C's コーリング《04.弱虫なわたし 3/3》
雨はいつのまにか止んでいた。
散々流した涙も止まり、わたしは落ち着きを取り戻していた。そうして自分の足でしっかり立って、わたしはお父さんと向き合っている。
「お父さん、今日は本当に色々あったの。つらくて、怖くて、何回も泣いちゃった。……でも、スズカちゃんに出会って、スズカちゃんに助けてもらえたから、こうしてお父さんとちゃんとお話しすることができたんだよ」
「そうだね。そのスズカちゃんは、麻陽だけじゃない、お父さんも……いや、私たち家族を助けてくれたんだ。しっかりお礼を言わないとね」
お父さんに言われるままに周囲を見回す。
でも、スズカちゃんの姿は見当たらなかった。
「あれ?」
雨が降っていたから、濡れないようにトンネルの中に戻ったのかもしれない。
そう思って、わたしがトンネルを覗きに行くと――――。
「えっ、スズカちゃん……?!」
そこにはスズカちゃんが、意識を失った状態で横たわっていた。
スズカちゃんの唇は青くなっており、浅い呼吸を繰り返している。すぐに病院に連れて行かなければならないことは明らかだった。
わたしはすぐにお父さんを呼んだ。
「お父さん!! スズカちゃんが!! スズカちゃんが!!」
「これは、す、すぐ救急車を呼ぶからね――――」
お父さんが携帯電話を取り出し救急に連絡すると、幸いにもこの公園が病院や消防署に近い地区だったことから、救急車はすぐに到着した。
救急の人はお父さんに聞き取りをし、お父さんは簡潔にそれを答えた。
スズカちゃんの携帯電話は先ほどのショートのような現象で壊れて動かなくなっていたので、家族へ連絡するのは後回しとなり、代わりにお父さんの連絡先を伝えて、スズカちゃんはそのまま救急車に乗せられ運ばれていく。
お父さんが救急車への同乗を求められなかったのは、救急の人が泥水に塗れたわたしの格好を見たからかもしれない。
羽部に殴られた時、スズカちゃんはその衝撃で倒れる程だった。スズカちゃんが意識を失った原因は、間違いなくわたしを助けてくれたことにあるだろう。
今日出会ったばかりだけど、わたしの中で、スズカちゃんの存在はとても大きなものになっている。もしもスズカちゃんに何かあったらどうしよう。何もなかったとしても、今回のことで、スズカちゃんに嫌われてしまったらどうしよう。わたしは何よりも、彼女を失ってしまうのが怖くなっていた。
わたしとお父さんが一度帰宅した後、身支度を整えて一時間後くらいだろうか、病院からお父さんに電話で連絡が入った。わたしたちはその電話で伝えられた搬送先の国立病院に車で向かうことになった。
程なくして病院に到着したわたしたちは、しかし面会が出来ずに救急の待合室で医師の連絡を待つことになった。
待合室にはわたしたちの他にスーツ姿の男性が一人、つらそうに頭を抱えて座っていた。お父さんは気づいていない様子だけれど、この人がスズカちゃんの父親であることをわたしは直感した。わたしたちより先に来ているということは、スズカちゃんの持ち物に、連絡先を記したような何かがあったということだろう。
わたしは手を伸ばして声をかけようとしたが、何と声をかけたら良いか分からず、伸ばした手を胸元に引き戻すしかなかった。
二時間程経過した頃、医師らしき風貌の眼鏡をかけた男性が待合室に入ってきた。彼は風貌に違わず医師で間違いないようで、それからスズカちゃんの父親らしき人と小声で長々と話をした後、二人でわたしたちのところにやってきた。
「鈴花さんを見つけ、救急に連絡してくれた方々です。お話を聞く必要があったので来て頂きました」
医師がそう言ってわたしたちを紹介すると、「鈴花の父で、友枝克也です。ご連絡感謝します」と彼はお父さんに名刺を差し出し深々とお辞儀をした。お父さんも名刺を取り出し、カツヤさんに差し出す。
「この子……麻陽の父で、碧海研司と申します。頭を上げてください。私は謗りを受けることはあれど感謝されるような人間ではございません。娘さん、スズカさんがこのようなことになった原因は全て私にあります。私が至らないばかりにこのようなことになってしまいました。本当に申し訳ございません……!」
お父さんがトモエカツヤさんよりも深くお辞儀をし、私もそれに合わせて深く頭を下げた。原因と言うなら、お父さんよりもわたしだ。
わたしがスズカちゃんに助けを求めなければ、わたしの事情に巻き込まなければこんなことにはなっていなかったのだ。何か言わなければ、わたしが原因なのだから、何か言わなければ、そう思えば思うほど言葉に詰まり、声を発することができずわたしは体をガタガタと震わせていた。
「皆さん頭をお上げください。鈴花さんの容態ですが、意識も戻り、現在は点滴により快方に向かいつつあります」
その言葉に、わたしとお父さんは頭を上げ、安堵のため息をついた。カツヤさんも同様に頭を上げたが、先に聞かされていたのか、首を何度か縦に振るのみだった。
お父さんが名刺をしまう前に裏返した際、わたしにもその名刺に書いてある名前が見えた。漢字では『友枝克也』と書くらしい。……友枝スズカちゃん。名前の字はどのように書くのだろう。
「その、碧海さんに確認したいのですが、救急の者に、鈴花さんが女性に殴られたと仰ったそうですね。本当ですか?」
その言葉に克也さんはギョッとしてお父さんの方を見る。
「はい……。私自身直接は見ていませんが、本人がそう言っていました。それに……この子はその状況を見ているはずです。麻陽、ごめんな。その時のことを話せるかい?」
わたしが頷くのを見て、わたしの目線の高さに合わせてしゃがんだ医師に、公園に辿り着いてからの状況を話して聞かせた。
わたしを追ってきた女性に啖呵を切って殴られ、衝撃で体が浮いて倒れるほどだったこと。それでもその後立ち上がって、わたしを守ろうとしてくれたこと。お父さんが来て女性は去ったが、気づいた時にはトンネルの中で意識を失っていたこと。医師は度々相槌を打ちながら話を聞いていた。
「アサヒさん、本当に鈴花さんは倒れる程の力で殴られていたんですか?」
「本当です! わたし、ちゃんと見ました……」
話を聞いた医師は立ち上がり、お父さんに向き直った。
「碧海さん、娘さんは何歳ですか?」
「昨日七歳になったばかりです」
「そうですか……。いえ、これが本当ならすぐにでも警察に連絡する必要があるんですが……」
医師は困ったように自分の頭を少し掻いた。
「鈴花さんは、衰弱してはいたものの、大きな外傷も内傷も見当たらないんです。あっても小さな擦り傷くらいです。麻陽さんの言うことが嘘だとは言いません。ですが、八歳の子供が、本当に体が浮いて倒れるほどの力で殴られていたなら、出血はもちろん、鼻骨、頬骨や顎骨の骨折や外傷、血腫、脳挫傷など、あっても何ら不思議ではないレベルなんです」
その言葉を聞いて、わたしは背筋が凍る思いだった。
お父さんも表情から同じ気持ちであることが窺え、克也さんは「ひっ」と小さく悲鳴を上げ口元を押さえていた。
医師は「衰弱の方の原因は過度なストレスや体温の低下によるものではないかと考えています」と付け加え、次のように続けた。
「アサヒさんもまだ幼く、話を聞くに、この時は精神も不安定な状態だったのでしょう。錯乱して、何か見間違えてしまった可能性は大いにあると思います」
そんなことはない、と思う。今も鮮明に思い出せる、今日のあの出来事がわたしの妄想? そんなはずはない。そんなはずは……。
「あっ、あのっ、先生、鈴花の意識は戻っているのでしょう? あの子は自分の見たことをちゃんと話せる子です。私は鈴花が心配で心配で、早く顔を見て安心したいのです。この話はその後で、落ち着いてから鈴花に直接聞いたらわかることじゃないでしょうか……」
克也さんが言うことはもっともだった。確かに、意識が戻っているなら本人に確認するのが一番早い。
でも、だったらどうしてわたしたちはまだこの待合室にいるのだろう。いや、わたしたち親子はともかく、克也さんはすぐにスズカちゃんのところに通されても良いはずなのに。
「これは過度に心配するほどのことではないということを先に言っておきますが……。落ち着いて聞いてくださいね。鈴花さんは、今日のことを何も覚えていないようなのです」
医師の言葉にわたしの体は反射的に硬直した。そしてすぐに『スズカちゃんがわたしを覚えていない』と、そう思い至ってわたしは愕然とした。
「先に話をした別の医師によると、最後の記憶は、昨日ベッドで眠りにつく直前のものだったということです。その後、小児科医であるわたしも話をしましたが、どうして自分が病院のベッドにいるのかとても不思議がっていました。記憶は時間が経てば戻る可能性はありますが、今は本人に殴られたかどうかを確認することはできません。しかしです。今でなくてもこの話は鈴花さんの前ではしないようにして欲しいというのがありまして。こうして皆さんに鈴花さんと面会する前にお話をさせていただいている理由でもありますが、以後、今日の記憶を呼び起こさないように気をつけてもらいたいのです。記憶を失っているのは精神を守るための自己防衛によるものである可能性があります。無理やり思い出そうとすると精神に負荷をかけてしまうかもしれませんので……」
医者の話に、この場にいる全員が黙り込んだ。しばらくの沈黙の後、克也さんが重い口を開いた。
「申し訳ありませんが、面会は私一人でさせて頂きたい……。早急に救急にご連絡頂いた手前、心苦しいのですが、あなた方に鈴花を会わせるのは記憶を呼び起こすきっかけになってしまうかもしれない」
「そんな……。わたしはスズカちゃんにお礼を言わないといけないのに……」
わたしの言葉に、今度はお父さんがしゃがんでわたしに向き合った。
「麻陽、気持ちは分かるが、今のお父さんが、もしも克也さんと同じ立場だったとしたら同じことを言うだろう。いつか、スズカさんの調子が良くなって、会っても大丈夫になったときに、二人でお礼を言いに行こう」
お父さんの言うことも、克也さんの言うことも理解できる。でも、このままスズカちゃんと別れてしまったら、もうわたしは永遠にスズカちゃんを失うことになってしまう。そんな理由のない予感と確信があった。
「わたしは何も喋りません。だから、病室の前まで行って声を聞かせてもらうだけでも、お願いできませんか……?」
わたしはそう言って、克也さんに深々と頭を下げる。克也さんは困った表情をして考え込んでしまった。
わたしの言葉を聞いたお父さんは少し驚いていたけれど、わたしに続いて、「どうかお願いします」と頭を下げてくれた。
克也さんはしばらく考えていた後、「分かりました。それくらいなら……」と言ってくれて、その言葉に、わたしは再び頭を下げ、「ありがとうございます……!」と、心の底から感謝を伝えた。
その後、医師から病室の部屋番号を教えてもらい、わたし、お父さん、克也さんの三人は病棟の廊下を歩いてスズカちゃんのいる個室へ向かった。
「アサヒさんは七歳になったばかりと聞きましたが、話し方もそうですが受け答えが非常に流暢で、とてもそうは思えません。よほど良い教育をされていらっしゃるんでしょう。うちも見習いたいものです」
「いえ、これは麻陽が独力で身につけたものでして……私は褒められたような親では無いのです。それを仰るなら、スズカさんもとても流暢にお話をされていましたよ。私はスズカさんの言葉に救われました。私自身が、見習いたいほどですよ」
「そ、そうなんですか……? あの鈴花が……そうですか……」
親同士がそのような話をしているうちに、わたしたちは目的地であるスズカちゃんのいる個室の前まで辿り着いた。
「それでは事前に話した通り、長くとも十分間でお願いします。鈴花が外に出たがるかもしれませんので」
「わかりました。麻陽、いいね?」
「大丈夫。約束は守ります」
わたしの言葉に、克也さんは感心したような表情になった。
「本当に利口なお子さんですね……。アサヒちゃん、鈴花が元気になって、いつか、突然記憶が戻ったとしても分別のつく年齢になった時、改めて、お友達になってやってくれるかい?」
「はい。わたし、待ってます。いつまでも、いつまででも、待ってますから……」
わたしの言葉を聞いて、今日初めての笑顔を見せて頷いた克也さんは、病室のドアを開けて中に入ると、少しだけ隙間を残して扉を閉めた。
そして程なくして、中から二人分の声がわたしの耳に届く。
「あっ、お父さん、遅いよぉ! 待ちくたびれちゃった」
「鈴花……! 良かった心配したんだぞ……」
「ねぇ喉乾いた! 私何とも無いのに、全然に外に出してもらえないんだもん」
「外に出れないのは当たり前。点滴もつけてるんだから今日は大人しくしてくれ」
「えぇやだやだ。私帰る! もうこのお部屋にいるの飽きちゃった!」
「あっ、こら、激しく動くんじゃないよ! 全く……」
わたしは扉に背中をつけて、スズカちゃんの声を聞く。
あぁ、スズカちゃん。元気そうで良かった……。
病室にいるスズカちゃんは、公園で羽部やお父さんに啖呵を切ったあの時とは違い、父親に子供らしい一面を見せている。
その声色を聞いて、わたしは嬉しくて安心して少しだけ涙を溢した。自分がこれほど泣き虫だったとは思わなかった。
その後、時間が来て、わたしは名残惜しくも、お父さんに連れられて病院を後にしたのだった。
………
……
…
今でも忘れることのできない、わたしの七歳の誕生日にまつわる出来事。
この出来事の後、わたしは家族と長く時間を共にできるようになった。
兄だけは相変わらず忙しそうで、なかなか会うことはできなかったけれど、でも、お父さんとお母さんは、仕事に使っていた時間をわたしと一緒に過ごす時間に変えてくれた。
また変わったのはそれだけでなく、お父さんはわたしのことを、親しみを込めてまた『麻ちゃん』と呼ぶようになった。これは七歳よりも更に幼い頃、わたしに向けて使われていた愛称だ。
その呼び方に戻ってからのお父さんは、張り詰めていた空気が抜けたような、なんとなく柔和な性格になったように感じる。わたしは恥ずかしいので止めて欲しい気持ちがあるのだけれど、今のお父さんは嫌いでは無いので、そこは許容することにした。
それから家政婦について。
家政婦は必要最低限の雇用に留めることになり、わたしの話を良く聞いてくれていたあの優しい人だけが残った。
問題を起こした家政婦である羽部圭香は、その後行方をくらましていた。
わたしが連れて行かれたアパートも既に退去済みで、その後の足取りは掴めていない。ただ、殴られたはずの鈴花ちゃんにその形跡がなく記憶も無くしてしまったこと、わたしが彼女を積極的に罰することを望まなかったことから、結局、お父さんはもう羽部を探さないことに決めたのだった。
そして鈴花ちゃんについて。
あの後、一週間もしないうちに鈴花ちゃんは退院して、体調も回復し元気に学校に通い始めたとお父さんが教えてくれた。名前の漢字もその時教えてもらった。
何故お父さんがそれらを知っていたのかというと、女の子の父親同士であり話が合うとかで、お父さんはあれからも克也さんと度々連絡を取り合っているからだった。
一方で当時のわたしは、記憶を呼びおこさないために鈴花ちゃんとは接触しないようにしていた。
幸いにも鈴花ちゃんの通っていた小学校は隣町にあったので、わたしが能動的に会いに行かない限りは、日常的にすれ違う心配もなかった。
でも、わたしはいつか、どうしても鈴花ちゃんに会って伝えたいことがあって、その為、彼女を忘れたことは一度もなかった。
――――そして時は流れ、わたしが中学三年生の頃。
ある日、克也さんが『もう鈴花と麻陽ちゃんは会って話しても良い頃なんじゃないかな』と言っていたと、お父さんが教えてくれた。
突然のことでわたしは戸惑ったけれど、市内の進学校にわたしが推薦合格したことを話したらそこが鈴花ちゃんの通っている高校だったようで、この際だからと、そのように言ってくれたとのことだった。わたしは嬉しさと共に、同時に不安を感じていた。
わたしはあの七歳の誕生日を経て、鈴花ちゃんの言っていた言葉を自分の芯に据えて生きてきた。
『一歩踏み出さなければ、何も変えられない』
『一歩踏み込まなければ、何も得られない』
誰であってもわたしは、たとえ相手が大人であっても恐れずに、『一歩踏み出して』しっかり正面に立ち、相手の目を見て話をするように努めてきた。けれど、踏み出すことはできても、『一歩踏み込んで』自分の想いを相手に伝えることはどうしても苦手なままだった。
わたしはわたしの気持ちを伝えるために一歩踏み込むことで、『大切な関係が変わったり、大切な人を失ったりしてしまうこと』が何より怖かったのだ。
だからわたしが高校一年生になるまでも、なってからも、鈴花ちゃんと会うことには迷いがあった。
会ったことで何かの拍子に嫌われてしまって、当時の鈴花ちゃんだけでなく、思い出の中にいる鈴花ちゃんすら失ってしまうのではないか。そう思うと恐怖で足がすくんでしまうほどだったからだ。
それでも。
あの桜舞う川沿いの通学路で。
俯きながら向かい側の道を歩いてくる彼女を見つけた時。
わたしは衝動的に駆け出して近づき、彼女の両頬にわたしの両手のひらをそっと添えていた。彼女の顔が良く見えるように。
あぁ、鈴花ちゃん、やっと会えた。
高校生になった鈴花ちゃんは、当時の面影を残しつつ、とても綺麗な女の子に成長していた。
「えっ、な、何? 誰?!」
鈴花ちゃんは慌てているようだったけれど。
「せんぱい」
長かった。何年もずっと想い続けた。
あの時の公園で言うことが出来ず、ずっと伝えたかったその言葉。その言葉を、時を超えて今、紡ぐ。
こうして、鈴花ちゃん――――鈴せんぱいとわたしはもう一度出会ったのだ。
「わたしと、お友達になってください!」
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………
……
…
ガチャ、と物音が聞こえた気がして、ベッドで眠っていた麻陽は目を覚ました。
掛け布団を折り麻陽はベッドから上半身を起こす。眠い目をこすりながらも枕元に無造作に置かれていた自身の携帯を手に取り確認すると、ディスプレイには午前三時二十分を示すテキストと、バッテリー残量があと僅かであることを示す赤色の電池アイコンが表示されていた。
「鈴せんぱい?」
声をかけてみるが返事はない。
麻陽が防音室の方を見ると、寝る前にはベッドの上からでも見えていた防音扉のドアノブが見えなくなっていた。
(さっきの物音……鈴せんぱいが閉めたのかな?)
防音扉が閉まっているということは、相当大きな声で叫ばなければ中にいる鈴花に麻陽の声は届かないということだ。しかし大声で叫んだり、防音扉を開けてまで鈴花が起きているか確認したりするのは、流石に自由が過ぎる。
今しがた彼女は自身の持つ携帯の充電用ケーブルを持ってきていないことを思い出したので、もし鈴花が起きていたらケーブルを借りようと考えたのだが、あてが外れてしまった。
(それにしても、懐かしい夢を見ちゃったな)と麻陽は思った。七歳の誕生日の夢。以前はフラッシュバックするように度々見ていた夢ではあったが、鈴花と高校で再開してからはめっきり見なくなっていた夢だった。
「鈴花ちゃん」
その呼び方を小さく声に出してみる。
麻陽にとってそれは懐かしい響きであり、今の『鈴せんぱい』ではなく思い出の中の『スズカちゃん』を呼ぶときの響きだった。
麻陽は懺悔するように続きを話し始める。
「…………鈴せんぱいがわたしのことを気にかけてくれるのは、記憶が消えていても、きっとあの時のわたしのお願いがどこか朧げに、記憶の片隅に残ってるからなんですよね……」
(これはたぶん呪いだ)と、麻陽は思う。
「ごめんなさい。わたし本当は、この関係に甘えちゃってるんです。鈴せんぱいが優しく気にかけてくれる今の関係が心地よくて、嬉しくて、あったかくて。……わたしは、わたしがかけてしまった呪いを解くことが怖いんです。七歳の誕生日のとき、あの公園で起きたこと、本当はもっと早くに伝えなければいけなかったのに。お礼を言わなければいけなかったのに。鈴せんぱいの本当の幸せを、わたしと出会わなかったことで得られるはずだった幸福をわたしが奪ってしまったことを謝らなければいけなかったのに……」
麻陽は俯く。
彼女は高校で鈴花と再会したことにより知ってしまったのだ。あの七歳の誕生日に起きた事件以降、鈴花が少しずつ人を避けるようになったということを。
記憶が無くても鈴花にはきっと心のどこかに傷が残ってしまっている。自分と出会わなければ、そのような傷はつかなかったはずで、鈴花はもっと素晴らしい青春を送れたに違いないと、そのように麻陽は考えていた。
「…………わたしが泊まっていたホテルへ行く前、鈴せんぱいは自分のことを弱虫だって言いましたよね。……そんなことないんです。鈴花ちゃんは昔から勇気があることを、わたしは知ってます。それに、今の鈴せんぱいだってあの時の鈴花ちゃんと同じなんです。ストーカーのことを初めて話したあの時、鈴せんぱい震えてました。でもわたしには大丈夫だって、怖くないって、言ってくれましたよね。だから決して、鈴せんぱいは弱虫なんかじゃないんです」
ゲームセンターで鈴花にストーカーの話をした時に、彼女が激しく動揺していたことを、麻陽は見抜いていた。それでも尚、一人にさせまいと一緒にいてくれた彼女の勇敢さから、麻陽は『鈴せんぱいと鈴花ちゃん』が同じ存在であることを強く感じていた。
「それに引き替え…………わたしなんて、伝えないといけないことを伝えられなくて、勝手に自分で自分にイライラして、それを鈴せんぱいに当たって怒って泣いて……。それだけじゃない。せっかく覚悟を決めて来たのに、ただただ久しぶりに鈴せんぱいと会って遊べて、楽しくなってるだけで、これじゃ結局、何のために会いに来たのか分からないじゃない。それに明日のことだって……」
自己嫌悪は駄目だと分かっているのに、どうしても考えてしまう。
麻陽は天井を見上げて溜息をつく。
「駄目だなぁ、本当に。弱虫なわたし…………」
夜は未だ深く、麻陽の独白を聞く者など、誰もいるはずがない。




