第6話 『安らぎ』
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狭い店内を奥に進み、カーテンレールを潜ってさらに進む。
その先の店内は一気に広くなり、まるでバーのような空間になっていた。
キッチンの棚にはボトルが重ねられており、天井には無数のグラスが吊るされている。
カウンター席に加え、六人用の大きなテーブル席が四つ完備されていた。
テーブル席の一角に、ジェイルとカレンは隣合って腰をかける。
「このバーの開店は夜からなんだ。今の時間帯は誰もいない。フードを外しても大丈夫だよ」
「あ、はい。えっと……あの方は一体……」
ジェイルの言葉を聞いて、ゆっくりとフードを外すカレン。恐らくバーも初めて見るのだろう。大量のボトルが並べられた棚を、物珍しそうに眺めている。
「彼女はナターシャさん。俺の恩人の一人で、信頼できる人だから安心してほしい。さっきまでいた雑貨店『オルセントの流れ屋』と、このバーを一人で切り盛りしている女将さんなんだ」
「そうだったのですね……。ところで、あの……オルセントというのは――」
カレンが何かを訊こうとした瞬間、ナターシャがカーテンレールの奥から戻ってきた。
「待たせたねぇ。何やら訳ありのようだから、雑貨店の方は閉じてきたよ。今、飲み物を用意するからね」
ナターシャはカウンター席の向こうにあるキッチンへ向かい、天井に吊られたグラスを二つ取る。その後、傍らにある保冷用の魔導器から大きなボトルを取り出し、中身をグラスに注ぎ始めた。
「それにしても、三日ぶりに現れたと思ったら、こんな可愛い女の子を連れてくるなんて。一体どんな事件に巻き込まれたんだい?」
そう言いながら、飲み物を入れたグラスをジェイルとカレンの前に置く。
「それがですね――――」
ジェイルはナターシャに、森の中で馬車を見つけたこと、その中に鎖で繋がれたカレンを見つけたこと、窶れていたカレンを三日間匿っていたことを話した。
「――まさかハラル大森林で、そんなことがあったなんてね……」
話を聞いたナターシャが、神妙な面持ちで呟く。
「下手をすれば今頃、カレンを捕らえていた人物は、血眼になってカレンを探しているかもしれない。だから俺の魔術士ローブをカレンに被せて、ここまでやってきたんです」
「そういうことだったのかい。あんたのローブは、認識阻害の魔術が付与されてるからねえ」
ナターシャはジェイルとカレンの向かい側に座った。
「だけど、これからどうするんだい? その子をうちで匿うのは全然構わないが……いつまでもここにいる訳にはいかないだろう?」
「もちろん、この件はすぐに俺が解決するつもりです。本当は、カレンの出自が分かれば良いのですが……あまり言いたくはないみたいで」
ジェイルは苦笑しながら、カレンを優しく流しみる。カレンは一瞬目が合うと、気まずそうに下を向いた。グラスには全く手を付けていない。
「そりゃそうだ。この子からしてみると、突然連れ出されたと思えば、そこは名前も知らないよその国だったんだ。警戒もするだろうさ」
ナターシャはそう言って、カレンの方へ体を向ける。
「カレン、と言ったね。そのグラスに入っているのは奶茶って言ってね、公国特産の紅茶に新鮮なミルクを入れた飲み物だよ。毒なんて入っていないから安心しな」
その言葉を聞いて、カレンはグラスを手に取りゆっくりと飲み始めた。
「……! おい……しい……」
「そうだろう?」
にっ、と笑うナターシャ。
「あんたの身の上話は、また話したくなったら話しな。事が落ち着くまでは、ずっとここにいていいからね」
「……どうして……私などの為にそこまでして下さるのですか……」
グラスを置いたカレンは、再び目を伏せながらそう呟いた。
その瞳はやはり、何か罪悪感を感じているようだった。
「そうだねえ……カレン。ジェイルからこの国――フォルニカ公国については聞いたかい?」
「っ……はい。周りを大国に囲まれた、小さな国だと」
「そう、フォルニカ公国は小国。そのせいで、大昔から侵略に脅かされてきた」
「はい……それに対抗するために、魔術士がこの国を守ってきたと聞きました」
「その通りだ。だけどね……この国を守ってきたのは彼らだけじゃない」
えっ、というような表情でカレンが顔を上げる。
「領主に……貴族に……平民。この国に住む民は昔から、お互いに助け合って公国を守ってきたんだ。みんなこの国が大好きだからね」
ナターシャは続ける。
「この国にいる者ならみんな、困っている人を助けるのは当たり前さ」
「ですが……私はこの国の生まれではありません。助けてもらう義理なんて……」
「――カレン、よく聞きな」
ナターシャは椅子から立ち上がり、カレンの隣に腰を下ろす。
そしてカレンと目線を同じにして、諭すようにゆっくりと告げる。
「国の出身かどうかは関係ない。誰かが困っていたら、他のみんなが助ける。誰かが助けを求めていたら、他のみんなが手を差し伸べる。それが、フォルニカ公国だよ」
「ッ――でも……! 私をここまで連れてきた人は、とても恐ろしい人です……! このままだと、お二人に危険が……」
そう言った時。ナターシャが大丈夫だよ、とにっこり笑い、優しくカレンを抱きしめた。
「――カレン。あんたは今までずっと、辛い目にあってきたんだろう。だけど大丈夫……きっと大丈夫さ。今はまだ信じられないかも知れないけど、あたしとジェイルが必ずあんたのことを守ってみせるよ」
大きな手で、背中と頭を優しく撫でる。
「……」
気づけば――カレンの瞳から一筋の涙が流れていた。
そのまま、ゆっくりと目を瞑り――
「……すぅ、すぅ……」
ナターシャにもたれかかるように倒れ、寝息を立て始めた。
「――寝てしまったようですね」
二人のやり取りを隣で見ていたジェイルが、優しく呟く。
「ずっと気を張り詰めていたんだろうさ。二階で寝かせてくるよ」
そう言うとナターシャは、カレンを優しく抱きかかえる。
「本当にお世話になります。ナターシャさん」
「気にすんじゃないよ、ジェイル。それに――」
ナターシャが、笑いながら言った。
「あたしも、この子は放っておけないからねえ。まるで、昔のあんたにそっくりじゃないか」
「あはは……言い返せません」
ジェイルはバツが悪そうな顔で、頭を掻くのだった。