第4話
目覚めるたび気絶を繰り返していた私だが、気づけば暗くなった空に2つの月がゆっくり昇っていた。
「グルル・・・(ホントに異世界なんだ・・・)」
夜空を見上げながらそ~っと呟く。ビーム出たら怖いからね!
ポツポツ見え始めた星達にポッカリ浮かぶ優しい色合いの月2つ。紺色の夜空を地球のより明るい2つの月が紫に染め上げる。いつか夢で見たような幻想的な風景は普段であったら震えるほど感動したに違いない。
なのに、と私は自分を見下ろす。月明かりに煌めく無数の鱗。見る人が見れば美しいと絶賛するだろう虹色の鱗。
あうぅぅ・・・きもいよ、きもすぎるよ。
私はブルリと身を震わせた。
月なんか2つだろうと3つだろうとどうでもいい。
さすがにこれだけ時間が経つと心臓が止まるほどの激しいショックは受けなくなったが、爬虫類嫌いがすぐに直る訳はない。
蛇やトカゲと同じような鱗が私の体に、と思っただけで、うう吐きそう。
なるべく考えない、見ないようにすることが私の今の自衛手段だった。
心の中はいまだにグチャグチャのドロドロだけど、これからどうするか考えるだけの冷静さは戻った。
かといって何から手をつければいいのか全く検討も付かない。
どうしよう。ああ、なんで私がこんな目に・・・。グチぐらい言わせて欲しい。
自分が竜になってしまったのが現実なのは認めざるを得ない。
だけどまだ受け入れられるわけがないじゃないか。
どうしたら人間に戻れるんだろう。早く人間に戻りたい。某アニメっぽいセリフだが、私は切実だ。
元の世界へ帰る方法もわからず、人間に戻る方法もわからない。
どうしてこうなってしまったのかもここがどこなのかもどうやって生きていけばいいのかも。わからない。何もかもわからない。わからないづくしで八方塞だ。
誰でもいいから助けて。何度も心で叫ぶのに決して助けは来ないと心のどこかで諦めてしまう。
この世界に私の知る人は誰一人いない。この世界に私を知る人は誰一人いない。
押し寄せてくる絶望感と孤独感に自分がペシャンコになっていくのがわかる。
考えても余計落ち着かなくなるだけで私は早々に考えることを放棄した。
いっそ死んだら楽になるだろうか。私は爪の生えた手で尖った顔を覆うと体をギュッと丸めて座る。
こんなに辛いのに涙が出ないなんて、竜っておかしくない?
涙は溜めすぎると体に毒だってお母さんが言ってた。
このまま涙という毒を溜め込んだら死んで魂になって元の世界へ戻ることが出来るだろうか。
月達は天頂にかかっていた。夜空を星が全て覆う。夜だというのに温かい風が慰めるように頬を撫でていった。
何時間そのまま縮こまっていたんだろう。
私は深く嘆息した。こんなの私らしくない、な。随分ナーバスになってるみたいだ。
私はゆるく頭を振ると、気持ちを切り替えるよう努力する。
簡単に死ぬだなんて母たちが聞いたらなんて言うだろう。
小さい頃から死ぬだの殺すだのは我が家のタブーだ。
結婚前、小児科医だった母は人間の、それも小さい子供の生死を人一倍見てきた。
救えなかった小さな命に心を痛め、その両親のやりきれない怒りに晒されてきた母は、幼い私が何気なく「死にたい」と口にしただけで無数の鉄拳制裁、延々と続く説教と過剰なほど命の尊さを説いてきた。
母にボコボコにされる私の様子をニコニコと見守るだけの父が当時はものすごく恨めしかったっけ。もっとも外科医な父も同じくらい命の尊さを良く知る人間だ。もっとやれ、ぐらいに見ていたに違いない。柔らかい物腰に騙されがちだが父は実は腹黒い人物だ。ヤンチャで少しばかりいたずらっ子だった私の顔を何度ニコニコと抓り上げてくれただろうか。中学に入る頃には父のニコニコ顔の裏には阿修羅がいる、決して阿修羅を起こすべからずと悟ったっけ。
いかん。私のトラウマスイッチが入りかけた。とにかく厳しい両親の指導のもと命の大切さは骨身にしみている。
両親に聞かれなくて良かった。それこそ三途の川を渡るところだった。
フフッ。なんか自然に口元が緩んだ。
私ってば笑える。さっきまで死にたいって思ってたのに。
あーー、駄目駄目。全然駄目だ。今までの無しっ!!リセット!!
うん、まだ大丈夫。先は見えないけど私の人生がここで終わると決まった訳じゃない。
世界も姿も戻れるかもしれないし戻れないかもしれない。まだ何もわかんないじゃない。
いつか帰れるかもしれないし、明日、いや今すぐ帰れるかもしれない。
可能性だけは絶対ある。
努力しないで諦めるのはなんか違うよね?諦めるのはまだ早いよね?私はまだ諦めない。諦めてたまるか。
亜里沙がここにいたら図太いあんたが何やってるのよって笑われるよ。
出来ることを一つづつ探して積み重ねていこう。
死ぬ気になれば私は何でも出来るはず。私はやれば出来る子なんだから!
ほっぺたの部分を両側からパチンと叩く。よし!気合入ったぞぉ。
エイエイオー!と拳を握り締めたら、手のひらに爪が食い込んだ。ちょっぴり血が出て痛かった。
私は心の中で涙を一粒流すと、もう一度笑った。
さあさあ仕切りなおし!まずは現状を整理しよう。
私は変化してしまった爬虫類っぽい手を眺める。
うん、胸のざわつきは軽くなった。ふっふっふ。リセットした私は一味違うのだ。
たとえ爬虫類でも毎日見れば慣れて愛着がわく筈。まずは自分の体に慣れることから始めなきゃ。一々びくついてたら何も出来ない。
それに私って竜、ドラゴンってやつでいいんだよね?
なんか絵本やゲームとかでしか見た事無いからなんともいえないけど、トカゲや恐竜だったらレーザーなんて出さないだろうし。
光る鱗とか、薄い羽とか、燃えてる(?)尻尾とかちょっと地球上ではないような素材なんだけどさ。
ゴツゴツしたゴッツイドラゴンじゃなく繊細な感じのドラゴンなのが気持ち的に救われる。一応乙女だからさっ!
尻尾が白蛇っぽくてもいいじゃないか。白蛇は縁起がいいと昔から言う。
爬虫類の中でも一番蛇が嫌いだが、がんばれ、私。自分の一部だと思えばいつかは愛せるはず。
犬と同じで感情の変化に反応するのか、しおしおと尻尾が力なく動いた。どうみてものたうつ蛇にしか見えない。
途端に全身にむず痒いほどの衝撃と鱗肌が広がった。
うん・・・その、愛せるといいねぇ・・・。
私は泣きそうになりながら遠くを見つめた。
今日のところは見逃してください。
明日からがんばりますから。
なんとか立ち直った私は思考を戻す。
ドラゴン化した自分を受け入れるのはまだ少しばかりハードルが高かったようだ。ならば先に私がなぜドラゴンになってしまったのかを考えよう。
夢落ちというセンはもうありえない。
気絶から何度目覚めても現実は変わらなかったんだから。
何故こんなところに居てこんな体になってしまったのか原因はなんだ?
何か特別なことでもあっただろうか?
私は昨夜の事を何度も考える。
先ほどから何度考えても、酔っ払って神社を見つけて鈴を抱えて寝た記憶しかない(私は酔って記憶をなくしたことが無いのが密かな自慢だっ)。
家に帰った記憶も運ばれた記憶もここに来た記憶も無い。
となると、やはりあの神社が向こうの世界で最後に居た場所でそこからこっちの世界に飛ばされたとしか思えない。
寝てる間に地球がひっくり返るような何かの天変地異でも起こって、この世界に間違って来てしまったとか?
だけどそれじゃあ体の変化はどう説明する?
罰?鈴壊した罰?!
天罰落として欲しかったのは啓介であって私じゃないってーの!
だけど罰当たりなことした自覚はあるからそれ以上言えない。
ああ・・・本気で凹む。頭がウニになってきた。
グーーーーー。
いいタイミングでお腹が鳴った。お腹空いたなぁ・・・。頭使ったし、丸一日食べてないもんなぁ。
湖の水だけじゃこのビックボディはもたないです、ハイ。
サバイバルの経験なんてキャンプすらしたことないし、一体これからどうしよう。
そういえば気絶を繰り返した間に気づいたことがある。
この竜の体は非常に丈夫で優秀だ。
何度もバッタリ倒れ一度はイバラや尖った岩場の上に倒れたりしたのに、鱗の一枚もはがれず傷も痛みもない。
尻尾の火は危ないと思って消そうとして湖につけてみたのだが絶対に消えなかった。
後で考えたら消えてたら料理やなんかで苦労しただろう。レーザーじゃ火力がありすぎる。
血の滴る生肉を齧るなんて似合いすぎて怖いではないか。うえ、想像したらうなされそう。
かなり遠くの物がハッキリ見えるから視力だってギネス登録できそうな位だし、夜になっても私の目は昼間と同じように支障が無かった。
暗闇なんか関係なく動物の位置も遠くの草の葉にいる虫まで軽々見通せた。
その虫の鳴いてるのもわかるんだから聴力も規格外なんだろう。
そんなに耳が良いとうるさそうだが、たまたま目に付いた岩山に見る場所を変えればそこにいた狼みたいな動物の遠吠えが聞こえたり、うわっ群れがいる!怖いよ~聞きたくないなぁとか思ったら姿は見えるのに声だけ聞こえなくなったり。
なんか勝手に調整されてるような感じで便利なのか微妙なのかわかんない。変なの。
そういえば軽く尻尾が当たって木が倒れるくらいだ。
力も相当あるに違いない。気絶してたからまだ試してないけど。
思いついて手元にあったちょっと太目の木を持ってみたらスポンと抜けた。
・・・見なかったことにしよう。
その木をせっせと元通り埋めなおす。
なんだよなんだよ。か弱かった私が一夜にして怪力女かよ。
もうこれ以上スキルはいらないんだが。
羽は・・・いやいい。むしろ飛びたくないし動かして飛んだら困るではないか。
とにかくさすが竜というべきか。
これなら群れだった狼とかが襲ってきても死ぬことにはならないだろう。
最終兵器もあるし(ビーム)。
水はこの湖で調達できるから、やっぱ食料が問題だよね。
そもそも竜って何食べるんだろう?
動物を狩るのはたぶん出来るだろうけど殺して食べることはできるかなぁ。
動物好きな私はその動物の命を自らが奪うという行為がとても嫌だし怖い。・・・想像するだけでも嫌だなぁ。
だけど食べなきゃ死んじゃうし、背に腹は変えられない。大体一般的な竜って肉食っぽいよね?そうだよねっ?
私の見た目はなんとなく草食っぽい感じだけど、さあどっち??
あ。
徒然と考えてた私だけど大事なことを見落としてた。
ココって考えてみれば生態系が違うじゃない。
ということは動物だろうと木の実だろうとキノコだろうと食べられるか否かが全くわからないではないか!
なんてデンジャラス。
ロシアンルーレットかよ!!orz
ちょっとの腹痛や下痢くらいならいいとして、毒はまずい、ありえない。
私はしばし考えたが、視界に入った赤い実をもいでみた。
ジッと見つめる。
香りは甘い。食べられそうな気がする。
穴が開くほど見つめる。
見れば見るほどリンゴに似てる。大きさがバレーボールくらいだけど。
あと違うのは所々に紫や青の斑点があること。
・・・毒デザイン?
どうするどうするんだ俺!?
心の中でGOGO食べちゃえ♪と囁く自分と怪しいから止めとけって自分が鬩ぎあう。
毒リンゴもどきとにらみ合う事数分。
空腹はすでにピークだし口を近づけては離すのを何度繰り返しただろうか。
「ちょっと試す位いいんじゃない?君デカイんだし」
ん?そう言われればそうかも。
なんと言ってもこのビックボディ。
毒リンゴの一口くらいでは致死量とはならないだろう。
お~ナイスアイディア!
シャリリ。
早速齧ってみれば口の中に広がる強い甘み。
空腹の五臓六腑に染み渡った。
うっまーーーーーーーーーい!これメロンだよメロン!熟しきったメロン!
なんだよ、毒リンゴもどきめ。
リンゴと見せかけてメロンだなんて、なんて小憎らしい技使ってるんだよコイツめ。
私はご機嫌で毒リンゴもどきを貪る。ウマウマ。
最後の一口を放り込もうとしたとき
「美味しいでしょ?ちょっと痺れるけど」
ブーーーーッ。
私は噛み砕いたリンゴもどきを相手に向かって全部噴き出した。
慌てて湖の水をがぶ飲みする。
最後の一口で教えることか、それ?!
って、んんん??
私は一体誰と話しているのだろう?
湖から顔を上げてみると、ハンカチで顔らしい部分をフキフキしてる丸い発光体がフヨフヨ浮かんでいた。
手、あるんだ。
じゃなく!ナンだコレ??
さっきまでは確実に無かった存在に私は固まっていた。
若干体が痺れてきたせいもあるのはご愛嬌ってことで。