第13話 『カレン=レストリア』
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ジェイルが角狼たちと交戦していた、丁度その頃。
イーンの街の一角、『オルセントの流れ屋』・二階に設けられた居住部屋にて。
「……ん」
煉瓦色の髪が美しい少女、カレンがゆっくりと目を開いた。
体を起こし、自分がベッドで寝ていたことに気付く。
「――ああ、起きたかい?」
傍らにはナターシャが椅子に座って、カレンの左手を優しく握っていた。
「ナターシャ……さん?」
寝ぼけまなこを擦りながら、カレンが呟いた。
「おや、ようやく名前を呼んでくれたね」
ナターシャはにっこりと笑う。
「ここは……?」
カレンは部屋をキョロキョロと見回した。
自分が寝ているベッドの周りには、箪笥やクローゼット、机などが小綺麗に置かれていた。
「さっきまでいた店の二階さ。疲れていたようだったから、ここで寝かせていたんだよ」
「あ、ありがとうございますッ。えっと……」
礼を言いながら、カレンは握られている方の手へと視線を移す。
「ああ、すまないね。悪い夢でも見ているんじゃないかと思って、手を握っていたんだ」
ナターシャはそう言って、カレンから手を離した。
「さてと、もうおやつの時間だ。ちょっと待ってな。今、何か用意してくるよ」
そして、椅子から立ち上がろうとすると。
「あ、あの……! もう少し、傍にいてもらえませんか……?」
カレンがナターシャの袖を摘みながら、声を振り絞った。
その言葉にナターシャがふふっ、と笑って。
「――あぁ、構わないよ」
ナターシャは、ベッドにいるカレンの隣に腰掛けた。
「まったく、出会った頃のジェイルにそっくりだねぇ」
そう呟き、カレンの頭をゆっくりと撫でる。
「え……? ジェイル、さんに……ですか?」
思いもよらない言葉に、カレンは不思議そうに尋ねた。
「ああ、あの子にも色々と事情があってね……家族同然だった人達をみんな亡くしてるんだ」
「――!?」
信じられないといった顔で、カレンが目を見開く。
「昔のジェイルは今と違って、かなり荒んでいたよ。性格で言ったら、今とはまるで真逆だ。
当然、カレンとは似ても似つかないんだけどね……それでも、何でも一人で背負い込もうとする所は本当にそっくりさ」
ナターシャがどこか懐かしむように言った。
「……あの人が……」
「それに、元はと言えば、ジェイルも公国出身じゃないんだよ」
「え……!? そうなんですか……?」
カレンが続けて驚嘆の声を上げる。
「ジェイルの育ての親だった人達は、大陸中を旅するとある行商の一族でね。彼らを亡くした後に色々あって、今は公国に身を置いてるんだ」
ナターシャは穏やかな口調で続ける。
「きっとジェイルも、似た境遇のカレンを助けたいと思っているんだろうさ。陽の当たる世界に連れ出してやろう、ってね」
その言葉を聞き、カレンは静かに目を閉じた。
奴隷だった自分を連れ出したジェイルという人物も、元々公国の人間ではなかった。
だけど、天涯孤独になった彼を救ったのは、公国の民だった。
そして今度は彼が、自分を助けてくれようとしている……。
カレンは不思議と、心の奥が温かくなるのを感じた。
「……この国の人たちは、ほんとに良い人ばかりなのですね」
どこか安心したような表情で、そう呟く。
そんな言葉にナターシャは、微笑みながら静かに問いかける。
「――カレン。今のゴタゴタが終わって、どこにも行く宛てがないなら、ずっとこの国で暮らしてもいいんだよ?」
カレンにそう提案した。
「え……!? いいの、ですか……?」
驚いた様子で、カレンは問い返す。
「もちろんさ。この国に魅せられてやってきた移民は少なくないからね。今更、一人くらい増えたって問題ないだろう。
いっそ、ジェイルについて行って、公国中を回ってみるのも楽しいと思うよ」
ナターシャがにっこりと笑う。
「あたしはもちろん、みんなこの国のことが大好きだ。公国で生きていることに誇りを持ってる。あんたも公国を見て回って、好きになってくれたら嬉しいね」
その笑顔はどこまでも朗らかで、カレンの胸に染み込んでいく。
「……はい。私もこの国のこと、もっと知って見てみたいです……!」
ナターシャの言葉に、カレンも思わず顔を綻ばせ、淡い微笑を浮かべた。
「――あぁ、だったらカレンの国民証を発行する必要があるね。まずはマージェスに行って……それからエレメンタかな? 登録には大公殿の承認が必要だからね」
カレンの反応が嬉しかったのか。
ナターシャは少し舞い上がった様子で、国民になるための手続きを確認し始める。
「――そうだ! カレン、あんたには姓はあるのかい?」
不意にナターシャはカレンに尋ねた。
「姓……ラストネームのことですか? ……それが、思い出せないんです。元々、持っていたのは確かなのですが……」
カレンが困った表情で下を向く。
「ありゃ、それはすまなかったね……」
少し気まずそうに頬を掻きながら。
「だけど困ったね……。国民証の発行に、ラストネームは必須だし……カレン、今のうちから好きな名前を考えておきな」
「ええ……!? そんな適当でいいんですか……?」
あまりに投げやりな答えに、流石のカレンも頓狂な声を上げる。
「ああ。ジェイルのように、前例が無いわけじゃないからね」
「な、なるほど……?」
カレンは一瞬、呆けるような顔をして――
「……あの……でしたら……ナターシャさんの、名をお借りしてもよろしいですか……?」
一呼吸置いた後に。
少し緊張した様子で。
振り絞るように、恐る恐る尋ねた。
「ええ!? あたしなんかのでいいのかい?」
思わぬ言葉に、狐につままれたような顔をするナターシャ。
「はい……その、駄目……ですか?」
「そりゃ、構わないけど……もっといい名前があると思うんだけどねえ」
ナターシャは肩を竦めながら、言った。
「……ナターシャさんの名前がいいのです。私などにここまで良くして下さった、ナターシャさんの名前が……」
カレンは頬を赤くしながら、俯きがちに答えた。
俯くと言っても、もうその表情に後ろめたさや罪悪感はなく……。
緊張して、少し恥じらっているような可愛らしい顔だった。
「……そうかい」
そんなカレンに、観念したようで。
ナターシャは照れ臭そうに鼻を擦り……
「――レストリア。それが、あたしのファーストネームだよ。だから、今日からあんたは、カレン=レストリアだね」
と、まるで自分の子供に名付けるかのように、嬉しそうに言った。
「……カレン=レストリア。……カレン=レストリア……!」
カレンはそれを噛み締めるように、何度も呟く。
「ありがとう、ございます。大事にしますね……!」
そして、まるで向日葵のように。
見たことのない、愛くるしい笑顔を咲かせるのであった。




