(挿)第35話 『新たなる旅路』★
――――。
大勢の人々が忙しく行き交う朝。イーンの街中にて。
『オルセントの流れ屋』を後にしたジェイルとカレンが歩いていた。
ジェイルは軍用礼服でなく、旅用のローブを身にまとって、肩には大きめのショルダーバッグを下げている。
「わっ」
「っと、大丈夫かい?」
道行く人にぶつかりそうになるカレン。
ジェイルが優しく手を引いて誘導する。
「えへへ、ありがとうございます」
手を繋いだままのカレンは、どことなく満足げな顔だ。
「ここは人通りが多いから、はぐれないようにね」
「はいっ。……あの、ジェイルさん」
「うん?」
「……助けて下さり、ありがとうございました。本当に……なんて言ったら良いか……」
出会った当初の死んだような有様はどこへやら。
カレンは情緒豊かな表情で、ジェイルを見つめる。
「構わないさ。煌燈十二軍――公国の魔術士として、君を助けることができて良かったよ」
さも当然のように、ジェイルは笑う。
そんな様子にカレンも微笑んで。
「それに、助けられたのは俺もだからね」
「え?」
「リッパーと初めて戦った時さ。あの時、俺は重症だったはずのに、気がつくと怪我がさっぱり消えていた。
君が令束で治してくれたんだろう?」
ハラル大森林の入口にて、一番最初にリッパーに対峙した時のことだ。
二等軍用魔術をまともに受け、瀕死の重症になっていたはずが、『オルセントの流れ屋』で目覚めた時には怪我が完治していた。
「あっ……」
「しかも、その後も回復してもらったからね」
カレンに口付けされた頬をそっと撫で、ジェイルが悪戯っぽく笑う。
「あ、あの……あれは……!」
繋いでいた手を思わず離し、あたふたと両手をバタつかせるカレン。
その様子にジェイルは。
「ふ、わかってるさ。令束のように、世界に干渉する魔力操作は、自身の行動をトリガーにして効果を増幅させることが多い。
レヴィエント王国の教会騎士団が、合掌して天使兵を召喚するようにね。
俺との身体接触を深くすることで、早く治療できるようにしたんだろ? 勘違いはしないから安心してくれ」
そう言って、柔らかく笑い流す。
すると、カレンの顔がまた赤く染まった。
恥ずかしがっている訳でもないようで、なぜか頬をぷっくり膨らませている。
「……むう……」
そうして、そのままジェイルの左肩に、額をごつんごつんと打ち付けるのであった。
「んん……? カレン。どうしたんだ?」
「む〜……なんでもないです」
不服そうに、ぷいっとそっぽを向くカレン。
わけも分からず、ジェイルは目を瞬かせるしかない。
「ううん? 年頃の女の子との会話は難しいな……」
思わず苦笑いしていると――
「やや? お主たち、無事じゃったんかいの」
ジェイルたちの正面から、口調に似合わぬ若々しい男の声がした。
見ると、大きなフードを被った人物が、二人の正面に立っている。
身長はジェイルと同じくらいだが、老人のように背中を曲げており、非常に長く生きている印象だ。
カレンは不思議そうな顔をしたが、ジェイルはこの人物に覚えがあった。
「貴方は――カイナさん!」
昨日、ハラル大森林に向かう途中に、路地裏であった老人だ。
ジェイルが驚いた表情で彼に近寄る。
たった一度会っただけだが、ジェイルは彼に親しみの念を抱いていた。
その訳は、今朝『オルセントの流れ屋』を出発する前のこと……
〜〜〜〜。
「忘れ物はないかい? ジェイル」
「ええ。ありがとうございます、ナターシャさん。カレンのために、推薦状を書いてもらって」
早朝。
大きめのショルダーバッグに封筒を入れながら、ジェイルは礼を言った。
「いいんだよ。戸籍上はあたしの娘になるんだから」
ナターシャは笑いながら。
「と言っても、それは建前。あたしはあの子が幸せに生きてくれれば、それで良いんだけどね。……カレンのことは頼んだよ、ジェイル」
「はい、もちろんです」
力強く頷くジェイル。
「そういえば、一つ聞きたいことが……」
「なんだい?」
「俺がリッパーにやられた後……たしか、店の前に倒れていたんですよね?」
「ああ、それがどうかしたかい?」
「俺はあの時、森の中で気を失ったはずなんです。一体、誰に運ばれたのか気になりまして」
「うーん。あたしもあの男に気絶させられてたから、見てないね。――ああ。でも、倒れていたあんたの隣に、これが落ちていたよ」
そう言ってナターシャは、近くの机に置いてあったベストを見せる。
青を基調としたそれは、表面と内部に緻密な魔導回路が組み込まれている。
……ナターシャが昨日、ジェイルに渡した魔装束だった。
「綺麗に折りたたまれていてねぇ。せっかく渡したのに、使わなかったのかい?」
ジェイルはその魔装束を見て、軽く目を見開く。
これは昨日の昼間、労働に勤しむ老人の手助けとして差し出したはず。
「もしかして、あのご老人が……?」
~~~~。
「あの時……森で倒れていた俺を運んでくれたのは貴方だったんですね。……おかげで助かりました」
「ほっほっほ。いやなに、薬草を集めようとたまたま森の方へ行ったら、お主が倒れていたもんでの。あの雑貨屋の前まで背負ってきたんじゃよ。お主には、借りがあったしの」
カイナは、長い袖に隠れた手のひらをパタパタと振る。
「ですが、お身体は大丈夫なんですか?」
「おうとも。魔装束には回復の効果もあったみたいでの。お陰ですっかり腰も良くなったわい。ところで……」
フードで見えないが、ジェイルはカイナの視線が自分の背後に移ったように感じた。
後ろを見ると、カレンが背中にぴったりとくっついている。
ジェイルの肩から顔をひょっこりと出し、カイナの様子を伺っていたのだ。
「えと……ジェイルさん。この方は……」
「そういえば初めてだったね。彼はカイナさん。昨日、俺を助けてくれた人だよ」
その言葉に多少緊張が解けたようで。
「あの、どうも……」
隠れながらも、カレンは軽くお辞儀をした。
「すみません。彼女は色々あって、少し緊張してるみたいで……」
「いやいやいや、こちらも相済まぬ。あまりに別嬪さんだったもんでのう。思わず、見とれてしまったんじゃよ」
カイナはおどけた口調でそう笑った。
カレンはその言葉を聞いて少し恥ずかしそうな表情で、ジェイルの背中に顔をうずめた。
「それじゃあ儂は、また働き口を探しにいこうかいの。若人たちよ、ゆめ強く生きるんじゃぞ~~」
そう呑気にいいながら。
カイナは人混みの中へと消えていった。
「……不思議なお爺さん? ですね」
カレンがジェイルの隣まで出てきて、そう言った。
「ははは、そうだね。もしかしたら、またどこかで会うかもしれないな」
二人は会話を続けながら、街を進んでいく……
――――。
「わあ、すごい……!」
街の入口――ハラル大森林とは逆の方へ到着した二人。
眼前の光景にカレンは息を呑む。
あたり一面、緑の海。
牧歌的な美しい風景が広がる、小高い丘がいくつも連なった草原がカレンを出迎えたのだ。
「ジェイルさんっ、これからどこに行くんですか?」
カレンが嬉々として、ジェイルに問いかける。
「今から向かうのは"水の都市"マージェス。この草原を抜けた先にあるんだ。少し歩くことになるけど……昼過ぎには到着するかな?」
ジェイルは数歩歩き出し、ぐっと伸びをする。
そして大自然を全身で感じると――
「カレン、それじゃあ行こうか」
そのままぐるっと振り向き、カレンに力強く笑いかけた。
「……っ、はいッ!」
勢いよく返事をしたカレンは、ジェイルの隣にいき、眼前の光景を目に焼きつける。
彼女の心に、もう絶望など微塵もない。
どこまでも続く、雲一つない青空。
どこまでも続く、青々とした草原。
暖かく降り注ぐ太陽の光。
その胸には希望を。
その瞳には輝きを。
カルヴァーノ暦1019年、4の月。
これから広がる無限の旅路に、心を躍らせて。
カレン=レストリアは弾けるように、大きな一歩を踏み出すのであった――




