第7話
私を押しのけるように割り込んできた腕と体。それを理解するよりも早く――。
白銀の剣が禍々しい光と重なり、互いの魔力がぶつかった。辺りをその光で焼き尽くすかのように凶暴な”白”が広がっていく。拮抗し今にも弾けそうな2つの力。刹那の時間が生まれた。
この刹那の猶予が私の本能を刺激したのだと思う。私は無意識に2つの力を押さえ込むように結界を構成する。しかし、瞬間的に構成した結界では強度も錬度も足りなかった。エネルギーの全てを分散させ弱める事が出来ない。相殺できなかった力は四方へ弾け飛ぶのみ。
だめっ!こらえきれないっ!
スローモーションだった時間が元の早さを取り返した時。
結界は高い音を立て壊れ、行き場の無いエネルギーが私達を中心に大きく破裂した。
立っていられず、フォルクマールの体に押されるようにして私は吹き飛ぶ。肺に貯めたままだった空気がヒュウと漏れた。
ぶ、つかるっ……!
背に硬い何かを感じた瞬間、私はオリちゃんが間に合ってくれた事を知った。硬い感触がぐにゃりと変化する。
誰かが轟音の中、途切れ途切れに悲鳴をあげた。
「フォ……ール様!マ……っ!!」
盛大な水音がした。濁った重い水音が。
次の瞬間私の耳は柔らかく暖かい重いもので蓋をされる。それはゴポリと鼻や口の中へも入り込み、収縮しようとしていた私の横隔膜の動きをゆるりと止めた。
天井にまで届く”しぶき”を上げて私は深く深く底へ底へと沈み込んでいった。
力強い腕が、闇の中、私の腕をしっかりと捕まえていてくれた。
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――クルシイ、イタイ――。
閉じた瞼の向こうで光と影が揺れている。胸の圧迫感と息苦しさに私の意識が浮上する。
「…………ひゅっ……ゴ、ホッ!!ゴホ!ケホカハッ!」
弓なりに反った体を力強くひっくり返され、背中を擦られる。
くるし……!何でこんなに胸が痛いの?!
ボロボロ涙は出るわ、鼻水やら涎は出るわ、乙女としてありえない状況だけど、取り繕ってなどいられない。
何度も咳き込み、痛みや吐き気と戦いながら私は必死に息をした。背中の手の平は、その間ずっと優しく暖かな温もりを私に与えてくれていた。
咳が治まってきた私はハッハッと浅い息を繰り返しグッタリしていた。
一度深呼吸してから、口元をグイッと拭い顔を上げる。
「大丈夫か?」
涙目で見上げた先にはフォルクマールの顔がある。
「フォ、ル?」
「水は飲めそうか?」
喉は痛むがカラカラに乾いていたので素直に頷く。
抱き起こされて渡された器に口を付けると、ようやく人心地が戻ってきた。思考が回転し始める。
確か、吹き飛ばされてオリちゃんに助けてもらったと思うんだけど……。やばい。その後の記憶が無い。
フォルクマールに問おうと思った私は周りの惨状に目を見開いた。
辺り一面泥だらけ。
でもって、皆も泥まみれ。
フォルクマールと私だけが綺麗。何故だ?
「精霊が俺達の泥は全て取り去ってくれた」
私の視線で疑問を読んだのか、フォルクマールが目を向けた先にはオリちゃんが震えながら立っていた。
「オリちゃん?どうしたの?」
私が首を傾げていると、みるみるオリちゃんの瞳に涙が盛り上がる。そして――。
『うわああぁぁーーーー!!!』
「ぐえっ!」
バフン!ゴン!と勢い良く衝撃がぶつかった。
背中にあったフォルクマールの手も、さすがに私と実体化したオリちゃん2人分の体重と勢いは支えきれなかったらしい。ちなみに”ゴン!”は私がひっくり返って後頭部を打ちつけた音である。物凄く痛い。
『ぐっ~~!!む、ぐ!ちょ、ま……!』
ぐぬおぉぉ~と後頭部の痛みに悲鳴が出かかったが、ぎゅむと顔面を埋めた肉の塊に遮られる。
『うわああぁぁん、うわぁぁぁーーん!!!』
汚れるのにもかまわず、私を放さない様しっかり抱き締め、全ての力を振り絞るように号泣しているのは私の精霊――で間違いないよね?
世の男性が”ヒャッハー!キタコレ!”と鼻息を荒くするシチュエーションであろうが、私は女だ。そのケも無い。死因が”乳”上死というのも真っ平御免だ。
『オ、オリちゃ!ぐるじぃ~~!』
ギブギブギブゥ~~!結論、爆乳はいろんな意味で凶器。ってもうわかった!十分堪能した!冗談抜きでもう勘弁!三途の川が見えてきそうだ。
実際”めんそーれ天界”のキャッチコピーで花々を宝塚のように背負ったタマがニッコリしながらウフフアハハとくるくる回る映像が頭に流れ始めた私は、本気でヤバイのかもしれない。
私の気が真実遠くなる寸前で慌てたフォルクマールに止められ、やっとオリちゃんは私の顔面を豊満な胸から解放してくれた。ただ、体はいまだに拘束を解かれる気配がない。
泣きやむ様子もないオリちゃん。大粒の涙がボタボタと私の顔に落ちてきた。ああ、精霊の涙も魔力の塊らしいのに、こんなに零して。
――これは、ただ事ではない。
”力は素敵”と豪語するオリちゃんが魔力を垂れ流すわけはないのだ。私は気を引き締めると、泣きじゃくるオリちゃんが話が出来るようになるまで、只管ジッと待った。
『…………ぐすっ、ひく、ひっく。マ、マツリごめ、なさ……。わ、わた、しがい、つまでも、わっ、わがまま言っ、から…ひっ、ひっく』
自分の呼吸を整えながら、ブルブル震えてるオリちゃんの背中を撫でる。
『こわっ、怖かったっ。っく、ぐぅ、わ、わたし、まにあわなぐて、マツリ、マツリい、き、してな…・・・ひっく!くて』
『?』
『こ、のま……いな、くなって…しまったらて、お、おもっ、ひっく!ごめ、んなざい。き、きらいならな、でぇ!』
脅えきったオリちゃん。
状況を推測するしかない私は、もしや……とフォルクマールに視線を向けた。
「もしかして私、結構息してなかった?」
「ああ。――――危なかった」
「うわぁ、マジデスカ」
私はオリちゃんを見つめた。オリちゃんには悪いけど、泣きじゃくるオリちゃんがこんな可愛いなんて!私は幸せ者だと笑みが浮かんでしまう。
『馬鹿だなぁ――オリちゃんを嫌いになんてなる訳ないでしょ?あれはオリちゃんの所為なんかじゃないし!仕方ないよ。私の結界突き破るとは思ってもみなかったから、私も油断してたの。心配かけてホントにごめんね?』
『マツリ、マツリィ』
『大好きだよ、オリちゃん。私とフォルクマールを受け止めてくれてありがとうね?』
『わた、も、だいすぎぃ、マツリぃ、だいすきっ』
ガバリと抱きついてきたオリちゃんの胸でまた昇天しそうになり、フォルクマールに救出された私は、オリちゃんに具現化を止めてもらった。
メソメソおんぶお化けとなった半透明美女を背に、私は4度目?の九死に一生体験にため息をつく。何も1日に何度もそんな体験をすることないじゃないか。不運はまとめてやってくるのか?タマと出会ってからでもワースト3に入りそうな今日にため息をつく。
死というものは案外近くにあるらしい。
心のどこかで、自分はこの世界で一番強い筈だから怪我はあっても死ぬ訳ないって思ってた。実際タマがいたらそんな目には合わないに違いないし、竜のままだったら一生気づかなかったと思う。だけど。……今の私、死ぬ事もあるんだ。
ブルリと体が震えた。
私がもし死んだら?
……この世界は確実に戻ってきたタマに消される……。
そして、も一つ。
「フォル!あの男はどうなったの?皆無事?!」
今の今まで忘れていた。だけど、フォルクマール達が普通にしてるんだから そう なんだろう。
私の質問に彼は少し困った顔をした。
「あの男は……死んだ。あれだけの魔力だ。恐らく生命力全てを使い果たしたのだろう。他の者はオーガスタやシークエンタ、数名の者以外は無事だ」
「怪我したの?!」
「シークエンタが結界を張ったし、お前の精霊が助力もしてくれた。大きな怪我をした者はいないだろうが、中心に近かった者は衝撃が大きかったからな。命に別状はないが昏倒した者が多い。オーガスタもだ。あいつを起こす時間も惜しかった。だから――」
「そっか……。ごめん。咄嗟だったから全部衝撃を抑えること出来なかったの」
「そこで何故謝る?」
フォルクマールがククッと笑った。やっと見れた笑顔にホッとしたのはどうしてかな?
「全く――…。またお前は何でも1人で背負い込もうとする。あのままディアヌとあの魔力が反発していたら被害はこの程度ではすまなかったんだ。お前は良くやったよ」
頭をポスポス叩いてくる温かい手の平に私の心も温かくなった。
「うん。あの……、フォル。ディアヌも。えっと、命を助けてくれてありがとう。フォル達が居なかったら私、死んでた」
「では、俺も言おう。マツリとその精霊が居なければ俺達の命も危うかった。お前達の助力に感謝する」
フォルクマールは、私の右手を優しく取ると、手の甲に唇を寄せ軽やかにチュと――。チュ?
上目遣いのフォルクマールとガチで見詰め合う。
「うひゃあ!」
背後霊続行中のオリちゃんと一緒に、ズザザザと音を立てて壁際に寄る。
な、何しちゃってんの!何しちゃってんだ、この人っ?!
唇を離す時に、一瞬唇に力が入ったのはわかった。だけどシークエンタ先生のマナー講座では、コンラドゥスで所作に大きな音を伴うのはマナー違反だった筈。王子であるフォルクマールが知らないはずも出来ないはずもない。この人、わざと大きなリップ音たてやがった!
真っ赤な顔でアワアワする私にシレッと「ふむ。まだ慣れないのか」って言うフォルクマール。こんなん慣れたくないわ!と怒る私に「いつまでも精霊と遊んでいるからだ」と幾分赤みを増した薄い唇でニヤリと笑った。
私の口はパカーンと開きっ放しに違いない。
だからって WHY?!この人、本気でどうしたんだ?ご乱心?それとも意地悪か?意地悪王子見参なのか?!
「お2人とも、ご無事で何よりですし仲が良ろしいことも結構なのですが、周囲の事をもう少しお考えいただかないと……」
「セウか。神子殿に礼儀作法をお教えしていただけだ」
「どこが仲良し?!意地悪反対!!」
噛み付く私に、降ってくるのは天敵の声。
「それ位でうるさい奴。もっとすごいの済んでるでしょう?」
「な、何を言ってんのよ?!?!あれは ピーー(竜) だったからっ!」
フォルクマールに行ったセクハラの数々を思い出せば”確かに”と言わざるを得ないが……。
人になってからそんな怪しげな行為はしていない――たぶん。一番初めにマッパで抱きついたのは不可抗力だったからね?!
「ん~、そういうんじゃなくて。俺が言いたいのは、ついさっきの――」
「ナーダ」
「あの場合は仕方ないでしょう?女性の方を辱めるような言い方はお止めなさい」
焦ったように止めるフォルクマールと諭すセウの態度。怪しい。
肩をすくめるナーダが普段2回な返事が「はいはいはい」と3回だった。怪しい。
視線を合わそうとすると、気まずそうにフォルクマールは目を泳がせた。とっても怪しい。
「さ、そんな事よりマツリ様。お体にご不調はありませんか?」
「え?大丈夫よ?セウ」
「それは重畳。では大変申し訳ないのですが、オーガスタ達の治療をお願いしても構いませんか?我々はシークエンタを起こして後始末をいたしますので」
「あ!了解、任せて?!後始末はオリちゃんのが早いな。よし、オリちゃん、お願いね!」
応えたオリちゃんは、指先一つで周りの泥を全てどこかへ消し去った。
魔法を使ったり泣いたりで疲れたのだろう。時々しゃくりあげながらどこか気だるそうなオリちゃんに戻るように言う。『心配しなくて大丈夫だから』と笑うと、オリちゃんは『じゃ少しだけね?』とふにゃりと笑って消えていった。
私は私でしなければならないことがあるのだ。
オーガスタを起こし、全員の治療を再び始めた私は、怪訝に思った3人の態度などすぐに忘れてしまった。フォルクマール達がそんな私をクスクス笑って見ていたなんて思いもせずに。
大きな怪我人がいないのは本当だった。皆かすり傷程度で治療など殆ど必要ないレベルである。
だが私にとっては数分前の光景と目の前の光景が重なった。
襲ってきたあの空ろな目の男は死んだという。私はソッと目を伏せた。
クルド達の仲間に大きな魔力を持った者はいなかった筈だ。私の神気を纏った結界を突き破るほどの魔法攻撃……。あの魔法をコントロールするため、フォルクマールが言うように男は全ての生命エネルギーを差し出していたように思う。
だが――それでも、シークエンタの更に上をいく、あの魔力量はありえないと思うのだ。
男の空ろだった目が気になった。誰かが男を操っていたのではないだろうか?
何らかの方法で更に魔力を注ぎ込んでいたのではないだろうか?
何が起きているんだろう?
この場では使えないはずの特上な魔法。神気をものともしないあの魔力。
私を狙っているのは、誰?
「――――タマ」
小さな声で今は傍にいない男の名を呼ぶ。怖い。私は何かにすでに巻き込まれている。
「……アンタ。いい加減俺の股間を狙うのは止めてくれ」
呟きに返事があって驚いた私は悲鳴を上げた。
「叫びたいのは俺の方だろうがよ!!テメェ、本気でオカシイんじゃねぇか?!女が卑猥な事ばかり言うんじゃねぇ!!」
「なんだ、クルドか。あービックリさせないでよねっ?!」
シークエンタが失神した事で動けるようになったらしいクルドが、耳を押さえて蹲っていた。
「あ、ヤバ。拘束解けちゃったね。逃げないの?」
「その気も失せたよ」
「へぇ?何でまた?」
「オヤジ達が地中で捕まってんだろ?」
「あ、あの偉そうなヒゲオヤジね?置いて逃げようとは思わなかったんだ?」
「――あれでも、若い頃は名の知れたヴェラオだったんだ。それに俺のたった一人の、血の繋がった親だからな」
「へ?!」
驚いた。顔なんて全然似てないのに親子なの?!親子で追い剥ぎか?!
「悪党なのに、ね?情には厚いんだ?」
「放っとけ!!テメェにゃ関係ないだろうが!とにかく俺は逃げねぇ!……何よりアンタみたいな化け物が居るんだ。逃げきれるとは思えねぇし」
化け物。いや、人間離れしてるのは確かだけど、ちょっと前まで人間じゃなかったけど。今現在、人間辞めたつもりはないんだけど?
とりあえずムカついたから拳骨を振り下ろしておく。今度悲鳴を上げたのは奴だったが私は都合よく耳に蓋をした。
「アンタとかテメェとか化け物とか!私にはマツリって名前があんのよ!ちゃんと呼べやゴルア?!」
理不尽な要求なのはわかっているが、私は指を突きつけながら怒鳴る。
怒鳴りながら、内心首を傾げていた。私、こんなに怒りっぽかったっけ?そりゃ口より先に手は出るタイプだったけど、この程度のことで心臓もドーパミンもフルスロットルな状況は初めてだ。
「そんな名前、本人からは今聞いたばかりだろうが!大体俺はアルゴの事を話したくて――――お、おまえ?」
「何よ?!言いたいことはハッキリ言えば?!」
「――さっきまで普通だったのに、なんで瞳孔縦長なんだ?」
は???!!!
ババッとフォルクマール達が振り返り、状況がわからない連中が困った顔をする中。
私は、ムンクの叫びを体現していた。
戻るのは、戻るのはイヤアァァーーーー!!