(挿)第42話 『西部にて』★
――――。
時刻は、少し前に遡る。
マージェス西部、大きな運河の傍らに立ち並ぶ、倉庫街にて。
十数名の魔術士たちと、巨大な魔獣が交戦していた。
『シャアアアアアアアア――ッ!』
魔獣の様相は、一言でいえば蛇だ。
全長十五メートルを優に超える、巨大な大蛇の魔獣。
その名もティタノボア。
別名『大地の悪魔』と呼ばれるそれは、尾をくねらせ、鎌首を擡げ、憤怒の眼差しで魔術士たちを見下ろす。
ギラリとした鋭い牙を見せながら、大口を開けて威嚇する。
「怯むな! ティタノボアは毒を持たない。警戒すべきは、その巨体を用いた突進だけだ! 全員で包囲して魔術を放て!」
魔術士たちの先頭に立つのは、藍色を基調に一際装飾が施された魔装束を纏う、麗しき一人の女性魔術士だ。
年齢は二十歳過ぎほどだろうか。
透き通るような白銀色の髪。それとは対照的な金色の瞳。
きめ細かく透き通るような白い肌は、まるで上質な絹のよう。
彫刻のように彫りの深い鼻筋から顎にかけての曲線は、一切の無駄のない黄金比を生み出している。
その鷹のように鋭い眼差しからは、冷徹さというより鋼の如き意志の強さが見て取れた。
貴族の社交界にでも現れれば、誰もがその凛とした美しさに魅せられ、彼女をもてはやすであろう。
この麗しき淑女こそ――リディアナ=シルヴァ。
『公国保安庁』、並びにその傘下組織『銀氷狼』の長にして、公国四大貴族の一つ『シルヴァ家』の現当主。
若くしてたった一人でマージェスを治める、偉大なる領主その人である。
「「「「はい! リディアナ様!」」」」
リディアナの掛け声に応じるように。
彼女に集う銀氷狼の魔術士たちが、無駄のない動きでティタノボアを囲い込む。
「「「「《拒み阻む氷の防壁よ・氷帝の暴威纏いて・撃ち貫け》ッ!」」」」
魔術士たちは四方から三等軍用魔術――氷熱系【グレイス・ブロック】を放った。
身の丈を軽々と超える巨大な氷柱が、ティタノボアへ突き刺さる。
幾重にも重ねがけされた魔術の魔力共鳴により、ティタノボアは瞬時に氷塊と化した。
凡百の魔獣なら、これで瞬殺だろう。
が――
相手は大地の悪魔。
ビキビキビキッ……
氷塊に少しづつヒビが広がっていき――
「リディアナ様! 破られます!」
魔術士の一人が声を上げた。
対するリディアナは、落ち着いた様子で――
「問題ない。これで決める……《凍獄の鬼女は死を唄う・赫き命は枯れ・生者は凍て尽くべし》ッ!」
ガシャアアアアアアン!
呪文を紡ぎ終えたのと、氷塊が崩れ去ったのは同時。
リディアナの左腕から、二等軍用魔術――氷熱系【ブリザード・コーラス】が起動される。
次の瞬間。
ビュオオオオオオオオ――ッ!
猟銃に匹敵する爆速の氷弾が。
【グレイス・ブロック】を遥かに超える圧倒的な凍線が。
ティタノボアを呑み込まんと追撃する。
『キシャアアアアアア――ッ!』
ティタノボアの分厚い体表がみるみる凍りつき――
その全身が、氷弾に穿たれて――
孔だらけになった巨体をピクピクと震わせ、大地へと倒れ伏すのであった。
暫しの静寂の後で。
「「「「おおおおおおおおおお――ッ!」」」」
魔術士たちが、勝利の歓声を上げる。
そんな中、魔術士の一人がリディアナの前に歩み寄った。
十八歳ほどの、落ち着いた雰囲気を持った娘だ。
「――リディアナ様。此度の戦闘、ご助力いただきありがとうございました」
「そなたは……第二十一分隊隊長のオリーバ=カルデスか」
「はい。領主様を戦場に引き出すなど、未熟の至り。我々の不甲斐なさ、恥じるばかりでございます」
オリーバが片膝をつき、周囲の魔術士たちがそれに後続する。
「なに、気にするな。ティタノボアは本来、組合の一級魔術士が数人がかりで討伐する魔獣だ。
銀氷狼でも新人のそなたたちでは、まだ荷が重かろう」
リディアナは淡く微笑み、そう返した。
「寛大なお気遣い、痛み入ります……しかし、リディアナ様。調査の方はよろしいのですか?」
「ああ。部下に調べさせているからな。此度のスタンピードの謎も、既にある程度は解明できてきている。
それに大公庁に要請して、煌燈十二軍を派遣してもらうこととなった」
「――! かの公国最強の軍事機関ですか……それは心強い……!」
驚きの表情を見せるオリーバに、リディアナが静かに頷く。
「彼らと合流次第、反撃に転じるつもりだ。それと――」
リディアナが何か言おうとした。
まさにその時。
シュー…………シュー…………
唐突に。
何かが蒸発するような音が、倉庫街に響き渡る。
「この音は……?」
「――ッ! 皆下がれ!」
いち早く異変の正体に気づいたリディアナが、オリーバら第二十一分隊に鋭く警告する。
その直後。
『シャアアアアアアアア――ッ!』
なんと、倒したはずのティタノボアが、雄叫びを上げて立ち上がった。
しかも驚くべきことに、先程受けた【ブリザード・コーラス】による孔が、完璧に塞がった状態で。
「どういうことだ!? 完全に再生してるなんて……」
魔術士の一人が、そんなことを言ったのも束の間。
「ぐわぁあああああ――ッ!」
「ぎゃああああああああ――ッ!」
まるで荒れ狂う大海原のように、ティタノボアが暴れ回る。
どがっ! どがっ!
魔術士たちは次々と吹き飛ばされ、大地や壁に激突し、半身が埋まり、意識が刈り取られていく。
魔装束を着た上で身体強化魔術を重ねがけしているが、これほどの衝撃の前では焼け石に水。
全身の骨が折れてしまっているだろう。
「く――《銀盤の映し身よ》ッ!」
猛攻を何とか躱したリディアナは、即座に氷熱系【フリージング・ミラージ】を起動。
ティタノボアの周囲に、無数の氷壁が形成され、リディアナたちの幻像が映し出される。
『シャアアアアアアアアアア――ッ!』
がしゃん! がしゃん!
丸太のような太い尾で、リディアナの幻像を次々と破壊するティタノボア。
「オリーバ! 動ける者たちで負傷者を運び出せ! そのまま離脱するのだ!」
リディアナが大きなよく通る声で、指示を出す。
「し、しかしリディアナ様は!?」
「いいから行け! ここは私が食い止める!」
リディアナの指示に従い、オリーバを筆頭に動ける魔術士たち数名は、気絶した仲間たちを連れて戦場から離脱した。
そして、一人になったリディアナは、恐るべき巨獣の前で思考する。
(この異常な再生力……いよいよ確定だな)
リディアナの脳内で、想定していた最悪の事態が真実味を帯びてくる。
そんな中。
ついにティタノボアが周囲の幻像を全て壊し、自身の方へ振り向いた。
「――! 考えている暇はないか」
『キシャアアアアアアアア――ッ!』
ティタノボアがその大口を開け、リディアナを飲み込まんとばかりに突進を始める。
「《氷壁よ》ッ」
対するリディアナは冷静に左手を翳し、【グレイス・ブロック】を起動。
先程、銀氷狼の魔術士たちが放ったそれより遥かに広範囲、高精度の氷柱が、ティタノボアの行く手を阻む。
「ふ――」
そのまま背後に回り、追撃の魔術を放とうとした……その時だった。
「ぐッ――ごほっ! ごほっ!」
不意に。
肺に刺すような痛みを感じて、リディアナが咳き込んだ。
思わずその場から離脱しようとしても、体が動かない。
全身が痺れるような感覚に襲われ、そのまま地面に崩れ落ちた。
「これは……まさか!」
瞬時に、その正体を悟る。
ふらつく視界の端で、氷柱に捕らわれたティタノボアの口から、何かが吹き出していたからだ。
『シュー……シュー……』
「がはッ。馬鹿な……毒だと……!?」
完全に想定外だった。
異常な再生力もそうだが、まさかティタノボアが毒を持っているとは。
(まずいな……)
聡明で冷静沈着なリディアナが、珍しく額に汗を浮かべる。
動けずその場で膝をつくリディアナに、【グレイス・ブロック】の氷柱を破壊したティタノボアが、ゆっくりと狙いを定め――
(皆……すまない)
絶望的な状況の中。
心の中で想うのは、マージェスに住まう民や魔術士、部下たち。
そして――
再び大口を開け、リディアナを喰らうために進撃しようとした……
まさに、その時。
「――《炎楼よ》ッ!」
ゴォオオオオオオオオオオオ!
爆音と共に。
リディアナの眼前を、炎の柱が突き抜ける。
『キシャアアアアアアアア――ッ!?』
突如として業火に包まれたティタノボアが、苦悶の咆哮を上げた。
「これは……【フレイム・ロード】!? しかもこの威力は……」
【フレイム・ロード】――敵を円柱形の炎で包み込む、炎熱系の三等軍用魔術。
青天の霹靂に、リディアナが思わず呪文の聞こえた方へ振り向くと。
「リディアナ公! ご無事ですか!?」
そんな声とともに。
黒髪黒瞳の青年が、傍らに駆けつけた。




