第56話 『ニナ対"魔毒"のヴェレーノ 其の二』
――――。
「さて、そろそろいいでしょう」
幾ばくか時間があった後。
ヴェレーノは、倒れ伏すニナを見て言った。
「無色無臭の毒……隠密性は十分ですが、やはり殺傷力に劣る。彼女を被検体にして、更なる改良を図るとしましょう。仮にも煌燈十二軍であれば、素体として十分ですから。クックック……!」
手頃な実験体を得られたのが、よほど嬉しかったのか。
ヴェレーノは野卑な笑みを浮かべ――
「どれ……?」
ゆっくりとニナへ手を伸ばした……その時だった。
「……はぁああああああああああああッ!」
「な!? へぶぁああああああああああああッ!」
突如として、ヴェレーノの脳天に衝撃が走る。
顔面に、硬い何かがめり込んだ感触。
そしてゴムボールのように飛ばされ、二転三転。
奥にある煉瓦壁へ、盛大に激突。
「が……馬鹿な……!?」
「ふ――」
ヴェレーノを襲った衝撃の正体。
それはいつの間にか立ち上がり、右拳を振りかぶって、ぴたりと残心しているニナだった。
「う……ぐぐ……何故……一体なぜ!?」
チカチカと明滅する視界。
ひしゃげた鼻を押さえながら、ヴェレーノがふらふらと立ち上がる。
「なぜってなにが?」
ヴェレーノの顔面を殴り飛ばしたニナは、素知らぬ顔で睥睨した。
「貴方は催眠毒で眠っていたはず……。いや、仮に目覚めたとしても、麻痺毒にもかかっていたんです! これほど早く動ける筈がない!」
「あんなの、やられたフリに決まってるでしょ。アンタは私を殺す気が無かったみたいだし、こうやって隙をついた方が手っ取り早いもの。
麻痺を治せた理由はね、"これ"よ」
そう言ってニナが懐から取り出したのは、カプセル型の小さな注射針だった。
既に注射した後なのか、カプセルの中は空で、針はむき出しになっている。
「このカプセルに入っていた薬品は特別製でね。組み込んだ魔術に応じて、自在に性質を変えられるの。
毒を中和する術式を組み込めば、もちろん解毒薬になる。
それでさっき毒を分析して、作った抗体を打ったってわけ。アンタの作る毒は、もう効かないわ」
「それこそ馬鹿なッ! 初見の毒を、僅か一分足らずで分析して、抗体まで作るなんて! 貴方は一体……!?」
「煌燈十二軍"第三軍団"所属。ニナ=アッシュよ」
威風堂々。
ニナが名乗り上げる。
「アッシュだって……! まさか、公国が誇る錬成魔術の大家『アッシュ家』の息女か!?」
「そ。煌燈十二軍の中でも、錬成で私の右に出るやつはいないわ。私とアンタ、確かに相性は最悪だったみたいね」
澄まし顔で応じるニナ。
そして、形勢逆転。
一気に窮地に立たされたヴェレーノ。
「ちぃ――ッ!」
ヴェレーノは足掻くように、懐から無数のアンプルを取り出すと、ニナに向かって次々と投げつけた。
パリン! シュー……!
空中でぶつかり合い、割れたアンプルは、どす黒い瘴気となってニナに襲いかかる。
幻覚毒――溶血毒――出血毒――神経毒――
ヴェレーノを"魔毒"の通り名たらしめる、無数の毒。
一つ一つが、角狼レベルの魔獣を群れごと殺して余りある劇薬。
常人が吸い込めば、当然即死は免れないが――
「だから、効かないって言ってるでしょ」
空気が屈折し、空間が歪んで見えるほどの特濃の毒地帯を、ニナは軽い足取りで抜ける。
既にニナには、ヴェレーノが作り出すあらゆる毒に対して耐性を持っているのだ。
「アンタが最初に使った3つの毒、さっき寝てるフリをした時に解析したけど、基本構造が全部一緒。
それがアンタのブランドなのかもしれないけど、錬成魔術の観点から言えば、これほど抗体を作りやすい毒はないわ」
「そんな……バカな……!?」
自慢の毒を封殺され、唖然とするヴェレーノ。
「く……まだです! 私のポリシーに反しますが、奥の手を使うしかないようですね……!」
ヴェレーノは距離を取ると、膝をつき、魔力を込めた指先で地面に何やら描き始めた。
「あれは、ルーン文字?」
ニナはその様子を静かに見据える。
ルーン文字。
魔力を込めた文字や記号を組み合わせ、任意の事象を引き起こす。
大陸史上、最も古い魔力技術の一つ。
「串刺しにしてあげましょう! 連続錬金術――【クラスタル】ッ!」
その瞬間。
周囲の地形がぐにゃりと曲がった。
倉庫内の地面や壁がうねりを上げ、一面、針山のような形状へ変化したのだ。
連続錬金術【クラスタル】。
あらゆる無機物を操り、変幻自在の武器と化す、錬金術の奥義の一つ。
「ふうん。大公庁のアーカイブで読んだことがあるわ。防御力と攻撃力を兼ね備えた、錬金術の奥義だってね」
自身に向いた針山を、物見遊山のように眺める。
ニナには微塵の焦りもない。
まるでこの程度、いくらでも対処可能といった様子だ。
「随分と余裕じゃないですかあ! しかしその油断が命取りになるッ!」
対し、ヴェレーノは完全に余裕を無くしている。
最初の紳士然とした態度はどこへやら。
何がなんでもニナを殺すといった、血気迫る表情だ。
そして、魔力の胎動が最大値に到達して――
「死になさいッ! 煌燈十二軍!」
ヴェレーノが腕を振りかざした瞬間。
ひゅばっ!
壁、床、天井。
四方八方から突き出る剣山が、ニナを貫かんと襲いかかった。
「《原始の根源よ・我が袂に画一せよ》」
たった二言。
刹那。
足元が眩く輝き、魔術円陣が展開される。
「!」
そこから現れるは鋼鉄の壁。
それは繭のようにニナを包み込み、迫りくる剣山から完璧に守る。
「《原始の根源よ・広く・我が袂に画一せよ》」
再び、ニナは呪文を唱える。
すると今度は、鋼鉄の壁がぐにゃりと曲がり、粘土のように剣山を包み込むと。
次の瞬間には、迫り来る流れを完全に押し戻し、元の倉庫へと地形を復元したのであった。
「もう終わり?」
「馬鹿なッ! 仮にも錬金術の奥義である【クラスタル】が、こうもあっさり所有権を奪われるなんて!」
奥の手を切った手前、ヴェレーノは目を剥くしかない。
「魔術の良い所はね、深層意識で術の性質をいくらでも変えられることなの。比べてアンタの切り札は、ルーン文字で術式を書いた瞬間に、出力と効果が決まってる。
だから後から効果を追加して、術式を掌握したってワケ」
「……ッ!」
ヴェレーノは絶句する。
そんなもの、後出しジャンケン以外の何物でもないではないか。
こちらがどのような手札を用意し戦いに臨んでも、その尽くが瞬時に対応され、凌駕され、攻略される。
自身が未熟だからか。
否。
魔術が強すぎるのだ。
あらゆる魔力操作を理論に落とし込み、脳の深層意識で術式を構築し、魔力を流して事象を引き起こす。
ヴェレーノは、大陸最高と謳われる"魔術"の恐ろしさを、改めて思い知るのであった。
「馬鹿な……ッ。第二世代……これが歴代の煌燈十二軍の中でも落ちこぼれだと!? フォルニカ公国は、一体どれほどの……!」
正直、侮っていた。
建国以降、大国に囲まれる中、永世独立を保ってきたフォルニカ公国。
魔術がいかほどの技術かは知らぬが、戦争の減った近年では、どうせ衰退しているだろうと。
事実、マージェスを簡単に墜とせた上、唯一の軍事機関である煌燈十二軍は未熟な若者ばかりと聞く。
故に、とっくに落ちぶれた国だろうと。
とんでもない。
「言っとくけど、私はその落ちこぼれの中でも下のほう。
第一軍団のジェイルや第二軍団のルーガンだったら、そもそも毒をくらう前にアンタを瞬殺してるわよ」
硬直するヴェレーノへ向けて、ニナが冷ややかに告げる。
「私はね、ジェイルやルーガンみたいな、全てを薙ぎ払う強さは持ってない。
だから……その分、努力でカバーするの。公国最強の魔術士として恥じないように……あいつらと並んで戦えるように」
ニナは自分の掌を見つめた。
そこには無数の痣や傷跡がある。とても若い娘の手とは思えない。
若くして公国最強の座に加わるために、一体どんな修練を積んできたのか。
どれほどの血を流してきたのか……
「さあいくわよ。アンタをとっ捕まえて、情報を全部吐いてもらうんだから」
ニナは再び、静かに拳を構えて。
「そ……そんな……この私が……この私がああああぁッ!」
「ふ――」
【エンチャント・クロス】を全開に。
彼我の距離を一瞬にして詰め――
「はぁああああああああああああ――ッ!」
放たれた渾身の右ストレートが、ヴェレーノの顔面を撃ち抜く。
ヴェレーノはそのまま盛大に吹っ飛び、意識が刈り取られるのであった。
――――。
「〜〜〜〜」
ニナは捕縛系【リストリクション・リング】と催眠系【スリープ・ハウンド】を何重にもかけ、ヴェレーノを完全に無力化する。
「……よし。あとは魔力点を解除して、こいつを銀氷狼に引き渡して。早くジェイルたちと合流しなきゃ」
そう言うと、ニナは自身の腕を見つめる。
(第二階……思ったより厄介だったわね……これで序列が下から2番目だなんて……)
ニナの指先は、ヴェレーノの毒の影響で微かに震えていた。
構造を精確に解析し、完璧な解毒剤を作ったつもりだったが、どうやら見積もりが甘かったらしい。
もしあのまま長引いていれば、戦いの趨勢は向こうに傾いていただろう。
(まだまだ、今のままじゃ全然だめ。ベルと約束したじゃない……。あいつらに並んで戦えるように、もっと強くならないと……)
同じ第二世代と揶揄されながらも、魔闘拳を教わりメキメキと実力をつけたルーガン。
異邦人ながらも、圧倒的な才能と実力で第一軍団についたジェイル。
そして、かつてかけがえのない仲間だった、とある少女の姿が、ニナの脳裏によぎる。
普段は強がっていても、彼らに比べれば、私なんてただの雑魚だ。
未だ未熟な自分に、もどかしさを感じつつも。
ニナは両手で頬をパン! と叩き、気を引き締め直すのであった。




