第2話
改めまして、世界よこんにちは。
わたくし、マツリ・コウサカは現在コンラドゥス帝国に向け『白き風』御一同と箱庭の北西門に向け旅をしています。
人間に戻って8日目。
私が同行する事になった理由を語ると長くなるのですが、いや、そうでもないか?
私は今、この徒歩での旅を満喫している最中なのです。
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ピチャン!
水色の手の平サイズの魚が跳ねた。1匹が跳ねたら次々に水面を同じ魚が跳ねる。
「うわっ!見て!あんなにたくさん!」
「サウィンだ。小骨が多いが揚げると美味いぞ?」
「唐揚げかっ。ヤバイ涎が出てきた。捕まえよう、フォル!うわ、目まで水色だ~!」
「手で掴むな!齧るぞ?」
「え?!嘘っ?!」
今日のご飯だと、大喜びで川面に伸ばしかけていた手を私は慌てて引っ込めた。
「嘘だ」
私は手を引っ込めた体勢で固まる。
真顔でシレッと嘘を付くフォルクマールにこうして何度騙されただろう。
私達の会話に、セウ達が笑いを堪えているのが見えた。
「……あのさー、何でそうやって嘘ばかり言うの?」
「簡単に引っ掛かるお前が面白いからに決まってるだろう?」
セウとオーガスタが噴出する声とナーダがゲラゲラ笑う声が聞こえてきた。
それでも王子か?!と怒る私にフォルクマールは「許して欲しい」と優雅に頭を下げる。――絶対に確信犯だ。
「フォルクマール様、人が悪いですぞ?」
「シークエンタ」
「シークエンタ!ねぇ、フォルってこんなに性格悪かったの?!王子とか将軍ってこんなんで務まるの?!」
味方が来たとばかりに、シークエンタの後ろに回ってフォルクマールに文句を言う。だが。
「マツリ様。”こんなん”とは何ですか?!これから神子として神殿に籍を置く位の高い女性がそのような言葉遣いで良いとお思いですか?そもそも、女性が川に飛び込もうとするなんて無茶すぎます。お教えしましたね?女性らしく淑やかに、と。いいですか?こちらの世界はそもそも――」
やぶ蛇だ。突発的に始まったシークエンタのレディ講座(説教ともいう)を受けながら、何でいつもこうなるのよ!と私は毒づいた。
フォルを睨むが彼は笑顔で『が ん ば れ』と唇だけ動かし、さっさとセウ達と一緒に魚を捕る準備を始めている。
「フォル!アンタだけ逃げるの?!」
「マツリ様!それがいけないと申しているのです!!」
背後はもう笑いの渦だ。グツグツと煮えたぎるこの怒りをどうしてくれよう。
こうなったシークエンタは長い。懇々と説教を受けながら私は諦めてため息をついた。
箱庭でずっと暮らしていても私はまだまだ知らない事の方が多い。
「あれはなんて言うの?!」やら「うわ!これ普通に食べられるの?!」やら見るもの聞くもの一つ一つに大げさなほど反応する私。
フォルクマール達はそんな私に根気良く付き合ってくれている。
成人してるのにナゼナニ星人だなんて情けないけれど、聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥とか言うでしょ?途中から気にするのは止めた。彼らも聞いてもらわねば後々困る事になると笑ってくれるので甘えさせてもらっている。
一刻も早く王都へ向かわなければならないフォルクマール達にとって、そんな私が同行するのはハッキリ言わなくても足手まといだ。男の足と女の足では歩くスピードだって違う。
私も状況は知ってるし足手まといに甘んじるのは嫌なので「転移しようか?」と提案してみたんだが、彼らはそれに首を振った。
私が人間として過ごすのに慣れる時間が必要だからだという。
ありがたいけれどでも、と納得出来ない私にフォルクマールは真剣な顔で命じた。
「それに――箱庭にいる間にそのだだ漏れの魔力を制御しろ」と。
私の事を知らない人間に、私の規格外な魔力を気取らせてはならない。
人間は”違う”存在に敏感だから、私は出来るだけ”普通”でいなければならないというのが彼らの言い分だ。
私もそれには同意だったので、魔力を抑える訓練を始めたのだが――これがなかなか難しい。
なんせ竜だった頃はそんな必要はなかったでしょ?
自分の中にどう魔力を押し込めれば良いのかなんて想像がつかない。
それに人間になって気が付いたんだけど、私の魔力は使わなければ増えていく一方なのね?
時間と共に増えてく魔力。どんどん魔力が体内で圧縮されてく気がしていつかキャパオーバーで破裂しないかと私は真っ青になった。
そこで餅は餅屋だとオーガスタとシークエンタに泣きついたのだが。
2人に相談すると2人は難しい顔をして話し合いを始めた。
「シークエンタ殿、皮膚に張り付くように結界を張ったらどうでしょうか?」
「いや、聡い者なら結界自体の存在に気づく。常に結界を維持しているなど余計に注目される」
「ああ、それもそうですね。しかし魔力が常に供給されるなど聞いた事がないですね」
「そうだな。歴史に名を残す偉大な魔術師でも一度失った魔力は数日かけてゆっくり戻るのが常。マツリ様のように常に多量の魔力が供給されるというのは聞いた事がない。さすがは神の竜だと言うべきなのか……」
「既存の理論ではありえませんね?最近発表されたマーリンの説によると相対的な魔力の一方を土台として――」
「ああ、私も読んだ。魔力が膨張または収縮して定常に留まる事がないというのは今までの魔法理論を覆す見事なものだった。マツリ様を見ていると彼の説が正しい事がよくわかる。それを認めない魔術師がいることが私にとっては驚きだ。しかも――」
……さっぱりわからん。
2人の小難しい議論は私を置いて果てしなく広がっていく。
「結局どうすればいいのよ?!」と痺れを切らせた私の叫びに2人は顔を見合わせると、「「もう少しお待ちください」」と議論に戻っていったっけ。
やはり自分でやるしかないのかと肩を落としていたのだが、ヒントは意外な所から与えられた。
その日、他の人間を避けるようにして会いに来たラジェスに「余って困るならオリオデガードにでも渡せばよかろう」と目から鱗な事を言われたんだよね?
契約しているオリちゃんに魔力を渡すのは簡単だ。
それでせっせとオリちゃんに魔力を横流しするようにしてたら、何とか自分の魔力が漏れるのは止められた。それは良かったのだが――。
オリちゃんは適度に消費してるようだけど受け取る量がとにかく多い。彼女の美貌には凄みが加わり……極上かつ妖艶な精霊にレベルアップしてしまった。
うう、中身まだまだ子供なのに。トラブル体質のちっこいタマみたいなヤツにこんな力持たせて大丈夫な訳がない。
微笑みかけられると寒気が走るってのは本人には内緒だ。
自由に自分の魔力の気配を操作するにはもう少し試行錯誤が必要で、その訓練と人型生活に慣れることの2つが旅の間の私の課題になっていた。
それにしてもまだ彼らに”マツリ”と呼ばれる事がくすぐったい。
これもフォルクマールが命じた事の一つだ。
私の素性を隠すため、うっかり「神竜様」なんて呼ばれる訳にはいかない。
私が人間になった日から、フォルクマールは自分も含め全員に「マツリ」と呼ぶ事を義務付け、この世界の人間らしく振舞えるよう知識を与えるように指示してくれた。
彼が短い間に私の今後の身の振り方を決めてくれたから、私は過度な不安に押し潰されることもなく彼らとこうして旅を楽しめている。
「お前は人前に出される事が多くなるだろう。ゆくゆくはしっかり礼儀作法も身に付けろ」
担ぎ上げられるのは覚悟していた。
フォルクマールは国に着いたら私の身をオーガスタに、神殿に預けるという。
神石を隠さず神子を名乗るならそれが一番自然だし、神殿はフォルクマール達『白き風』とも縁が深い。
それとなく私を守れるし王宮とも距離を置けるからと彼は断言したが、その割にフォルクマールは不安そうに最後まで悩んでいた。
そんな彼を見てたら私も不安になるんだけど、ね。
「きっと大丈夫だよ」
私はその度、大丈夫だと答えた。
大丈夫、大丈夫と何度も言葉を重ねる事が私とフォルクマールの”力”になるように。
それに言ってなかったが私は大学で社交ダンス部の幽霊部員だったんだからな?
不況日本で就活間際だった女子大生の、でっかい猫かぶりなめんなよ?
脳内でフフフと反抗的な事を考えた私は「大丈夫!」ともう一度笑う。
「――時々お前が羨ましくなるよ」
フォルクマールは私をジッと見た後、大きなため息をついていた。
私もその時にもっと真剣に忠告を聞いて皆から教わっておけばよかったんだけどね。後の祭りだ。
さて。
話が横に逸れてしまったが、何故私が箱庭から旅立つ事になったのか?
答えは箱庭に理があるから、だ。
人間は箱庭に住むことが出来ない、って昔からのね?
竜で人な私はどうなるのかわからないけど、少なくとも今は人間だ。
万が一を考えると、命を賭けた大博打は私も皆も打ちたくなかった。なら選択肢なんて始めからない。
あっと言う間に私の旅立ちは決まったし、準備して皆にお別れして慌しく出発して。
道中噂を聞きつけた知り合いが挨拶に来たり、精霊達も一目だけでもと言いながら契約を迫りに来たり。
箱庭の皆は私が人間になっても中身が誰だかわかるようだ。やることもあるし騒がしいしで、私は忙しくも楽しい旅生活を送っていた。
だから。
夜には一層寂しさが募った。
「寂しいか?」
「フォル」
私が寝る前に夜空を見上げていると必ず傍にフォルクマールが来てくれる。
これも一緒に旅するようになってからの日課だ。
そんなフォルクマールを親しみをこめて”フォル”と呼ぶようになったのはいつからだったかな?決して長くて舌を噛みそうになったからではない。
「寂しく思う暇もないよ」
事実だ。苦笑する私にフォルクマールも笑う。
「そうかもな。毎日お前の客が来る。おまけに思いもよらない事をお前は仕出かすからな?」
「何?今日の事?あれはフォル達が喜ばない方がおかしいの!」
そう、今日の事は感謝されてもいいくらいだ。
川に沿って遡っていたのだが、その川原の一画から湯気が出ているのを目ざとく見つけたのだ。
すぐさま駆け寄って手の平を地に当ててみるとジンワリ温かい。
これは掘ったらアレが出る。
温泉!温泉!と騒ぐ私を不思議そうな顔をして見ているだけのフォルクマール達。
もしや知らないのかと問うと揃って頷かれ私は眩暈がした。
こちらの風呂事情を聞いてみると、一般人は水浴びのみで、裕福な者はたらい風呂。貴族以上でようやく小さな浴槽に浸かっているとか。
風呂好きスパ好き温泉好きの私としては、今後に関わる由々しき問題だ。
こればかりは口で説明してもわからないだろう。
私はニヤリと笑うと、近くに居た土精霊にイメージを伝えズガーンズドーンと川原に5m四方の穴を開けてもらった。
呆然とする彼らに穴の底から湧き出て溜まっていく湯を見せ、これが温泉だと話す。
手で触れれば少し熱いが川の水で埋めれば問題ない。
まぁ、それから入る入らないとフォルクマールと押し問答になったのだが、最終的に止めに入ったナーダを実力行使で突き落とし私は勝利した。
もちろん皆に渋い顔で非難されたが時刻は夕刻。今からではそう進めはしないし、温泉の良さを知らないなんて人間として一生の損だ!
明日頑張るからと拝み倒して私は入浴許可をもぎ取った。
その間、濡れ鼠のナーダは血管切れるんじゃないかと思うぐらい激怒してたけど、穴の一画にゴゴゴンゴンと精霊達に岩で四方に高く仕切った小さめの女湯を作ってもらいさっさと私が服を脱いで入り始めると一瞬にして黙った。
男湯側の仕切り岩にポイッと服をかけたのが悪かったのか、見えない向こうで息を飲む音やフォルクマールとシークエンタが「マツリ!」「慎みがない!」と激怒する声は聞こえていたけどね。
別にパンティやブラジャーを引っ掛けたわけじゃないのになぁ。
一切構わず耳に蓋をし長風呂を宣言した私に、フォルクマールの力のない「野営の準備をしろ」という指示が聞こえた。
「いいお湯だったよね?ツルツルになった!」
「確かに思った以上に気持ちの良いものだったが――仕切りがあるからと言って、男と一緒に入浴する奴があるか!男ばかりの中で無防備すぎる。お前は女なんだぞ?」
思い出したのかムスッとして言うフォルクマール。私は首をすくめて答えた。
「フォル達が変なことなんかしないもの。それに日本では混浴って言って複数の男と女が仕切りなしで一緒に入る事あるんだよ?」
「お前の国の習慣か?信じられん……」
フォルクマールは嘆かわしいと頭を振っていた。
多分、日本のほとんどの風呂が混浴だと思われたかもしれないけど誤解させておこう。面倒くさい。
クスクス笑う私に、フォルクマールも諦めたように笑った。
「お前は面白いな。料理を出せば大声で喜び全部平らげる。歩く事や衣装に不満も言わないし、俺たちを敬ったり怖がったりもしない。水浴び一つで大騒ぎだ。見ていて飽きない」
「あんまり誉められてない気がする」
「誉めてるが?お前のような女は今まで見たことがない」
「……それやっぱり誉めてないんじゃ?」
「怒るな。お前の無邪気さは嫌いではないぞ?」
楽しそうにフォルクマールが笑うから私はまた文句を飲み込んでしまう。どうにも彼の笑顔に弱くていかんな。
「だが、マツリ。コンラドゥスでは気をつけろ。俺達以外には気を許すな。相手が例え女であっても、だ。油断をすれば足元を掬われる。それが俺の国だ」
そう静かに言ったフォルクマールの横顔は険しい。
何度か聞いたフォルクマールの国。聞くたび胸の中が重くなる。
私が顔をしかめたのを見逃さなかったのだろう。
「わかっている。お前にとって俺の国は決して居心地の良い国ではない。しかし、お前に神石がある限り――お前は神殿に。コンラドゥス帝国にいずれ取り込まれる。どこの国へ行ったとしても稀有なお前は利用されるだろう。お前の神が不在の今。……俺が守ってやれる場所に今は居てもらいたい。俺がお前を守ってやる」
ズルイ男だ。
「――明後日には洞窟の入り口に着くだろう。よく休めよ」
私の頭を一撫でしてフォルクマールは自分の天幕に戻っていった。
本当はいろんな感情でグチャグチャだ。楽しみなのも嬉しいのも悲しいのも不安なのも寂しいのも愛しいのもやっぱり嫌なのも。全部私のホントの気持ち。
私に吐き出せというようにフォルクマールは毎晩言い逃げしていく。
それがまたピンポイントで私のツボに入るのだから侮れない。
ゴシゴシと乱暴に落ちてきた涙を袖で拭う。
「明後日、か。明日連絡しないと」
私はもう一度夜空を見上げてから自分に与えられた天幕へと踵を返した。
お気づきかもしれませんが、マーリンの魔法理論はアインシュタインの一般相対性理論から引っ張ってきてますが勿論コジ付けです。