第55話 『ルーガン対リンゲル=ライヤード 其の一』
――――。
『ブモォオオオオオオオオオオオオオ――!』
囂々たる咆哮が、旧地下水路を反響する。
それを皮切りに走り出す巨躯。
牛頭の魔獣の、振るえば大地が割ける剛腕が、眼下のルーガンへ差し迫る。
「しい――ッ!」
ルーガンは身体を半回転させ、魔獣の剛腕を紙一重で躱すと。
そのまま、腕をなぞるように回り込み、跳躍。
「うぉおおおおおおらぁああああああ――!」
ひねりを加えた回転から、魔獣の首元へ強烈な回し蹴りを繰り出した。
すると――
ぶしゃあ!
まるで、鋭利な刃で斬られたように、魔獣の首から血飛沫が上がる。
『ブモォオ!?』
傷は深くないが、予想外の一撃。
魔獣は思わず怯み、ルーガンから距離をとった。
「ふむ、よもやあの分厚い首を切り裂くとは。小僧め、なかなかの魔闘拳を使いおるわい」
片や、一連の差し合いを後方から観察していたリンゲルは、顎を撫でて呟く。
魔闘拳。
身体強化魔術を併用しながら、魔力を全身にのせ、インパクトの瞬間に相手の内部へと炸裂させる、公国が誇る近接戦闘術だ。
魔力操作の感覚から会得難易度は非常に高い上、遠距離高火力という魔術の優位性を完全に捨てることになるが、その威力は絶大。
なにより、攻性魔術と比べ魔力消費のコスパがよく、継戦能力に優れている。
以前ジェイルがリッパーへ告げたように、第二世代の煌燈十二軍は皆、この格闘術を叩き込まれているのだ。
「それにこの演武に似た動き。大陸最強と謳われる武術、『東仙白鬼拳』じゃな。
まだ奥義の域には至っていないようじゃが……。まあ、流石にかの"無敵の武人"に比肩する使い手は、そうそう現れんわのう」
リンゲルが一人呟く間にも、ルーガンの猛攻は止まらない。
今度は懐へ一気に距離を詰め、魔獣の右膝を横薙ぎに蹴り上げた。
「はぁああ!」
メキメキッ!
関節がひしゃげ、砕かれる音。
『ブモォオオオ!?』
「へッ、やっぱりか! いくら改造しようが、関節は弱いみてーだな!」
にっ、と笑うルーガン。
片膝つく魔獣へ、次は正面から突貫して。
「これで終わりだ――《炎楼よ》ッ!」
呪文を唱え、魔獣の眼前で拳を勢いよく振り抜く。
すると、拳の先から魔術円陣が展開。
円柱状に収束した炎が放たれた。
炎熱系の三等軍用魔術――【フレイム・ロード】だ。
『〜〜〜〜!?』
魔獣は声を上げることもままならず、膨大な熱の奔流に押し流され――
ドガァアアアアン!
背後の石壁にぶち当たり、土煙の中へと消えゆくのであった。
「ほう。正面から殴り合うのは避け、筋肉増強の隙をついたか。なかなかやりおるわい」
リンゲルが劇場でも見ているかのように、からからと嗤う。
「――次はテメェだ、ジイさん。第三階ってんなら、とっ捕まえて情報を吐かせてやるぜ」
ルーガンは、右手にバチバチとはじける魔力残滓を軽くはらうと。
魔力点の傍らで、高みの見物を決め込むリンゲルに照準を定め――
「うおおおおおおおおおお――ッ!」
一気に突貫。
(ふむ。こやつ……ただ考え無しに突っ込むのかと思いきや、弱点を見抜き、的確に斬り込む賢さを持ち合わせておる)
リンゲルは変わらず顎を撫でながら、内心そう分析して。
「じゃがまぁ……油断大敵じゃぞ、小僧?」
暴風のように近づくルーガンに怯みもせず、リンゲルは唐突に天井を指差した。
「! なんだ……?」
反射的に見上げるルーガン。
頭上の光景に、思わず息を呑む。
二人のいる地下空間。
その天井には、一面を覆い尽くす"巨大な円形法陣"が描かれていた。
規模はリンゲルの傍らにある、魔獣召喚用の魔力点のおよそ三倍。
それが、ぱあああっと淡く光り始め……
『ブモォオオオオオオオオオオオオ――!』
なんと、円形法陣の中から牛頭の魔獣が現れた。
それと同時に、ルーガンは先ほど魔獣を吹き飛ばした場所から、その大きな存在感が消えていることに気づく。
すなわちこれは……
「空間転移だとォ!?」
剛腕を振り下ろし、ルーガンを潰さんと落下してくる魔獣。
「ちぃ!」
ルーガンは即座に両腕を交差させ、防御姿勢をとる。
しかし、膨大な質量をもつ魔獣の一撃は凌ぎきれず――
「が……はぁ……ッ!」
魔獣の拳が大地を割り、ルーガンを叩き潰した。
駆け抜ける衝撃。
全身バラバラになるような感覚。
煌燈十二軍の中でも屈指の強健さを誇るルーガンですら、意識が飛びそうになる程の、もはや限界を超えた痛みが襲いかかった。
「ち……くしょう……」
魔獣が割いたクレーターの真ん中で、ルーガンは倒れ伏す。
それを見たリンゲルは、愉悦そうに嗤って。
「ヒョヒョヒョ! 設置した魔力点が魔獣召喚のものだけと思うたか!? 甘いのう!
この地下空間は、既にワシ特製の魔力点を張り巡らせた"工房"そのもの! 領域内の魔獣を転移させることなど、造作もないわい!」
天を仰いで高笑いするリンゲルの言葉に、ルーガンは歯噛みする。
(くそッ、空間転移……んな高度なモンまで仕掛けてやがったのか……!)
空間転移は、どんな魔力技術でも膨大な手間と魔力がかかる。
フォルニカ公国が誇る魔術ですら、半永久的な空間転移は実現不可能として、都市間を繋ぐ転移ポータルの建設を断念したほどだ。
それをごく限られた空間であるとはいえ、リンゲルは実現させた。
いかなる魔力技術を用いているかは不明だが、それが超絶技巧であることに違いない。
そうしたのちに。
魔獣は両腕でルーガンを鷲掴むと、胸の高さまで持ち上げて、一気に締め上げた。
「ぐぁあああああッ!」
メキメキ、と両手の潰れる音。
そして肺からねじ出される空気の感覚に、ルーガンが悶絶する。
「殺すでないぞ〜。少し前に調達したとはいえ、丈夫な素体は持て余して困らんからのう」
リンゲルが呑気に言うものの、魔獣の剛腕はルーガンをそのまま握り殺しかねない勢いだ。
「く……そが……」
朦朧とする意識の中、ルーガンが消えるような声を出す。
そして……
ぶしゃあ!
紅い鮮血を吹き出したのは、魔獣の方であった。
「な……んだと……!?」
眼前の異変に、ルーガンが目を剥く。
今この瞬間、ルーガンを握り潰さんとしていた魔獣が、突如として全身から血しぶきを上げ、苦悶の表情で唸り始めたのだ。
『ブ…………モォ…………ア"ア"…………』
「おん? 強制転移で肉体に負荷がかかりすぎたかのう? なにぶん突貫工事じゃったからな、転移の術式が甘かったんじゃろ。ほれ、早く治さんか」
リンゲルが大杖を床に打ち付ける。
すると、魔獣の全身の肉がうねり出し、裂傷が塞がり始めた。
『ブモォオオオオオオオオオオオオッ!?』
「ちぃッ! 回復力もバケモンかよ……!」
唯一の好機と捉えたルーガンの思惑も虚しく、魔獣は元の無傷な状態に戻っていく。
これほどの怪物、一体どのように作ったというのか。
だが、その時。
『ア"……ア"……』
「!?」
ルーガンは気付いてしまった。
『…………イ……ダ……ィ……』
転移負荷に苦しむ魔獣が出した声を。
先刻までの、野性の獣が放つ咆哮とは別の、まるで"人"のような呻吟を。
「――! 馬鹿な……」
ルーガンは再び気付く。
魔獣の瞳の端から、何か液体が流れて、伝っていることに。
その頬を伝うのは紛れもなく――
「涙……だと……!?」
妙だとは思っていた。
魔獣とは本来、魔力の影響で変質した動物の総称だ。
それをいくつか、かけ合わせて作るのが合成魔獣。
であれば、元となる魔獣たちの名残りがあるはず。
だが……ここまで人型に酷似した魔獣がいるだろうか?
「……ッ!? おいテメェ……まさか……」
ルーガンの脳裏に、最悪の想像が過ぎる。
「こいつも、あの時戦った馬頭も、人間から作ったッてのか!?」
「ふん。何をいまさら」
ルーガンの鋭い視線を受けて――
「このワシが! 合成魔獣などという! 生殖もできん出来損ないを好んで創るわけなかろうが!
あのティタノボアは、あくまで上からの命で作ったに過ぎん! 人を馬鹿にするのも大概にせいッ!」
リンゲルの態度が豹変し、ヒステリックに叫ぶ。
「ワシの目的はあくまで"最強たる種の創造"! この改造人間ならば、人間との交配も当然可能じゃ!
多少歪な胎児も産まれおるが、改良を重ねれば安定して強き個体を増やすことができるじゃろう!
そしてこれらの種が十分反映し、地上を支配したその時こそ! 人間は真の意味で究極の生命になれるというものじゃ! ヒョッヒョッヒョッ!」
「ッ……」
倫理が破綻したリンゲルの言葉に、ルーガンは絶句する。
牛頭の魔獣――もとい牛人は、度重なる戦闘で、痛覚や人間性がいくらか戻ったのだろう。
無理やり肉体を強化された負荷に、苦悶の表情を浮かべながら、それでも大きな両腕でルーガンを拘束し続ける。
改造を施されたその瞬間から、ただリンゲルの命令に従う駒になってしまったのだ。
やがて……
「……れねぇ」
「はて? 何か言ったかの?」
「……テメェのしたことは……許されねぇ……ッ!」
ルーガンの瞳が、一層鋭くなった。
牛人の両腕の中でもがくように、身体を仰け反らせると。
「《炎――」
「無駄じゃ! 無駄無駄! いくら呪文を唱えようが、魔術士の命である両腕を潰されては、魔術は放てまい!」
「――楼よ》ッ!」
高らかに嗤うリンゲルを無視して、ルーガンが詠唱を〆る。
そして。
「おッらぁ!」
牛人に向かって、頭突きを放った。
直後――
豪ッ――!
なんと、ルーガンの前頭部を起点として魔術円陣が展開。
そこから【フレイム・ロード】が起動。
荒れ狂う炎の柱が、牛人を頭から覆い尽くしたのだった。
「なんじゃと!?」
ルーガンが突如見せた、掟破りの魔術起動。
さしものリンゲルも声を上げ……
『ブモォオオオオオオオオオオオオオ――!?』
牛人はたまらずルーガンを解放。
そのまま二、三歩仰け反って、炎の中で咆哮を上げるのであった。
「はぁ……はぁ……」
牛人が立っていた場所には、潰れた両腕をだらんと垂らして息切れしながらも、二の足で立っているルーガンの姿が。
「よもや頭蓋から魔術を放つとは……なんという魔力回路の柔軟さ! お主のような魔術士は今まで見たことがないわい!」
本来、魔術を放つのは、両手からというのが通例である。
体内に流れる魔力回路のうち、外界と繋がった魔力点(魔力の溜まり)が、両腕に集中しているからだ。
それゆえに、どんな魔力技術でも、必ず手のひらを通じて魔力を放出というのが常識。
しかし……
体内の魔力点を数多く持ち、かつ柔軟な魔力回路を有していれば、肘や足、頭といった身体の節々からでも、理論上は魔力を放出できる。
それこそがルーガンの持つ稀有な才能。
ジェイルを含む、公国有数の実力者の中でも、このような才能を持つ者はほとんどいない。
大公ユリエスによって見出された、第二世代屈指の魔術士なのである。
「これほどの素材、公国の魔術士の中でも一体いくらおるか! うーむ欲しい……お主を元に改良を加えれば、あと50年は研究が早まるじゃろうて!」
「黙れよジジイ」
地獄の底から響くような、低い声がした。
「《天憑の導きあれ》」
【アーリー・ヒール】で、両腕をかろうじて動かせる状態に戻しながら。
「俺はなぁ……ジェイルのやつと違って、ヨルムの括り全員を殺したいほど恨んでるわけじゃねぇ」
ルーガンが静かに、虚ろな目を浮かべながら。
「だがなァ……ッ!」
糸がぷつりと切れ、どこか致命的な逆鱗に触れたように。
「命を弄ぶテメェだけは……絶対に許せねぇッ!」
次の瞬間。
激昂したルーガンの鋭い瞳が、後方のリンゲルを射抜くのだった。
「ふん。俗物に崇高なる境地を理解するなぞ、そもそも期待しとらん。精々、実験材料として役に立ってもらおうかのう。ほれ、早く起きて小僧を捕らえんか」
『ブモォオオオオオオオオオオオオオ――!』
リンゲルの命令を皮切りに、牛人は再び立ち上がり、ルーガンへと狙いを定める。
「……上等だ」
ルーガンは、ぼそりと小さく呟くと……
「――テメェもテメェらの計画も! この俺が叩き潰すッ!」
只、許されざる外道を討ち滅ぼすために。
満身創痍の身体を振り絞り、再び拳を構えるのであった。




