幕間:1 <ある不幸な竜と精霊>
”この世には不思議なことなど何もないのだよ”と言ったのは誰だっけ?
じゃあ、この目の前の光景は何なのヨ?
先生!100M先にスケスケに透けてる人らしきものがいっぱい浮かんでるんですがあぁぁ?!
奇岩の立ち並ぶ赤茶けた大地と森の緑のコントラストが美しい丘陵地帯を散歩してた私は、ありえない光景に硬直していた。
私には嫌いなものベスト3があるのだ。
第1位、虫(クモとGなら発作を起こす)
第2位、爬虫類(自分に見慣れたから2位にダウン)
そして、第3位、高い所と幽霊だ。え?4つある?同列3位なのです、気にしちゃ駄目。
どう見ても目の前でホロホロ泣いているのは今にも消え入りそうな(むしろ消えたからココにたむろってる?)お方達。
ちょっと待て。よりによって、その第3位にこんな真昼間に出会うとは思えないでしょ?!普通?!
私はクルリと踵を返した。
ああ、そうとも。ヘタレと呼ばれても良い。
触らぬ神に祟りなし。藪を突いて蛇を出すことはない。私は何も見なかった、これだ。
これ以上見えるのは困るので硬く目を瞑る。
背中に突き刺さる多数の視線も気の所為。周りの音が消えたのも気の所為。『……助けて……』と耳の傍で聞こえる声も、ぎゃーー!
私はビヨンと飛び上がると、一目散にダッシュした。思考は恐怖一色だ。怖い怖い怖いよぅ!
目を瞑っているため周りの木々をへし折りながらのダッシュだが、すぐに私の体は何か未知なる物に阻まれた。
どれだけ力をこめても体に圧力がかかりその場から進めなくなったのだ。
ひいぃぃ!これが噂の金縛りなのですかっ?!(シャカシャカと足は猛スピードで動いてます)
マジ泣いていいですか?死んだ振りした方がいいですかっ?なんでこんな時に気を失えないんだっ!
大パニックで必死な私は、大学時代霊感があると豪語していた知人Aの金縛り解き方講座を思い出そうと努力していた。
まず何だっけ?落ち着いて体を動かしてみるだっけ?
私はパニクリながらスハースハーと微妙に早い深呼吸をし、腕を前後に足はジャカジャカと更にスピードを上げ動かしてみた。
なのに、前には進まない。つ、次だっ!
私は顔の前で十字を切ると般若心経を大声で唱え、イエスに祈りをぶつけ、アラーを讃え褒めちぎった。
なのに、やっぱり前には進まない。次いぃっ!
私は『ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなあうちっ!ごめんにゃさいぃぃ!』と舌を噛みながら霊の皆様に謝り続けた。
なのに、それでも前には進まない。
私は心頭滅却して無の境地に『おお……お願い……助けてください……』なれるか!バカヤロウ!!
体当たりのごとく前方にジャンプするが弾力のあるものに弾かれ跳ね返って転がった。
まだまだ前には進まないって、いい加減、脳内の腹ペコあおむしを拳で叩きつける。
くっそう効かないじゃないか少女A!そういえばオカルト同好会なるすんげー胡散臭いサークルに入っていたな?
これさえ貼れば絶対悪霊は来ないと学祭で一枚500円で売っていたお札もインチキだろうお前!
ベット脇のジョニデ様ポスターの裏に貼って毎晩拝んでなんているもんかコンチキショー!騙されたっ!!
いや、この際そんなのどうでもいい!
後どうすればっ何だっけっ?!痛み?痛み刺激?!
私は爪を伸ばすと思い切って左の手の平をガリッと引っ掻いた。
慌てたので思ったより深く傷付けてしまったらしくポタポタと血が滴り落ちる。
ジクジクする痛みより、いつの間にか透明の幽霊’sに囲まれた状況に慄き腰を抜かしながら後ずさる。
背中が見えない何かにぶつかりそれ以上進めなくなった。
もう駄目だ。逃げられない。取り殺されてしまうっ!!
『あ、悪霊退散ーー!』
手元にあった枝や石を投げつけるが、通り抜けるのだから当然ダメージは与えられない。
しかし絶望した私の耳にはスケスケの皆さんのどよめいた声が聞こえてきた。
『貴方様は……!』
『なんと……!』
枝や石に付いた私の血を歓喜の表情で眺めている幽霊達。
そこで何故喜ぶ?!ゾワリと震えがきた。もしや、こいつら血肉を食うのでは……。
懸念が頭によぎった時、幽霊達が私に向かって頭を垂れた。
『聖なる神の竜よ、お願いいたします――どうか我らの兄妹をお助けくださいませ!』
気を失う寸前に聞こえた思いがけない相手の声に、私は『ひい?!』としか返事が出来なかった。
**********
落ち着いて目の前に漂う彼らを見てみる。
子供から20代くらいの大人まで、透明で儚い見た目はいずれも整った容姿をしている。
案内されたのは彼らがたむろっていた元の場所だ。残っていた霊達が私が通りやすいよう道をあけた。
彼らが囲んでいたのは平たい奇岩だった。
近寄って見ると、その上に輪郭さえあやふやに崩れた透明な2歳位の女の子が横たわっている。
『……我らの一番下の土の妹でございます』
年長のお姉さんが、そっと彼女の髪をすく様に撫でた。
『妹は……数日前にこの状態で発見されました。こうなってはもはや消滅を待つばかり――皆で嘆き悲しんでいたところに貴方様がいらっしゃいました』
霊達のすすり泣きが聞こえた。
『私達は風や水など自然を司るもの。人間達は精霊と呼んでいるようですわ』
『私達は”力”が源。あの子の”力”は尽きようとしている……』
『あの子を助けて!』
『力ある者との契約だけが彼女を助けることが出来るのです』
『神竜よ。その魔力を我らの妹へ』
『お願いだよ、妹を助けてあげて!』
皆それぞれが勝手に口を開くから、うるさくて耳鳴りがする。
だけど、とにかく彼らは幽霊ではなくて精霊だというのは把握した。ちょっぴり安心してしげしげ観察すると、確かに彼らは儚く見えるけど”力”があるようだ。
精霊かぁ~。まるっきりファンタジーだけど私自体がファンタジーだもんね。この世界に存在してるのも不思議じゃないか。
精霊と契約なんて異世界の醍醐味ここにありって感じだよね。――うん、格好いいかも。
精霊を使役して華麗に魔法を操る自分を想像して私はニンマリした。
死んだように眠る幼い女の子を見つめる。それに、こんな小さい子が消えてしまうってのも見過ごせないからね?
『うん、私が出来る事なら協力するけど、どうすればいいの?』
私の返事に歓喜した精霊達がまた一斉に声をあげるものだから私は耳を押さえる羽目になった。
この調子じゃ話も進みそうにない。
私は一番しっかりしてそうなお姉さん精霊から話を聞くことにした。
『精霊との契約は難しくありません。契約者は精霊の額に触れその名を読み取ります。精霊は触れて感じる魔力から使役される値のある人物かを判断し、是か否かを応えます。是と言えばそれで契約は完了です』
『それだけ?』
『はい。契約をすれば契約者の魔力を私達は共有できます。ですから自分の魔力が枯渇した妹も貴方様の魔力で存在を維持できる筈なのです』
名前を読み取るとかイマイチわからないけれど、タマとの契約みたいな感じかな?
ハヤクハヤクと周りに急かされて、私は言われるがまま女の子の額に指を伸ばす。
仕方なかったとはいえ、この時もうちょっと考えれば良かったんだよね、きっと。
かくして私は彼女の名を呼び、意識の底で彼女が応え、私達の間に契約の絆が出来た。
私の魔力は彼女の助けになったようだ。
輪郭を取り戻し目を開いた愛らしい彼女に私は『初めまして、私はマツリ』と笑って挨拶したのだった。
…………。
ここで終わったら美談でしょ?私の中ではその筈だったの。この子と『仲良くしようね』で出会いは美しく終わる筈だったの。
目覚めたこの子は『ありまとしんりゅーさま』と鈴の音のようなたどたどしい口調で私を見上げ、しばらくモジモジしたあと私の手に擦り寄った。
擦り寄りながら甘えていいのかな?と心細げに私の顔を何度も仰ぎ見る。大きな瞳が今にも落っこちそうだ。
産まれたばかりの子猫のようなその強烈なかわゆさに抗える者はいまい。彼女の細く頼りない尻尾がプルプルと震えている幻覚が見えた。
ぎゅむと抱きしめたいがスケスケの彼女には触れられないという現実に絶望する。
私は内心の葛藤を綺麗に隠して『(甘えても)いいんだよ?』と満面の笑顔を彼女に向けた。
ビクリと体を強張らせた彼女が、ソロリと見上げてくるのに私はもう一度笑顔で頷く。
心配はいらない。お姉さん、小さいものは大好きだ。君のような愛らしい幼女は特に好物っゴフゴフ、いや大好きなのだ。
心ゆくまで甘やかしてやろうではないか!!
ホッとしたような彼女が私の手の平に顔を埋め私は身を捩って萌え喜んだ――喜んだのだが。
手の平からペロペロチューチューという舐められ吸われる感触と擬音がする。
はい?と混乱するが、その手がさっき引っ掻いた左手で血が出ていたことに気づく。
2歳(?)の小さな子だ。きっと赤い色が興味を引いてしまったのだろう。
『駄目!吐いちゃうよ?こんなの舐めたら!』と慌てて手を引き、『病院はどこ?!』とか『胃洗浄しなきゃ!』とか周りの精霊に詰め寄ったのだが。
『すごいよ、お姉ちゃん!』
笑う声に視線を下げると視線の先には4歳くらいに成長した女の子。心持ち緑色に見えなくもないフワッと色づいた髪が、卵型の顔を包む。
『見て!オリ大きくなった!』と興奮したのか薄っすら赤みを帯びるプニプニホッペが愛らしい。
『オリ、ちゃん?』
『そだよ?』
不思議そうな顔をする彼女に驚愕する。
なんで?!もう成長したの?!
どういうことかと振り返ると、周りの精霊達は何やらモジモジしている。
『その、神竜様の血には多くの魔力が感じられます』
『我らは力を得て成長するのだ』
『力が増せば具現も出来まする』
『素晴らしいお力ですこと。わたくしも神竜様と契約できれば天にも昇る幸福なのですが』
『僕も欲しいな……』
『私ももっと大きくなりたい!』
『我らとも契約せぬか?』
一人が言い出したら私も僕もと雪崩のように詰め寄られそうになった。
それをガードしたのは頬を膨らませたオリちゃんだ。
『みんな駄目なの!マツリお姉ちゃんはオリの!お姉ちゃんのものは全部オリのものなんだから!』
いや、オリちゃん?それはジャイアンと言ってですね?
その考えは子供にとって危険だと説明しようとしたのだが、そうこうしてる間に精霊達の間でケンカが始まってしまった。
見た目子供の癖にオリちゃんは強かった。並み居る精霊を私から追い払う。
『この恩知らず!私が先に目を付けたのよ?!』
『それはそれ、これはこれなの!』
『独り占めする気か?!』
『オリのだもん!みんなはダメなのっ!』
――もう帰っていいですか?
憧れていた見目麗しい精霊という存在がこれだけ独占欲が強く嫉妬深いとは……。どうすりゃいいのよ。
魔力で右へ左へと精霊達の間をボールのように行ったり来たりしながら私は泣きそうになっていた。しかも動かされすぎて気持ち悪い。
最終的に私と繋がっていることでスタミナ勝ちしたオリちゃんが、隣で高らかに笑った。
**********
結局あれから精霊達には一方的に懐かれた。
見たことのない精霊達まで、神竜様神竜様とわざわざ私を訪ねにくる始末。
精霊の情報ネットワークは半端なく速く広いようだが、どんな情報が流れているのか考えると恐ろしい。秘密なんて持てないんじゃないか?
とにかく親切に力を貸してくれ、あわよくば契約をと迫る彼らに、お茶を濁す意味で対価として血を渡すようになった。
それがまた彼らを魅了するというのに。
オリちゃんは並み居るライバルを蹴散らすためにはもっと力が必要だとコッソリ夜這いをするようになり、今のゴージャスなオリちゃんに成長する。
あんなに『お姉ちゃん』と慕ってくれていたのに実は78歳の自分の方が年上だとわかると、オリちゃんは私の名前を呼び捨てするようになった。
性格が成長と共に捻くれ好戦的になっていったのは断じて私の所為ではない――筈だ。
ほんの少しだけ、あの小さなオリちゃんはもう居ないんだなぁって寂しさを感じる。
だけど。
『マツリー!砂漠に散歩行くわよっ!地面に毒撒く胸糞悪い魔物がいるのよ!』
小さい頃と同じように腕を絡めてくるこっちのオリちゃんも好きなんだ。
どこか亜里沙に似てサバサバした性格のオリちゃんに、私は確かに癒されている。
『大迷惑よ!自分の毒と一緒に岩に閉じ込めてやる。ジワジワ腐ればいい』
……癒されてるのか?
疑問はあるけどずっと一緒に。仲良くしよう。
あの日の思いは今も変わらない。
腕をぐいぐい引っ張るオリちゃんの顔は今でも子猫のようだった。
幕間第一弾はオリオデガートとの出会いです。
マツリがオリちゃんと呼ぶのはこの頃の名残です。