第28話『ジェイル対リッパー 其の四 特異魔術【ゼロフィーラ】』
――――。
再び始まった魔術戦。
最初ばかりは――リッパーは、自分が負ける要素など一つもないと思っていた。
ジェイルは既に手負いの状態。
一方で、自分はほぼ無傷。
ジェイルの【グレイス・ブロック】の威力は脅威だが、それしか使ってこないのなら対処は簡単だ。
跳躍して躱す、呪文を唱える前に接近戦を仕掛ける、【ブレード・テンペスター】で破壊する。
――対処法などいくらでもある。
おまけに、先ほど指摘したように、ジェイルは極めて非効率な差し返しをしているため、必要以上に魔術を使っている。
魔力も、もう残り少ないはず。
勝負はすぐに決するだろう。そう思っていた。
――だというのに。
「はぁ、はぁ……くそッ……」
更に数十に渡る差し合いの後……
最初の開けた平地はどこへやら。
ジェイルの魔術によって、戦場はその区画だけ、まるで氷柱の森と言えるような状態になっていた。
その森の中央で――
二の足でしっかりと立っているジェイル。
一方で、先に魔力が先に枯渇して、片膝をつき、頭を垂れているのはリッパーの方であった。
「テメェ……! あれだけの魔術戦をしたってのに……どんな魔力量してやがるッ……!」
魔術戦の内容は、先程までとまったく同じ。
ジェイルは防御に【オリジン・シールド】、反撃に【グレイス・ブロック】しか使っていない。
だと言うのに。
この無様な姿は、一体何だというのか。
「それだけじゃないさ」
リッパーの誤算は二つあった。一つはリッパーの予想に反して、ジェイルが膨大な魔力を持っていたこと。
そしてもう一つは――
「君は知らないと思うが、魔術戦は基本的に、脳の深層意識が変革に慣れ始めた中盤に最も力を発揮できる。だがそれ以降は、魔術の精度と燃費は急激に低下するんだ。――魔力切れによってね。
君の実力から察するに、ここまで長期戦で戦ったことはなかったんだろう? だから魔力の消費ペースを見誤った」
「ッ!」
もう一つは、リッパーが長期戦の立ち回りを考えていなかったこと。
答え合わせのように、ジェイルが悠然と言い放った。
「つまり、俺にとってこの魔術戦は、最初から我慢比べだったんだ。
君が最初から殺す気で戦っていたら、少しは君にも勝算があったんだけどね」
「くっ……!」
そういうことかよ、と。
リッパーは内心歯噛みする。
魔術の使用回数から、ジェイルの魔力はもうほとんど残っていないと思い込んでいた。
だが【オリジン・シールド】も【グレイス・ブロック】も、公国の軍用魔術の中では最も階位の低い、三等軍用魔術に分類される。
対してリッパーの【ブレード・テンペスター】は、改変しているとはいえベースは二等軍用魔術。三等に比べて魔力消費は圧倒的に多い。
リッパーはジェイルの【グレイス・ブロック】の威力にばかり気を取られ、そんな初歩的なことを失念していたのだ。
今思えば、先ほどジェイルに降伏を勧めた時も、体中ボロボロだったが、息切れ一つ起こしていなかった。
恐らく確実に仕留めるため、最初からリッパーの魔力切れだけを狙っていたのだろう。
「チッ、恐ろしい奴だぜ……。最初にすぐ終わらせるなんて言った言葉もブラフかよ。追い詰めてたつもりが、逆に追い詰められていたとはな……」
さっきまでの余裕はどこへやら。
リッパーは改めて、目の前にいるジェイル=サファイアの恐ろしさを噛み締めた。
対するジェイルは、どこまでも静かな様子で。
「さて……そろそろ反撃と行かせてもらう。万全の状態ならいざ知らず、今の消耗した君では、完璧な対応は難しいだろうね」
そう言った――
直後。
「――ふっ!」
ジェイルはリッパーに向かって爆発的に加速。
一直線に突進する。
「舐めるな! この程度でへばる俺じゃねェ!」
吠えるように叫び、立ち上がるリッパー。
突貫するジェイルが何を仕掛けてくるか、鋭く思考を張り巡らせる。
やはり【グレイス・ブロック】か――それとも近接戦闘か。
いずれにせよ、ジェイルの攻撃に備えるため、全身に巡らせた【エンチャント・クロス】に魔力を込める。
そして直後。
突貫するジェイルは、左手を突き刺すように前に出した。
その手から、魔力が漲り始める。
――【グレイス・ブロック】だ。
ならば後方に躱して反撃する。その対応で完璧……なはずだった。
「――《炎弾よ》ッ!」
「なに!? ここで【フレイム・スフィア】だと!?」
予想外の魔術選択に、リッパーは驚愕する。
炎熱系【フレイム・スフィア】――火球を放つ、軍用魔術ですらない、最も基本的な護身用の攻性魔術。
その火球の大きさは、術者の魔力量に比例する。
ジェイルがイーンの街の宿で、カレンに一度だけ見せた魔術だった。
どっ――――!
身の丈を優に超える巨大な火球が、リッパーを飲み込まんと襲いかかる。
「くッ! 《障壁よ》ッ!」
流石のリッパーも躱しきれないと判断したのか。【オリジン・シールド】を展開し、防御態勢をとる。
豪ッ――――!
火球と魔力障壁が正面からぶつかり合う。
飛び散る熱量の余波。
次の瞬間――
「《――――》」
ジェイルが何事か呪文を唱え始めた。
しかしこちらは、火球を防ぐのに手一杯で、ジェイルを確認することができない。
「ちぃ――!」
まずい。後手に回った。
リッパーの脳内を襲う猛烈な死の予感。
それと共に、防いだ火球の余波が消え始める。
正面の視界が開けると同時に、覚悟を決めて身構えると。
「……は?」
正面には、何事も無かったかのように悠然と立つジェイルの姿があった。
「ッ! 《貫け雷閃》ッ!」
一瞬呆けるリッパーだったが、咄嗟に【ライトニング・レイ】を起動。
その一条の雷閃が、棒立ちのジェイルの心臓を正確無比に貫いた――ところが。
ピシィィィィィィィィイ!
刹那。
硝子にヒビが入るような音と共に――
なんと、ジェイル自身にヒビが入ったのだ。
そして直後。
ふっ、と。
まるで最初から居なかったかのように、ジェイルの姿が霞へ消える。
「何!? どういう事だ!」
思わず目を見開くリッパー。
しかし、よく見ると、正面のさらに奥――数メートル後方に、ヒビの入った氷柱がある。
恐らく、今の【ライトニング・レイ】でついた傷だろう。
と、いうことは。
「ま、まさかッ、幻影……!?」
「――その通り」
どこからともなく、ジェイルの声が聞こえてくる。
「氷熱系【フリージング・ミラージ】。氷を媒介に光の屈折を変え、幻像を見せる魔術だ」
【フレイム・スフィア】の余波が完全に消え、周囲の視界が開けてきた。
それと同時にリッパーが絶句する。
「なんッ――――だとぉ!?」
その周囲にはジェイルがいた。
十……二十……いや、それ以上。
リッパーの周りを包囲するように、無数のジェイルが立っていたのだ。
「全部幻か!? まさか……今まで【グレイス・ブロック】しか使ってこなかったのは、このためだったっていうのか!」
恐るべきことに。
一番最初に【グレイス・ブロック】の氷柱を破壊された時点で、ジェイルはこの展開を見越していたのだ。
無様なまでに同じ魔術を繰り返していたのは、この場面で無数の幻像を作り出すための布石だった。
「ああ。あれほどひらけた場所での魔術戦……君相手に、ゆっくり魔術を唱えるのは至難の業だったからね」
ジェイルの声が周囲に響き渡る。どこから発しているのか全く分からない。
恐らく音も屈折させて、出鱈目に響かせているのだろう。
「これでようやく時間が稼げる。さあリッパー、いよいよ終幕といこうか。
熱量魔術の真髄――見せてやる」
そう宣言しながら。
コォオオオ……と特徴的な呼吸をして。
静かに。
しかし力強く。
戦いを終わらせる呪文を、ゆっくりと唱え始める。
「――《紅蓮咲き誇りし凍獄の氷鬼よ・――…………」
ドクンッ――――
何かが胎動するような、不穏な魔力が周囲に満ちる。
その魔力は莫大な凍気の波となり、辺り一面を渦巻いてゆく。
まるで世界の熱が、根こそぎ奪われてゆくような感覚だった。
(これは……やべェ!)
たった一節だけで、リッパーはジェイルが唱えようとしている魔術の異常性を、本能で察する。
駄目だ。
拙い。
あれだけは絶対に食らってはならない。
十年近くの間、裏の魔術士として活動してきたリッパーが、かつて体験したことがないほどの死の気配。
一刻も早く幻像の中から奴を探し出し、討たねば――
「くそッ! まだだッ! 《荒れ狂え・旋嵐の剣奏》ッ!」
残り少ない魔力を振り絞り、【ブレード・テンペスター】を唱える。
ガシャン! ガシャン!
リッパーを中心に展開された風刃が、スクリーンとなっている氷柱の群を破壊することで、周囲の幻像を尽く霧散させる。
そうしている間にも――
「《――・狂瀾糾う白き咆哮放ちて・――……》」
ジェイルは次々と呪文を紡いでゆく。
その度に、地獄のような凍気が世界を支配する。
薄氷が大地を覆い、空気が凍り、視界が白く霞んでいく。
「クソがぁッ! どこだッ!? どこにいる!?」
白化する世界の中心で、リッパーが暴れるように周囲を見渡す。
「――ッ! そこか!?」
背後に一際大きな存在を感じ、振り返ってみると。
そこには、一際大きな氷柱の頂上で静かに膝をつき、今まさに魔術を完成させんとするジェイルの姿があった。
そして――
「《――……・遍く全てを凍てつくせ》ッ!」
ビュウウウウウウウウウウウウウウ――――!
荒れ狂う凍気の嵐と共に、ジェイルの詠唱が完了する。
「させねェ! 《貫け雷閃》ッ!」
同時。
リッパーは音速の速さで【ライトニング・レイ】を起動。
一条の雷が、ジェイルの脳天を貫かんと襲いかかる。
しかし。
パキィィィィィィィィン!
ジェイルへと向かっていた雷閃は、途中で砕氷のように砕け散り、魔力の粒子となって霧散した。
「なんだとッ!?」
信じられない光景にリッパーが叫ぶ。
「凍獄の氷鬼――その白き咆哮は全てを凍てつくす。……魔力すらも。この魔術を起動させた以上、周囲の誰も魔力を扱うことはできない」
詠唱を終えたジェイルはゆっくりと立ち上がり、左手を前に構える。
そして――
ジェイルの前に、人の背丈の三倍はあろうかというほどの、巨大な魔術円陣が構築された。
ギュイィィィィィィン――――ッ!
まるで、エネルギーが充填されていくエンジンのように――
魔力を込められた魔術円陣は、徐々に駆動音を唸らせる――
そして、十分な魔力を取り込んだ魔術円陣は白く発光し――
カッ――――――!
そこから放たれるは不可避の凍線。
どんな物質も、エネルギーも、魔力も、絶対零度の前では運動を停止する。
熱量の完全支配――熱量操作の特異魔力体質者のみに赦された絶技が今、天地を駆け巡る。
その名を――
「特異魔術――――【ゼロフィーラ】ッ!」
豪ッ――――――――――!
極白が、瞬く間に世界を包み込む。
それはまるで、第八圏の氷熱地獄。
それはまるで、絵画に描かれたような荘重なる一景。
「くそッ…………くそがァああああああああああ――――!」
その叫びが最後。
次の瞬間。
リッパーは……一つの大きな氷瀑となった。




