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カランカラン、と控えめな音を鳴らして開く扉。

カウンターの中で器具を磨いていた啓人さんが、『いらっしゃいませ』と顔を上げる。

俺をその視界に捉えたとたん、目を丸くして、それからすぐに柔らかく微笑んだ。


「いらっしゃいませ、燈士くん。来てくれてうれしいよ、ちょうど今ひとりで暇してたところなんだ。」

「よかった、手ぶらで来ちゃったけど、話し相手くらいにはなれそうだ。」


いつものカウンター席に腰かけて、持っていた車の鍵と携帯をテーブルに置いた。

目の前までやってきた啓人さんの手には、すでにカップが握られている。


「いつものでいい?」

「うん、お願いします。」


啓人さんがミルクピッチャーにミルクを注いで、こちらをみる。

ついさっき思い知らされた、あの熱い感情が再び沸き立ち、恥ずかしさから他へと目を逸らしてしまった。

 

「ちなみに燈士くんて、はちみつ大丈夫?」

「うん、大丈夫どころか、好きな方。」

「了解。」

「…なんで?はちみつ入れてくれるの?」

「うん、ハニーシナモンでアレンジするね。」

「なにそれ、おいしそう。」

「でしょう?気分が落ちてる時にぴったりの味なんだ。」


『へぇ、楽しみ』と返事をして、冷静になって考える。

まだ何も言っていないのに、啓人さんはなぜこんなにも的確にこちらの状況を把握しているのだろう。

だけどもう一度頭の中で状況を整理してみて、簡単な事だと気付く。

普段この時間に訪れない人物が、ほとんど寝巻みたいな格好をして手ぶらで訪ねて来るなんてそんな状況、考えうるパターンは限られているのだ。


苦笑して、差し出されたナッツをつまむ。

程よい塩気が今の気分にちょうどよかった。


「おまたせいたしました、どうぞ~。」


カウンターの向こうから、並々と泡が注がれたカップを差し出されて、お礼を言いながら口をつける。

カフェモカのハニーシナモンアレンジだなんて今までに試したこともなくて、甘さがぶつかり合ったりしないのかと、少し心配になった。

けれど、そこはさすが啓人さんと言うべきか、別々の甘さが上手く共存できるバランスを熟知している。


今日のカフェモカは、チョコレートのコクとはちみつの優しい甘さが調和して、奥行きのある味わいの一杯だ。

そこにシナモンのスパイシーな香りが一体感を持たせてくれる、今の自分にピッタリな味だった。


「はぁ…、めちゃくちゃおいしい、最高。」

「よかった、お口に合ったみたいで。」

「ん~…、俺が今まで飲んだコーヒーの中で一番美味い。」

「わぁ、褒め殺しだ。」

「ふふっ、だって本当に美味いんだもん。」


何も言わなくても理解してくれる、そんな啓人さんの存在に心から安堵する。

優しく笑いかけて来るその瞳が、“どうしたの?”って問いかけて来るみたいに思えて、気が付けば俺は、素直にその答えを語り始めているのだった。


「俺さぁ、今日、なんか嫌な夢見て目が覚めちゃってさ…、寝付けなくなってここに来てみたんだよね。でも、こんなにおいしいコーヒーに出会えるなら、あの夢に起こされてよかったかも。」

「……だから泣いたの?」

「え、…。」

「…コーヒーを気に入ってくれたのはすごく嬉しいけど、僕的には燈士くんが幸せな気分でぐっすり朝まで眠れる方がいいなぁ。」


少し眉を寄せた困り顔で、カウンター内のテーブルに両手をつきながら、啓人さんが肩を竦めて言った。

まるでこれまでの俺の状況を、すぐそばから見て知っていたかのような発言に、見透かされているようでドキリとする。


「…なんでわかったの?」

「ん~?燈士くん、鏡見ないで来たでしょ?右目の横に痕ついてるよ。」

「えっ!ウソっ!」

「ふふっ、ホント。…でもまぁ、そんな夜もあるよね。僕も最近よく眠れなくてさ。」

「…なんで?」

「ん~、人肌が恋しいのかなぁ…。」


カウンター内をダスターで拭きながら言う啓人さんに、自分だけが弱い部分を持っている訳ではないのだと、安心させられる。


「ふっ、そっか、人肌ね…。」

「ベッドの中が温かいと、よく眠れるでしょ。」

「ふふっ、うん、そうだね。」

「はぁ~、…ひとりで眠るのって、こんなに難しいことじゃなかったはずなのに。」

「…夜さみしいなら、俺が添い寝してあげようか?」

「え?」

「え?」


話している内に、だんだんと少しづつ気分が上向いて来るのを感じる。

笑いながら冗談も言えそうな気になって、ポロリと口をついて出てきただけの軽口。

そこに大した意味なんてないはずなのに、何故だか啓人さんが過剰に反応を示した。

一瞬で顔を上げた彼と少しだけ無言で見つめ合い、妙な沈黙が流れる。


「……いいの?」


啓人さんの想定外のセリフは日常茶飯事だけれど、彼からこんな返答がくるなんて、予想すらしていなかった。

驚きに口の中が乾いて、声が小さくなる。


「え、ごめん…、冗談のつもり、だったけど…。」

「なんだ…、そっか。」

「え、したかった?添い寝。」

「まぁ、それでよく眠れるようになるか試してはみたかったかな。」


どういうつもりで彼がそんな発言をしているのか真意が分からないまま、この興奮して落ち着かない気持ちをどうやって隠し通せばいいのだろうかと考えあぐねる。

ドがつく天然タラシの啓人さんの事だから、本当に文字通り人肌が恋しいだけなのかもしれない。

だけど少なくとも彼は、俺と添い寝をすることに抵抗感が無いという事を示してくれている。

その事実を嬉しく思って何が悪い。

条件なしで好きな人と触れ合える、こんな絶好のチャンスに喜ばない男がいるものか。


「……いいよ、しても。」

「え?」

「え?」

「…いいの?」

「啓人さんと違って俺、2回も全く同じ事言わないよ。」


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