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3

天窓から差し込む光の弱まってきた、まだ薄明るい夏の終わりの夕方。

アトリエの白い壁を背景に、仕上がったばかりの制作物のバランスを確認し、微調整する。

おおむね満足のいく完成度まで持ち込んで、ふぅ、と一息ついてから、後片付けに取り掛かった。


「よう。」

「…よう。」


ふいに背後から声を掛けられて、手を動かしながら、顔も上げずに返事をする。

弟想いの姉の事だから、作業中もしばらくそこからタイミングを見計らっていたのだろう。


「…どしたん、姉ちゃん。」

「ん~、…さすがに心配になるでしょ、落ち込んでないかなって。」

「あぁ…ね、…まぁ、落ち込んでないっていったら嘘になるけど、意外と大丈夫だよ。」

「そっか。…この後なにかある?ご飯でも行かない?」

「あるけど、いいよ。戻って来てまた作業すれば間に合うから。」

「うん、じゃあこの辺で済まそっか。」

「ん。」


姉のあかりは、こういう時、俺に会いに来る唯一の肉親だ。

家族にカミングアウトをした時から、両親とは折り合いが悪くなってしまった。


当時、俺の性自認に対する両親の嫌悪感、その怒りの矛先は、なぜだか姉の趣味にまで波及した。

同性愛をテーマにしたそれらのものが、弟のジェンダーに悪い影響をもたらしたんじゃないかって。

そんなことはないといくら俺が主張しても、聞き入れてもらうことはできなかった。


怒り狂う父親に部屋にあったものすべてを捨てられたって、姉は泣きもしなかった。

ただ、ごめんって、目も合わさずに俺に言った。

罪悪感の渦の中心に、這いつくばって耐えているような顔だった。


違うよ、姉ちゃんのせいじゃない。

俺は生まれた時からこれまで、女の子を好きだって思ったことは一度もないよ。


だけどその声は届かない。

それ以来ずっと、姉は俺に対して負い目を感じ続けている。



「うちのデルモがさ、バレンタイン、企画部の男性社員に高級チョコあげてたらしいよ。でも進展してる感じないから、燈士いってみたら?」


デルモ、と言うのは姉の働く広告代理店の同じ部署に配属されている後輩営業マンのことなのだが、なんでもイケメンが過ぎてモデルとしか認識できないらしい。

どっかのキャラクターみたいで可愛いでしょ、とデルモと呼び始めた彼の事を、姉は疲れた時の甘いコーヒーかなにかだと勘違いしているようだ。

癒しをくれるだけの存在だと思ったら、火傷しますよお姉さん。


「…いや、いってみたらってなんだよ、接点ないし普通に無理でしょ。」

「あはっ、そっか、デルモが弟になるなんて、めちゃくちゃ俺得なシチュエーションだと思ったのに。」

「残念でした。それは俺が姉ちゃんに、ルミナスのオウくんと結婚してって言ってるようなもん。」

「…るみなすってなんだっけ?」

「えっ!Luminous Echo…俺の推しじゃん、一緒にライブ行ったことあるじゃん…。」

「あぁ~、そっか、ごめん、めっちゃ忘れてたわ。…でも、あれもうだいぶ前の話じゃない?」

「うん、まぁ、そうだけど。…ほんっと姉ちゃんって自分のシュミじゃないもんに関心ないよね。」

「うん、脳内が妄想で忙しくて他の物が入るスペースないのよ。」

「はぁ、…まぁ、姉ちゃんの脳内だから何を詰め込もうと姉ちゃんの自由だけどさ。」

「そうでしょ?」


皮肉交じりの俺の言葉に、何を当たり前のことを、とでも言いたげな顔で返される。

姉はこの話に興味を失ったらしく、ドリンクメニューをテーブルの端のスタンドから引っ張り出して広げた。


「ねぇ燈士くん、食後のドリンクはいかが?」

「ん、うん、…カフェモカある?」

「えっ、燈士って紅茶派じゃなかったっけ?」

「最近コーヒーに目覚めた。…甘いの限定だけど。」

「ふぅん…、あ、カフェモカあるよ、ホットオンリーで。」

「じゃ、それで。」

「うぃ。」


数分もしないうちに運ばれてきた、じゃりじゃりとした甘みのあるコーヒーを啜って、“これじゃない”と思った。


あの温かく心を満たす一杯が、恋しくてたまらない。

それと同時に思い浮かぶ顔がある。

今頃、あの人は元気にしているだろうか。

俺の癒しの概念を変える一杯を淹れてくれた人。


立ち直るとまでは言わずとも、こんなふうに心配して顔を見に来てくれる誰かが居るといい。

そうでなければ俺は、あの日連絡先も交換せずにあの人と別れたことを、後悔してしまいそうになるから。


あの夜から、ひとりで泣きくれて迎える朝はなかっただろうか。

誰かに寄り添って欲しくて、潰れてしまいそうな夜はなかっただろうか。


そういう事が心配になるくらいには、あの人が俺の心の深いところに入り込んで、根を下ろしはじめている。

そうして、ふとした瞬間にこうやって、時々顔をのぞかせてくるのだった。



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