタッフの事鳥に例えて呼ぶの好きなの?」
「え?いや、そんなことないよ。ただ、ふたりは名前がそうなだけで。」
「名前がそう…?」
「あ、私名前がことりなんです。和楽器の琴に旋律の律でことり。ひなは、苗字が雛木なので、みんなひなって呼んでるんですよ。」
「あ、そうなんだ、珍しい。…ことりちゃんってかわいい名前だね。」
「あざーっす。」
でへへっ、と頭を掻くポーズをしながらニマニマ顔を作って言う琴律ちゃんをみて、思わずふっと口元が緩んだ。
このカフェは、いつ来てもこちらを楽しい気分にさせてくれる。
本気で、今度は姉を連れてきてもいいなぁと思いながら、結露したグラスの中のストローを吸った。