二章《水の都市マージェス》プロローグ
フォルニカ公国の中央にある首都『エレメンタ』から南東部へ馬車を三日ほど走らせると、公国が誇る四大都市の一つ『マージェス』に辿り着く。
マージェスまでの道のりは、一面が緑に染まった果てのない草原地帯だ。
暗き夜の闇が薄れ、地平線から曙光が降り注ぐ、薄明。
早朝の湿りを帯びた風が、青々とした空から大地へ駆け巡り、若草を撫でるように揺らす。
そんな牧歌的な緑の海――踏み慣らされた天然の街道を進む、とある馬車の中にて。
「ったく、いつになったらマージェスに着くんだよ~~。暇すぎて干からびちまうぜ……」
くわぁ、と大きなあくびをしながら。
青年は退屈そうに呟いた。
年齢は十八歳ほどだろうか。深い海を思わせる紺青の髪。それとは対照的に、鮮血のように鮮やかな赤い眼。
薄く身軽な魔装束を身に纏い、その隙間からは骨太で逞しい肉体が垣間見える。
その顔つきや風貌からは、いかにもサッパリとした気持ちのいい性格を思わせる。
「うるさいわねぇ、ルーガン。お昼前には着くって言ってるでしょ? たった三日くらい我慢できないの? この筋肉馬鹿は」
向かい側に座っていた人物が、鋭く水を差した。
年齢はルーガンと呼ばれた青年と同じほど。
燃え上がる深紅の短髪を、麻紐で簡素に纏めているのが印象的な娘だ。
まるでビー玉のような、透き通る水色の瞳を携えたその眼差しは、どこか気の強い印象を与える。
白兵戦で用いる篭手がついた、重厚感のある魔装束を着込んでいるのも特徴だ。
きちんと着飾れば間違いなく美人なのだが、そのお洒落に無頓着な風貌が、品位を完全に打ち消してしまっている。――そんな娘だった。
「だってよぉニナ、いっつも都市に派遣される時は、こんな馬車用意されてなかったじゃねえか。動けねえし暇すぎるぜ……。
自分の足で走るんだったら、五日でも一週間でも余裕なんだけどなぁ」
ルーガンはぶっきらぼうにそう答えた。
「はぁ……じゃああんた、ここからマージェスまで走ってく? 馬車を降りて」
「お、そりゃあいい。 どっちが先に着くか競走だぜ!」
爽快な声と共に、馬車の窓から飛び降りようとするが――
「冗談に決まってるでしょ! 行くな馬鹿!」
「ぐぇっ!」
ニナと呼ばれた娘は、ルーガンの首を後ろから掴んで引き戻す。
「大体、通信用の魔導器で『銀氷狼』の人達から連絡があったでしょ!? マージェスが今、どんなことになってるのか――」
「――あぁ、そういえばそうだったな。わざわざ馬車で送ってくれてるのも、それが理由だっけか」
ルーガンが首をコキコキと鳴らしながら呟いた。
「ええ。私達の疲労を考えて、ユリエス公が直々に手配してくれたのよ? それと……一刻も早く、マージェスに到着するために」
真剣な表情でニナがそう返す。
「……へいへい。そりゃあ、大公サマのご厚意を無駄にするわけにはいかねぇな。……リディアナさんや銀氷狼のみんなも、無事でいてくれるといいんだが」
そう言われ、目を細めるルーガン。
「煌章院が誇る公国保安庁は、そんなにヤワじゃないわ。私たちが到着するまで、必ず持ちこたえてくれるはずよ」
「あぁ、そうだな。くっそ〜……こんな一大事に、ジェイルのやつがいないなんてなぁ」
両手を頭の後ろに組みながら、ルーガンはそうぼやく。
「仕方ないわよ。あいつも今は、煌燈十二軍の筆頭だもの。今頃、公国のために国中を駆け回っているわ」
「へいへい、第一軍団伝統の巡回特務だっけか。羨ましいねぇ。俺も国中を回って、強い奴らと戦いたいもんだぜ」
「戦うことしか脳の無いあんたが行っても、第一軍団の任務をこなせる訳ないじゃない」
ジト目で冷水を浴びせるニナ。
「ひっで〜言い方」
「いい? 第一軍団の役割は公国全土の治安維持と、公国に仇なす者の殲滅。ただ戦闘力が高いだけじゃ務まらないの。
智勇に優れ、あらゆる技術が超一流だからこそ、煌燈十二軍の筆頭が務まるのよ?」
「なんでお前がドヤるんだよ……」
ルーガンは頭をかきながら、
「んなこたぁ、分かってるよ。言ってみただけだ。一番優秀だったからこそ、ジェイルが第一軍団に選ばれたんじゃねぇか。一年半前、俺たちの中からよ」
「分かってるのなら、任務に向けて体を休めておきなさい。マージェスに着いたら、忙しくなるんだから」
「へーへー。んじゃあ、お言葉に甘えて一眠りさせてもらいますかね。着いたら起こしてくれ……」
そう言ってルーガンは壁に身を預け、ぐかーぐかーと、寝息を立て始めた。
ニナは呆れ顔で、はいはいと言いながら――
「まあ、ジェイルがいてくれたら頼もしい、っていうのは大賛成だけどね」
片目を瞑り、軽く微笑んだ。
そして、窓から優しく吹く風に髪を押さえながら、ニナは外を眺める。
青々とした草原の遥か遠く先には、目的地と思わしき都市の影が、うっすらと見え始めていた。
「見えてきたわね。……リディアナさま……待っていて下さい。あと少しです」
そう呟いたニナの脳裏に浮かぶのは、凛とした表情の気高き淑女。マージェスを治める若き領主の姿だ。
その姿に思いを馳せながら――
「『スタンピード』は必ず、私たち――煌燈十二軍が、解決してみせます」
今現在、マージェスを襲う未曾有の災厄に対し、決意を新たにするのであった。




