彼方のプロローグ
※注意
はじめまして。この物語はフィクションであり、登場する全ての個人・団体・生命・非生命・事象・現象は現実とは異なります。また、キャラクターの行動・言動・思想などはあくまで当該のキャラクターによるものであり、書き手の考えとは異なります。嫌だなと感じたらブラウザバックをお願いいたします。ゆっくりペースになりますが頑張って書いていきます。よろしくお願いいたします。
子どもには無限の可能性がある。
その子が何に興味を持っているか。
育つ環境は自由か不自由か。
周囲の人々はどのような性格で何の仕事をしているか。
将来の目標を定めるのが早いか。または遅いか。
もちろん生まれながらの才能に因る部分もある。
愛情の度合いは。
健康の度合いは。
心の安寧の度合いは。
これらを含めた全ての事象が様々な角度から作用して、一人の人間が構築されていく。しかしながら、自分が望んだ理想の未来、幸福を享受できる未来を、皆平等に手に入れられるわけではない。
ある人は、それは自分のせいではない、と憤慨する。周囲の環境を含めた、生まれながらに配られたカードが弱かったせいだと主張する。
ある人は、それは自分のせいだ、と消沈する。自分の遺伝子がこの社会に適合できない、淘汰されて然るべき醜いものだからだと主張する。
前者と後者の人間では、他責思考であるか自責思考であるかの違いはあれ、幸福を感じられないということ自体は共通している。
無限の可能性があっても、自分が幸福であると感じられる未来に辿り着く保証はなく、ゲームのようにやり直しもできないし、ナビゲーションも付いていない。そもそもその無限の可能性の中に、自らが満足できる幸福が用意されているとも限らないのだ。……人生とはあまりにも不条理で、そして不合理だ。
無限の可能性があるというのは、これから何にでもなれるのだという夢や希望を示唆しているのではない。
誰かの特別にもなれず。
何かを成すことすらできず。
過ぎていく日々をただただ漠然と過ごしていく。
そのような未来の可能性も、形は違えど無限にあるということの暗喩だ。
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静寂に包まれた部屋の壁際には、一台のベビーベッドが置かれている。窓から風が吹き込んできて、カーテンが揺れると、その隙間からは日が差し込んでくる。室内の光源はその日差しだけで、昼間は電気を付けていないので部屋は多少薄暗い。
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私は、未来がどうあろうとも、全ての子どもは幸福から始まっていると思う。
生まれる前は、暖かい場所で安心して眠れる幸せがある。
生まれてからは、声が聞こえると幸せになり、愛情を受けると幸せになり、お腹が満たされると幸せになる。こうした幸せを、一つ感じるごとに、自らの健康や性質、周囲の環境や経験などによって、幸福はそのハードルを上げていく。
人間は幸福には慣れるが、不幸に慣れることは決して無い。
そういう意味で私は、全ての子どもは成長するにつれて徐々に不幸になっていくものだとも思う。何を不幸と感じるか、何を幸福と感じるか、またその度合いは人それぞれとはいえ、幸福を感じられる要素は確実に少なくなっていくからだ。
逆に身近な人間の行動によって、子どもが幸福ではなく不幸を実感することがあるなら、永遠とも言えるとてつもない苦痛と苦悩がその後の人生を支配していくことだろう。
生まれた後の子どもにとって、他者は重要とはいえ自らに影響を与える環境要因の一つでしか無いが、しかし生まれる前の子どもにとってそれは創造主であり、神に等しい存在だ。
そして想像主たる我々は、環境や周囲の人間の性質などから、生まれても不幸になることがほぼ確定している子ども、絶望することが分かりきっているほど環境が劣悪な状態で生まれる子ども、といったように、ある程度は誕生後の幸不幸に予測をつけることができる。
ならば、そのような子どもたちは、最初からこの世界に誕生する必要など無いのではないか。
……それでも私は、この世に生を受けること自体は否定してはならないと思う。
神が、お前は不幸になるからこの世界に生まれるべきではないと決めつけ、自分にだけ命を与えてくれないとなればどうだろう。
私だったら許せない。勝手に自分の未来を決めるな。幸福か不幸か、それを決めていいのは自分自身だけだ。と憤慨するだろう。
創造主ならば、まずは皆に等しく命を与えるべきであり、生まれてくる命を身勝手に選別することはあってはならないというのが私の持論だ。
生まれてくること自体を否定し、子どもが辿るであろう幸福への道も不幸への道も完璧に閉ざしてしまうのは、命に対して誠意のない、おぞましい行為だと私は思う。
子どもが生まれたことで、創造主たちが幸福となるか不幸となるかはさておき。
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大きな鞄を持った不審な人物がベビーベッドの前までゆっくりと歩いていく。
その人物は短髪でコートを着ているが、体のラインから女であることが分かる。しかし顔の半分を覆えるほどの大きなマスクをしており、人相はよく分からない。
ベビーベッドには、生まれてちょうど一年となる子どもが眠っている。
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この子にも、当然ながら無限の可能性がある。
幸福になる可能性も、不幸になる可能性もある。
創造主から生を受けることを許された新しい命の形だ。
この子は、今はまだ幸福だ。
しかし、これからの未来ではそうではない。
だから私は、この子を中心にあらゆる未来に伸びていく可能性の枝の、そのほとんどを切り落とそうとしている。それがどれほどおぞましく、この世の摂理に反した行為であるか、ということも嫌と言うほど理解している。
しかし私は、どうしてもこの子に幸福になってほしいのだ。
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その女は鞄を置くと、中から青いゴム手袋を取り出し填め、更に小さな容器を取り出しカポンと蓋を外す。そして、そこに入っていた脱脂綿を使って、子どもの脚の外側を丁寧に拭いていく。
子どもは大人しく眠っており、一向に起きる気配がない。
その後、鞄から更にペンのようなものを取り出すと、先端についていた蓋を外す。現れたのは鋭利な針――これは注射器だ。
女は子どもが動かないように片手で脚を抑え、そうしてゆっくりと、注射器を近づけていき――――。
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これからこの子が辿る未来に、祝福を。
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私は恐怖で声を上げることもできず、
ただじっと、それを見ていることしかできなかった。
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