第14話 『急襲』
――――。
カレンはナターシャにすっかり心を開き、二階の部屋で会話に花を咲かせていた。
「これがフォルニカ公国……とっても綺麗です……!」
「だろう?」
戸棚から取り出した分厚い本を見せながら、ナターシャは笑う。
本の中には、公国で映写された様々な写真が貼り付けられていた。
緑に覆われた牧歌的な高原、巨大な時計塔がある白い街、大きな断崖から振り落ちる荘厳なる滝、平原を雄々しく突き進む臙脂色の蒸気機関車、鋭角の屋根が立ち並ぶ古風の都市、などなど。
そのどれもが美しく、カレンの目を奪っていく。
「実際に見てみるともっと凄いんだよ。楽しみにしておきな」
「はいっ!」
瞳を爛々と輝かせながら、写真を見進めるカレン。
やがて、ある一枚の写真が目に止まった。
「――あれ?」
色の落ちかかった、少し古い集合写真だ。
緑の平原を背に、二十名ほどの人物が写っている。誰もが皆、古い民族的な衣装を羽織っているのが特徴だ。
真ん中に一際目立つ、屈強で大柄な男性がおり――その隣には一人の少年が、屈託のない笑顔を浮かべていた。
「これって……」
八、九歳ほどのその少年は、写真に写った人物の中で唯一、黒髪黒瞳だ。
初めて見るはずなのに、カレンの中で、この少年がどこか懐かしい感覚を覚えた。
「ああ、懐かしい写真だね。もう十年前だ」
不思議そうに写真を見つめるカレンに、ナターシャが言った。
「それは、『オルセント一家』の写真だよ」
オルセント一家。
カレンは随分前に、その名を聞いたことがある気がした。
「オルセント一家……もしかしてこの方たちは、公国以外の国にも訪れていたりはしませんか?」
「おや? よく知ってるねぇ」
ナターシャが感心する。
「"︎︎国境なき行商"︎︎――オルセント一家。何百年も昔から、遊牧をしつつ、大陸全土を旅してきた由緒ある一族だよ。行く先々の国との交易で生活し、どこの国家や権力にも屈さない、自由の一族だった」
「え……だったって……?」
ナターシャの引っかかる言い方に、カレンが首を傾げた。
「もう何年も前だけどね。オルセント一家は不幸に見舞われて……滅んじまったんだ」
「――!」
突然のことに、カレンは思わず息をのむ。
「あたしの一族――レストリア家は、古くからオルセント一家と交流があってね。これは彼らが、最後に公国に来た時に撮った写真なんだ」
ナターシャは目を伏せながらも、どこか懐かしむような表情を見せた。
「この店――『オルセントの流れ屋』は、彼らが公国に来た時の憩いの場になれるように。そんな願いを込めて、私の祖先たちが作ったんだよ」
そして、写真をゆっくりと撫でながら言った。
「……」
「おっと、湿っぽい話をしちまったね」
なんとも言えないカレンの表情に気付き、ナターシャが笑いかける。
「それにしても、まさかカレンがオルセント一家を知っていたとはね~」
「はい。昔、奴隷商に捕まる前……私の故郷にいた時に、聞いたことがあったのかもしれません。詳しいことは覚えていないのですが……」
「彼らは大陸中を渡って生きてきたんだ。もしかしたら、昔にカレンの一族とも交流があったのかもしれないよ」
「……そうかもしれません」
そう言いながらカレンはもう一度、写真に目を落とした。
やはり、黒髪黒瞳の少年が、どうしても気になる。
「ナターシャさん。この真ん中にいる黒髪の男の子なんですけど……」
ナターシャに、少年について問おうとした……その時だ。
コンコンコン――
不意に、一階からノックの音が聞こえてきた。
「おや? 店は閉めているはずなんだけど……。すまないねカレン、ちょいと見てくるよ」
「あ、はいっ」
肩透かしを食らったカレンは、一階へ降りてゆくナターシャを見送ったあと、再び写真を見始めた。
オルセント一家が載っていたページから一枚捲ると、そこには三人の人物が写っている写真があった。
一人はナターシャだ。今よりも若い。恐らく四、五年前の写真だろう。
その隣には男が立っていた。軍服のようなローブに身を包む壮年の男だ。
そして、立ち並ぶ二人の前に――十歳ほどの少女が座っていた。
「これって……」
家族写真。カレンは一目でそう悟った。
ローブを纏った男がナターシャの夫だとすれば……少女は娘だろうか。
しかし、二人の人物はこの家では見ていない。
(二人とも、今はここにいないのでしょうか……?)
そんなことを考えていると。
ガタガタガタッ!
「!」
一階から、何かが崩れ落ちるような大きな音が聞こえた。
あまりに唐突な出来事に、カレンはベッドから飛び出す。
「ナターシャさん……?」
ナターシャの身を案じ、そのまま居住部屋を出た。
階段を駆け降り、オルセントの流れ屋の雑貨店の方へと向かう。
「!? ナターシャさんっ!」
ランタンに灯された、薄暗い店内を抜けて。
入り口付近までやってきたカレンは、息を呑んだ。
ドアの前で、ナターシャがうつ伏せに倒れていたのだ。
思わず駆け寄ろうとするカレン。
すると、ドアの向こう側――外から一人の人物が姿を現した。
「――おお、出てきやがったなァ」
冷たく底冷えするような、そんな一声に。
カレンの体が停止する。
先程までの楽しげな様子はどこへやら。
カレンの顔は強ばり、全身から滝のような汗が噴出した。
膝がガクガクと震え、足の力が抜け、崩れるようにその場に座り込んでしまう。
「ぁ……ああ……」
――あの男だ。
自分を連れ、魔獣溢れる大森林を抜けてきた、恐ろしい男。
「よぅ、奴隷のガキ……やっと見つけたぜ」
答え合わせのように、男は姿を見せる。
ボサボサの銀髪が特徴的な、チンピラ風の男だ。
極々ありふれた相貌だが、男からは少女を押し潰す、圧倒的な存在感が放たれていた。
「ったく、手間かけさせやがって……喜べ。お前ェの出荷の日程が決まったぞ。――明日だ」
硬直するカレンを他所に、男が淡々と告げた。
「ぁ……した……?」
自分でも何を言っているか分からない様子で、カレンがか細い声を出す。
カレンの心には、恐怖以外の何も残っていなかった。
「引き取り場所はこの街なんだが、街にいるのは何やら厄介そうなんでな。明日まで、大森林に居座るぞ。……付いてこい」
男はただひたすらに淡々と、カレンを手招きする。
それに対し、カレンが声も出せずに固まっていると。
「……おい、早くしろ。でないと……わかるな?」
男が、足元で横たわるナターシャに左手を翳した。
魔術を放つつもりだ。
ナターシャに反応は無い。どうやら気絶しているようだった。
「――! ……わかり……ました……」
吐き気や慟哭の衝動に駆られながら、カレンはどうにか声を振り絞る。
そして震える足を抑え、男の元へと寄った。
「――それでいい」
男は静かに、左手を下ろした。
男の傍らについたカレンは、足元に倒れるナターシャを見る。
ナターシャは苦しそうな表情のまま、倒れ込んでいる。恐らく、殴られでもして意識を刈り取られたのだろう。
「ナターシャさん……ごめんなさい」
小さくそう言って、カレンは膝をつき、ナターシャに手を伸ばし……数瞬、その頬に触れる。
すると、心なしかナターシャの苦しげな顔が幾分か和らいだ――そんな気がした。
「もう逃げ出そうなんて考えねェこった。おら、行くぞ」
男はそれに気づかなかったようで。
カレンを引き連れ、オルセントの流れ屋を後にする。
後には力なく倒れ伏す、ナターシャの姿が残るのみであった。




