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責任をとる、と言った真修くんのことが信用できないわけじゃない。
だけど対“人の感情”に関して、こちらの気持ちだけではどうすることも出来ないという事くらいは、理解しているつもりだ。
いくら人の感情を動かすことに長けた真修くんと言えど、今回ばかりは責任の取りようがないのではないか。
彼が、人心掌握の術を身につけたメンタリストでもなければの話だけれど。
そもそも、今回の俺たちの間に起こったあれこれに関して、真修くんの責任になるような出来事は何ひとつとして存在していない。
だから今日手に入れたばかりの彼の連絡先には、話を聞いてくれたお礼と感謝、またご飯でも一緒に食べようという、当たり障りのない、だけど本心から思っている事を、メッセージに送っておいた。
そこから返事がないまま、深夜近くになって、携帯が震える。
メッセージの受信を知らせるそれとは違い、規則的なバイブレーションが断続して振動した。
ソファの脇に置いていた携帯を手に取り、発信元を確認する。
そこに表示された思わぬ人物の名前に、おもわず息を止めてしまった。
しばらく呆然と携帯の画面を眺めていると、やがて留守番電話に切り替わるアナウンスが流れ、着信が途切れた。
“吉野 啓人”
初めて着信履歴に載ったその名前を眺めて、指先でなぞる。
そのまま画面を閉じられないでいると、再び携帯が同じリズムで振動を始めた。
今度こそ、震える指先で緑のボタンを押し、耳にスピーカーを押し当てた。
「も、…もしもし、…燈士くん。」
スピーカー越しに届いた数週間ぶりのその声は、まるで寒さに凍えているみたいに聞こえた。
それを聞いて、携帯を握る手の震えが少しだけ治まる。
数秒の間をおいて、もしもし、と答えると、啓人さんが、ひゅっと息を飲んだのが分かった。
「……燈士くん、今更になってこんなふうに連絡してごめんね。」
「う、ううん、…大丈夫だよ、…俺も連絡しなくてごめん。」
「…僕があんなひどい事したんだから、連絡したくなくなって当然だよ。君は悪くない。僕が、もっと早くに連絡するべきだった。」
「俺が話を聞こうともせずに飛び出してっちゃったせいで、連絡とりづらくなってたんでしょ?」
「…ちがうよ、なんて言ったら君を引き止められるか思いつかなくて、今の今まで連絡する勇気が持てなかっただけ。」
「…。」
電話越しに、啓人さんが大きく息を吸い込んで、また、震える息を吐き出すのが聞こえる。
燈士くん、とはっきりとした声で呼ばれて、緊張感が増した。
『僕がこんなこと言うの、間違ってると思うけど』そんな前置きをして、彼が言葉を続ける。
「会いたいんだ、…すごく。燈士くんに、会いたい。」
言い終わって、はっと、息を吐ききる啓人さん。
その言葉を聞いて、心臓がドッ、と激しく音を立てた。
一瞬で色々な感情が胸に押し寄せて、渦を巻きながら心をかき乱していく。
「…なんで…、じゃあなんで、あの時俺の事拒んだの?」
結局、俺が一番聞きたかった事というのは、この質問の答えだったのだろうか。
一番最初に口から出た疑問の言葉に、自分でも納得できないでいる。
だけど理由が知りたくないわけでもないから、投げかけた問いかけの言葉を引っ込めることはせずに、答えを求めた。
「……。」
「…ほかの人と、過ごして帰って来たから?」
「違う、それは全然関係ない。…確かに、あの日、彼に嫉妬しなかったわけじゃない。でも、それは燈士くんを受け入れられなかった理由とは違う。」
「だったらっ!教えて欲しい、理由だけでも知りたいよ。そうしないと俺、ちゃんと納得して終わらせられない。…俺、何がダメだったの?」
「…ダメだったところなんてないよ…、燈士くんは、何も悪くない。全部、僕が悪い。」
「え…?」
「…僕の問題に君を巻き込んで、傷つけてしまった。…ごめん、ごめんね。」
「謝られるだけじゃわかんないよ、ちゃんと理由きかせてよ。…俺はあの時、なんで受け入れてもらえなかったの?」
ぐっ、と息を飲み込む音の後、しばらくの沈黙。
意を決したように発せられた啓人さんの声は、か細くて、泣いているみたいに震えていた。
「………燈士くん、僕、言っちゃったんだ。」
「な、にを…?」
「……辛くなったら戻っておいでって、…真実に、言っちゃったんだよ…。」
「え…。」
「いつでも戻れる場所にしておくって約束してしまったから、真実が幸せにやってるってわかるまで、裏切るみたいな事出来なくて…。」
「…。」
「本当は自分でももう、燈士くんが居なかった頃のようには戻れないってわかってる。…だけど真実が戻って来たとき、それを疎ましく思う様な自分では居たくない。だからと言って、君を受け入れた後に手放すことになるなんて、そんなの絶対に嫌なんだ。…君に、2度も同じ方法で傷ついて欲しくない。」
「…。」
「燈士くんが居ない毎日は辛いよ。でも、今はまだ、真実を見捨てる覚悟がもてない。……燈士くんに、決着がつくまで待っててなんて、そんな無責任な事も言えない。…だったら、…僕、…僕は、…どうしたらいい?」
啓人さんの胸の内を聞いて、答えは出ていないのに、納得は出来た。
彼は俺の事を、ぞんざいに扱っていたわけでは無いし、取るに足りない存在だと考えていたわけでもない。
自分の持っているものと同じ感情を抱いてくれていた事を知り、それゆえに踏み出せなかった事実を知って、そして自分が、彼からいかに大切に想われていたのかを理解した。
自分達がこれからどうすべきかなんてそんなこと、俺にだって分からない。
だけどきっと、答えはもう、すでに啓人さんの中にある。
どうすべきかではなく、どうしたいか。
それが、俺たちがこの先取るべき行動の答えなんじゃないかと思うんだ。
「啓人さん。」
「…。」
「俺が会いに行かなかった間、啓人さんが1番多く頭に思い浮かべてたのは誰?会いたいって、1番強く思ったのは、誰?」
―……燈士くん……―
震える声で、確かに啓人さんは俺の名前を呼んだ。
その答えが訊けたら、もう十分だった。
「待ってて、今、行くから。」
深夜2時、たどり着いたカフェの入り口のドアには、夜明け前にも関わらず、CLOSEの看板が掲げられている。
暗い店内を覗くと、カウンター席で頭を抱えて小さくなっている啓人さんの後姿が見えた。
入り口の扉を勢いよく開き、中に入り込む。
ハッとして振り返った顔、その瞳が、母親を見つけた迷子のように揺れている。
啓人さんはイスから立ち上がり数歩だけ近づいたところで、こちらにたどり着く前に、足から力が抜けたように片膝をついてしゃがみ込んでしまった。
手首を口元に当て、とうとう泣き出してしまった彼の姿を見て、急いでそばまで駆け寄る。
その体をぎゅうっと包み込んで背中を撫でながら、まるで自分を慰めているような気持ちになった。
「啓人さん、…会いたいって言ってくれてありがとう。」
黙って涙をこぼしながら、すっぽりと俺の腕に包まれた啓人さんが、こくりと肩口で頷く。
「大丈夫、…俺、待てるよ。真実さんは絶対に幸せになるって知ってるから、いつか啓人さんが迷いなく俺の隣にいてくれる日が来るって信じてるから、待てる。…だから、言ってよ、決着がつくまで、隣で待っててほしいって、言って。」
啓人さんが、涙を拭って腕を俺の背中にまわし、強く抱き返してくれた。
ぎゅうっと力のこもった腕に、どうしようもなく愛おしさが込み上げる。
「………あ、燈士くん、…僕のそばに、いて。」
耳元でささやかれた言葉に、ただ黙って、頷いた。




