第9話
力と力が飛び交う中へ私は足を踏み入れた。怖くはない。今度は私が頑張る番だから。
『マツリ?!』
オリちゃんが驚いた声を出すが、私は洞窟の中に隠れている気配だけを見つめ足を進めた。
拒絶するように私に向かって押し寄せてくる水。それを防ぎながら滝の正面で私は深く一礼した。
『勝手に貴方の領域に上がりこんだ失礼は承知の上。その上でお願いします。私は貴方の力がどうしても欲しい。私と、契約してください』
深く下げていた頭を上げる。視線をヒタリと洞窟に固定した。
私を頭から飲み込もうと荒れ狂う水は、精霊の代弁者だ。
恐ろしいほど激しくぶつかってくる水の圧力に、結界がギシリと嫌な音をたてた。すごい…。でも、わかる。まだ、精霊は本気ではない。
『貴方の、力を感じます。貴方の事はオリちゃんから聞いたことしか知らなくて、こうして契約して欲しいと迫ることが貴方にとって良い事なのか私にはわかりません。だけど、オリちゃんは貴方なら、と……貴方の力を認めました。私も、この力ごと貴方が欲しい。だから、私は引きません。あの、ですね?勝手だし強引だとは思うんですけど……。精霊との契約には力を示す必要がありましたよね?今から私の全力の力を示します。契約してもいいなと思ったら、そこから出てきてくれませんか?それで駄目だったらスッパリ諦めます。貴方の静かな生活を壊したりしない。オリちゃんもそれでいい?』
不快だったのか、水は一際大きく結界を叩いた。
それを気にしないようにしてオリちゃんを振り返ると、開きかけた唇を噛み締めながらゆっくり頷いてくれた。
『ありがと。では、始めます。オリオデガード、もし危険だと判断したら私を抑えて?遠慮なしでね?』
応じてくれたオリちゃんの気配を背中に感じながら、私は目を閉じて集中する。
荒れ狂う水面が一瞬凪いだ。
バシャン!!
解放した魔力に押され、反発するように水が飛び散る。黒いフードマントの裾がフワリと浮いた。
自分の中の魔力が出口を求め体中に渦を巻く。
この精霊に認めて貰うにはこれだけじゃ駄目だ。もっと大きく、でも緻密に魔力を練り上げなければ……。
暴れそうな力をギュウギュウと押し込めるように体の中心に魔力の核を作る。その核に、どこからか私に供給されている細い魔力の先端を捕まえ巻きつけていく。
もっと。もっと速く。
先端を思い切って引くとズルリと体に取り込まれる魔力量が増えた。毛糸玉を巻くように、と意識するのだがギクシャクとして簡単にはいかない。
魔力の糸がやがて私の体中を覆いつくし、私の周りに不細工で朧な球体が出来上がった。球体は少しづつ大きくなる。力に満ちているのに今にも壊れそうな歪の中で、私は私を形作る器が溶け出していくような感覚を覚え不安になった。不安な心はやがて私の意識を濁らせていく。視力と聴力が霞と消え、心臓の拍動なのか魔力の流れる音なのか規則的に骨に響く振動だけを感じていた。
もっと、もっと。
不安の後に私に訪れたのは恍惚とした高揚感だ。引けば引くほど入ってくる力はまるで麻薬のよう。溢れる力に私は酔った。
ユラリ。
どこかで”何か”が揺れた。
も っ と。
暗闇に潜んでいたのは繋がれた獣。喜悦に目を細めた獣がジャラリと鎖の音を鳴らしながらゆっくり身を起こす。
アレは危険だ。起こしては駄目。
警鐘が鳴っているのに抗い難い力の海にズブズブと私の理性は沈んでいく。なのに唇は自然と弧を描いた。
獣が歓喜し舌なめずりしている姿とピッタリ重なるその光景。
獣は待っている様だった。欲しいならお前のその手で鎖を切れと、腹を揺らして哄笑する。
その真珠のような牙の白さに恐れを感じながらも手を伸ばす。
獣の目が妖しく光った。
そ う だ。
だけど、その時、入ってくる力がカクンと減った。粘りつく何かに遮られる。それどころか”ソレ”は私から力を奪おうとしていた。
もっと欲しいのにどうして?なぜ邪魔をするの?
コレは邪魔だ。邪魔。邪魔。邪魔邪魔ジャマジャマじゃまじゃまじゃま。
壊 し て し ま え。
嫌な感覚を辿ってそちらへ目を向ける。
壊してもいいのかな?
私がソロリと手を上げようとすると、ドン!と降ってくる力が一気に膨れ上がって私を押し潰した。
獣が怒って咆哮をあげる。暴れる獣に更に圧力がかかった。
『~~っ!!!感謝するわ!マツリ!もう十分よ!』
重い力に沿うように伸びてきた透明な鎖が獣の体にゆるゆると巻き付き、動けないよう縛していった。鎖で雁字搦めになった獣が暗闇に沈んでいく。
その姿を、私は瞳にただ映していた。嬉しくも悔しくもない。ああ、獣がまた捕らえられてしまった……。思ったのはそれだけ。
掻き抱くように溜めた魔力をソッと誰かに取り上げられた。魔力の糸で織り上げた球体は花開く様に綻び、空の一部に融けていく。
中に居た私は、力尽きたように泉にへたり込んでいた。
――もう獣はどこにもいない。
あれは幻覚?それとも夢?
どこかフワフワとした気だるい感覚に身を浸し、瞼が重くなっていく。そうだ、このまま寝てしまえばいい――『この馬鹿!』
寝れなかった。ゴインと頭を殴られ、私は急速に覚醒する。覚醒せざるを得なかった。
『馬鹿だ馬鹿だと思ってたけど、救いようがない馬鹿よ!我を忘れるほど魔力暴走させてどうするのよ!お馬鹿っ!!』
「――った?!あ…、れ?」
『もういいって、私言ったでしょ?!ちゃんと聞いてた?!』
「え、……うん?ここどこだっけ?オリちゃん?あの獣は?なんかまだ頭が混乱してて良くわからないんだけど……ぐにゅ!」
『この大馬鹿娘!!!!』
ゴインッと再び同じ場所を殴られ、話途中だった私は舌を噛んだ。手加減無しですか!
広がる鉄の味に口元を押さえ、声を出さずにブルブル耐える。
荒っぽく夢見心地から引っ張り出され大混乱の私だが、さすがに文句を言おうと頭を上げる。
幾らなんでもこれはDVだ!許すまじ!…――キッと前を見据えた視界には――。
え?
ぱちぱち。
瞬きしても消えない。
そこには天上の人が佇んでいた。
「ねぇ、オリちゃん?私、死んでるのかな?なんかビルマの竪琴風な優しげな美男子がいるんだけども」
格好は白い布を巻きつけただけ。その布に負けないほどの白い肌に目を奪われる。灰色がかった青色のおかっぱを靡かせ、青みを帯びた菫色の瞳が瞬く。
「多感な少女時代に母上がDVD買って帰って来たのよ。情操教育だとか言って。○イチの両肩に鳥とまってる姿に思わず飲んでた牛乳噴いたんだけどね?それ浴びちゃった母上が激怒して、しばらくオヤツ抜きになったの。辛かったなぁ。でも、鳥付きでもこの人なら麗しいかも。例え髪の毛なくても……うんセーフ。美形バンザイ。鳥の顔がアホだったら笑うかもしれないけど」
『何の話なのよ…………』
オリちゃんは眉間を揉みながら大きく嘆息した。
『……其方は”人”か?』
ジロジロとした私の不躾な視線にも微動だにしなかった美男子がようやく口を開いた。ああなんてこった。声までが天上から降ってくるようだ。
『……古の血。失われゆく定めの子。其方から竜の気配がする』
『あ、わかるんだ?私つい最近まで竜だったの!』
『……”だった”?竜であろ?――否、人か?だが、それ程の力の伏流。面妖な』
ジッと見つめてくる眼差しに照れながら、私はフードを取った。
解けてしまった長い髪が零れ落ちる。
『マツリ、この人は……』
『ん、大丈夫。思い出したよ。”人”じゃない、でしょ?――この地の水精霊さん、ですよね?一応”初めまして”で良いのかな。えっと、オリちゃんに貴方が力を貸してくれたのわかりました。危ないところをありがとうございます。止めて貰えなければ、獣に言われるまま、私もっと大変な事しでかしてたから…。本当に助かりました……って!あわわ、泉がぁ?!!』
あれだけ魔力を暴れさせてたのだ。地面は抉れているわ、水は飛び散ってるわ、植物は倒されてるわで先程の静寂さは微塵も無い。
『ごめんなさいっ!!こんなになってるなんて、なんとお詫びしたらいいのか!ごめんなさいごめんなさいホントにごめんなさい!途中からそのっ、何か変な感じと言いますか自分が自分じゃないみたいになっちゃって…。あんな大口叩いてたのにこの様なんて、お見苦しい所を……!あーもう!私の馬鹿っ!』
『……』
『私、出来る限りこの場所、元通りにします!で、ですから、その――え、え~っと、怒ってるとは思うんですけど』
『…………否』
『そ、そう?それなら良いんですけど……』
『……』
『……』
ジーッと無言で凝視され続け、間がもたない。
『あ、あのっ!自己紹介というか、せっかくですし話しましょう!この状況で改めてというのも変な気がするけど……。私が、マツリです。元人間で異界の神のせいでこの世界に飛ばされて最近まで竜として生きてました。ご覧の通りその神の神子でもあります』
『……』
反応に乏しい相手に怯みながらも、私は隠さず今までの事を全て彼に話した。長い長い話だったけど全部。
タマのこと、箱庭に住んでいたこと、何故か人間に戻れたこと、フォルクマール達と王都へ向かっていること、命を狙われたことも。
『私はいつか元の世界へ戻りたい。まるっきりエゴだけど、タマの事もあるから、それがこの世界にとっても良いと思うの……。死にたくないし死ぬ訳にはいかないんです。でも私は未熟者だから――私を助けてくれる”仲間”が欲しい。お願いです。仲間になってくれませんか?』
『……』
彼は何の色もない視線で私をただジッと見ていた。続く沈黙に耐えられなかったのはオリちゃんが先だった。
『ねぇ、聞いてたんでしょ?マツリはいろんな意味で”特別”よ?貴方も精霊の端くれなら惹かれるはず。一緒に来たら?』
『…(ピク)』
『伊達に年季入ってないんだから、その力、腐らせることないじゃない。このままずっと、こんな面白味の無い所に一人で居る気?』
『…(ピクリ)』
『返事くらいしたら?暗~~い男ね』
『オリちゃん!!』
口も態度も悪いオリちゃんを嗜める。水精霊はようやく口を動かした。私の聞き間違えじゃなければ――鼻を鳴らしながら。
『――吾はこの地を守護する者。……其方如き赤子にはわからぬ……』
『赤子?!……私は78だけど?』
『……雛だな。吾には遠く及ばぬ』
『だからナニ?年取れば偉いとでも言う訳?』
『……雛の囀りも過ぎれば毒よの』
精霊というのは得てして口の減らない存在らしい。
青筋の浮いたオリちゃんを、一言二言であしらうビルマ(仮名)。割って入りたくはないが、このまま掴み合いになっても困る。
慌ててオリちゃんの口を塞いだ私は、彼に答えを迫った。精霊はソッと目を伏せる。
『……其方に心惹かれるのは事実。が、否。吾はこの地に居る』
『……そうですか。残念です。本当に』
ガッカリはしたけれど、強引に契約する訳にはいかない。縁がなかったのだ。
彼の目を見て私はゆっくり頭を下げた。彼にはすっかり迷惑をかけた。礼だけは通したい。そんな空気を。
『……クスッ。オホホホホ!私としたことがこんなヨボヨボのジジイに期待するなんて。大丈夫よ、マツリ。このジジイレベルの精霊なんてたくさん居るわ!居なければそれなりの精霊を育てればいいのだもの!私がキッチリ見つけてきてあげるからね!』
オリちゃんの高笑いがぶち壊した。
「オリちゃん!ちょっと何言い出すのよ!」
『人が下手に出てたらいい気になって……。中途半端に手を貸して期待させておいて、契約しない?あんなにちゃんと頼んだのに……。……でも、もういい!こんな足腰弱そうなジジイにマツリの守護なんて出来るはずないもの』
この子は何故後ろ足で砂をかけるような真似をするっ?!私は真っ青になった。
『ご、ごめんなさい!!なんて事を!!オリちゃんっ!!』
『……ふんっ』
『オリオデガート!契約するかどうかは相手の自由!駄目だったら諦めるって約束したでしょ?!いい加減にしなさいっ』
『……わかったわ。ご、め、ん、な、さ、い。はい、これで文句ないでしょ?残りの余生、どうぞお健やかにっ』
オリちゃんの”大人への階段”はどうやら1~2段しか昇ってなかったらしい。
倒れそうになりながら必死に頭を下げる私は、頭上で怪しい笑い声を聞いてフリーズした。
『……雛子も息災で。其方の生は先長い。無駄な胸肉より頭の中身を鍛えるがよかろ。いかに雛とて礼儀も知らぬのは哀れ故』
『――っ、ありがとうと言った方がいいのかしら?年配者は言う事がさすがに違うわね。でも口は災いの門。若さに嫉妬して口開く前に、その口臭をどうにかする方をお勧めするわ。クス、口から加齢臭なんてそっちの方が哀れよ?』
『……フフ。さて?吾は滅多に口を開かぬ故心配無用。雛子こそ、せめてその締りの悪い口を閉じよ。開口したままでは、余計阿呆にしか見えぬ。…白痴…』
…クスス、…フフフと笑い合う2人。
私は彼を庇うように立ち、オリちゃんを睨んだ。
『――オリオデガート、謝りなさい』
『イヤよ!このクソジジイ私の事、は、はく、白痴って侮辱したのよ?!』
『最初に失礼な事言ったのはオリちゃんでしょ?きちんと謝罪して!』
『マツリ!このクソみたいなジジイの味方なの?!』
『(クソみたいなジジイ……)…あのさ、悔しいのはわかるよ?私のために一生懸命頑張ってくれたんだもんね?すごく感謝してるし嬉しかった。でも、だからって思う通りにいかなかった事をこの人にぶつけるのは筋違い。自分でもわかってるでしょ?これ以上ケンカ売るつもりなら私が相手になるからね』
『~~~~っ!マツリの馬鹿あぁ!!』
癇癪を起こし、泣き出したオリちゃんから飛んできたのは黒い影。何だ、岩か、って岩?!どこの世界に主人に岩投げつける精霊がいるんだ!!
咄嗟にその場を飛びのいた私は体勢を崩して転びそうになった。寸でのところで受け止めてくれた腕に縋る。
『あ、ありがとうございます。ホントに本~~当にごめんなさい!』
しかし答える声がない。首を捻って見上げた先には硬直した美男子が私を見下ろしていた。
『あ……の?』
『其方は…――』
『へ???』
こちらを見つめる精霊は、それっきり黙りこむ。自分の思考に没頭しているのか呼びかけても反応がない。
支えてもらった体勢の私は、美形の鎖骨が近い状況に胸がバクバクする。とにかく早く離れたいのだけれど、強引に離れることも失礼な気がして途方に暮れていた。後ろでオリちゃんが泣きながら『マツリを放せ!』と騒いでいるのにビクともしない腕。真実耳が聞こえなくなったのかと心配になるほどだ。
そっと下から彼の顔を覗きこんで、やっと彼はこちらへ意識を向けた。どこか困ったような、真剣な顔で私を見つめてくる。
どうしたのか聞きたいのに、張り詰めた空気が口を開くのを躊躇させる。オリちゃんでさえ、しゃくりあげるのを止めた。
『……何故……否。……問うても詮無きこと……か』
『は?』
『――――気が変わった』
『え、何のことでええ~っ?!』
コツンと触れ合う暖かな温もり。視界いっぱいに広がる陶磁器のような白い肌と伏せられた灰青色の長い睫毛に一瞬出た絶叫を無理やり飲み込む。至近距離からの騒音はさすがに不快だったのか、私の後頭部を押さえていた手の平にもう一度力が篭る。
心臓麻痺を起こしそうになった私は慌てて目を瞑った。
額から流れ込んでくるのはとても柔らかな響き。
『――コーディアラス』
動揺を抑えながら滑らかな旋律のような彼の名を何度も何度も胸中で呟く。
私の言葉に微笑んだ彼は神石にそっと唇を落とした。
『是。吾の主殿……』
甘っ!!!
人が変わったような甘い空気に、今度は飲み込めなかった悲鳴を私は思う存分解き放った。
**********
『ジジイ!アンタここ守るんじゃなかった?!』
『……気が変わったと申した』
『さっきの態度と全然違うじゃないの!』
『……雛子にはわからぬか。……然もありなん』
『アンタの言う事の方が訳わからないのよっ!きいいぃぃぃ~~~~!!』
オリちゃん。きいぃぃって。きいいぃぃ~ってナニ?
辺りはすっかり薄闇に包まれている。
荒らしてしまった泉の後片付けを終わらせ、今はコーディアラス待ちだ。
私の右手にはキシャーッと威嚇を続けるオリちゃん、左手には恭しくエスコートするように手の平を支えてくれるビルマ改めコーディアラス。黙っていれば両手に花なのに……。
同じ契約制霊になったというのに2人の相性は最悪らしい。私を挟んで繰り返される小競り合いに、私の疲労感が倍増する。
お腹を無意識に撫でていたようだ。
『……主殿、お加減が悪いか?』
「いや、ちょっと胃がシクシクと、ね」
『それ食べすぎ、むぐ』
「オリちゃん、女には秘密にしときたい事ってあるよね?」
『むぐむぐ』
うんうんと首を縦に振るオリちゃんに優しく(?)笑いかけながら、コーディアラスが封印を済ませるのを待つ。
ここは彼の、水精霊達の大事な場所だという。留守の間、許可なく立入りすることが出来ないよう場を閉じるのだ。
コーディアラスが背中を向け印を切り始めると、オリちゃんが私の背中に顔をポスッと埋めてきた。
『こんなクソジジイ、嫌いよ!!――……だけどマツリと契約したのは感謝するわ……』
蚊の鳴く声で呟いたオリちゃんは背中から決して顔を上げない。
はいはいはい、こんな所が可愛いから許しちゃうんだよなぁ……。
コーディアラスが笑みながら『……ああ』なんて答えれば『だからっていい気にならないでよね?!』と毛を逆立てて威嚇する。
ま、何とかなるでしょ。
私も笑いながら、2人の精霊を交互に眺めた。
最後の印を切ると、泉の周りは紗がかかったように霞む。封印が終わったらしい。
『待たせてすまぬ』
「うん、じゃ行こうか」
『そうね、イスクへ戻りましょ。じゃあマツ『……主殿、吾に体を預けよ』』
私の腰にゆるりと回った腕に抱き寄せられた途端、すでにそこは宿にほど近いイスクの裏路地だった。
何の揺れも、視界のぶれも無い。
「……」
『……』
「……す、すごいよ!コーディアラス!」
『……お気に召したか?』
いつの間にか彼は街に居ても違和感のない青年の姿に変わっている。
イリュージョン!イリュージョニスト、コーディ!!
拍手で喜ぶ私にコーディアラスは満足そうに微笑んだ。やや遅れて現れたオリちゃんが悔しそうに私に抱きついてきた。
『何さっさとマツリ連れてってるのよ!転移や変化ぐらいで大きな顔しないでよね?マツリの第一精霊はわ た し!あんたは2番目なの、2 番 !』
『……出会った順など無意味。小事に拘る故、大事が見えぬ。愚かな』
『マツリと私の付き合いの長さ、なめんじゃないわよ!ジジイに女心を理解出来るかしら?その点私は年も近いし、ねっマツリ?』
『……焦らずともこれから幾度と昼夜を重ねる。心も自然と重なるもの。……のう、主殿?』
魅惑の瞳で意味ありげに私を見下ろすコーディアラス。
私は思わず口と鼻を押さえた。只でさえ彼の鎖骨が脳裏にまだ焼きついているというのに、人間に化けてもこの色香っ。色々と噴出しそうだ。
真っ赤な顔の私を面白く思う者、面白く思わない者。コーディアラスが微笑めば、オリちゃんが『好色男!』と怒鳴る。
何だかなぁ。彼と契約できて嬉しい筈なのに実は厄介ごとを自ら増やしてしまったのではないだろうか。
現実逃避がてら星を数えていたら、ふと何か大事な事を忘れている気がした。喉元まで出掛かっているのに思い出せない。何だっけ?
「ねぇ、オリちゃん?重要な事を忘れてるような気がするんだけど~?」
『重要?』
「そう。何かザワザワとするんだけれど」
『えー?何かしら?』
2人で首を傾げていると、背中にピシリと冷気を感じた。
…こ、この感じ。とっても良く知っている、かも?
振り向けない私は、震える手でオリちゃんの手をギュッと握ろうとした。なのに手は右へ左へスカスカと空を切る。見ればオリちゃんは既に逃亡していた。ひどいよオリちゃん!う、裏切り者っ!!
「あ、あ、あああの……」
「……良い月夜だな、マツリ。それに随分楽しそうだ。……そちらの方は?」
ピシャーンと棒立ちになった私に、足音が近づく。1歩2歩と近づくたびに心臓が飛び出そうだ。
そんな状態だというのに私の手の甲を持ち上げ見せ付けるようにキスを落とすコーディアラスに、私は気が遠くなりかけた。
「……吾は主殿の下僕ぞ……」
幸せそうな微笑みを私だけに向けるコーディアラス。バックはガン無視だ。
優しく肩を引き寄せられ、フードの頭上から聞こえるのは紛れもないリップ音。何すんだ!と見上げれば面白そうに目を細めている。
うん、コーディアラス。空 気 読 ん で ね?
頭を掻き毟りたい衝動に駆られた私を現世に戻したのは、しきりに背中に突き刺さる氷柱のような……。
「……クス、そう。下僕、か。マツリ、ここは寒いし宿へ戻ろう。話を聞かせてくれるだろう?」
その”クス”が心底怖いです。
優しげな口調なのに外気温の何十倍も冷たい空気を醸し出すフォルクマールに、私は震える背中を向けたまま何度も何度も首を縦に振るしかなかった。
コーディアラスの名はアイオライト(菫青石:きんせいせき)の英名をもじって付けてます。オリオデガートは猫目石のポルトガル語。精霊’sはたぶん今後も石つながりで名付けます。