第10話 『交錯する不穏』
――――。
「うーん、さすがにもう馬車は置いていないか。しかも、痕跡が綺麗に消されてる」
ハラル大森林に入ってすぐ――舗装されていない大木に囲まれた脇道でジェイルが唸る。
案の定、馬車が置いてあった場所に、これといった手がかりはなかった。
魔力的な痕跡はまったく見られず、あろうことか車輪の跡なども消され、まるで最初から何も無かったかのような状態に戻されていたのだ。
「隠滅は完璧……予想はしていたけど、カレンを連れてきた人物は相当な手練だな。馬車を引っ張ってきた馬も、多分召喚系の術で呼んだのだろうし」
ジェイルが顎に手を当てながら思考を巡らせる。
そもそもハラル大森林には、角狼の他にも恐ろしい魔獣があちこちに跋扈している。
それらは隣国――バラバ帝国に対し、天然の防衛線の役割を果たしているのだが、その魔獣たちをくぐり抜けてフォルニカ公国に来るのは至難の業だ。
「やれやれ……手がかりが少なすぎる。これは前途多難だなあ」
困った表情でジェイルは頭を搔いた。
そもそも、警戒するべきは奴隷商だけじゃない。カレンを買い取った人物も見つけ出さねば、根本的な解決にはならない。ヨルムの括りと繋がりがあるとすれば、尚更だ。
懸念点は多い。
考え出すとキリがない。
「……まあ、なるようになるか。ともかく残っているのは、ナターシャさんからの依頼だけだが――」
そう言って樹海の奥へ進もうとした。次の瞬間だ。
『――グルォオオオオオ』
何かが、低く呻くような音がした。
「!」
突然の事にジェイルは驚き、音がした方向へと振り向く。
すると、大木と大木の間――その茂みの中から一体の魔獣が姿を現した。
狼によく似たシルエット。大の大人を二人並べたほどの巨大な体躯。その全長は三メートルを超えている。
全身真っ黒の毛皮に覆われ、その表面からはバチバチと薄い稲妻を放っている。
両足には大きく鋭い爪を携えており、人の体などマシュマロのように引き裂いてしまうだろう。
極めつけは――眉間の少し上から伸びる一角獣のような大きく太い角。
間違いない。
「角狼!? なぜこんなところに――」
『グルァアアアアアア――ッ!』
ジェイルの問いも虚しく、角狼は雄叫びを上げる。
そして、狩るべき獲物を見据えた獣の瞳で、ジェイルに突進を開始するのだった。
――――。
ジェイルがハラル大森林に入る、少し前のこと。
「――ったく。今回の仕事はつまらねェ上に、とことんツいてねェなあ」
ハラル大森林の奥地――公国と帝国との国境付近に、一人の男がいた。
歳は二十代半ばほどだろうか。ボサボサの銀髪が特徴的な、チンピラ風の男だ。
「奴隷のガキにゃ逃げられるわ、仕事を追加されるわ、散々だぜ。まったくよぉ」
周囲の大木は何かで切り刻まれており、その中の一つ――剥き出しになった木の幹に腰掛けながら、男は肩を落としていた。
そして、手に持っていたリンゴをしゃり、とかじりながら続ける。
「まぁ、あんな所に放置してた俺も悪いんだが……。にしても、あの買い手はぜってェロクな奴じゃねェなぁ」
軽く伸びをして、一人ぼやく。
「あんなガキに、あれだけの大金を注ぎ込むなんてよぉ。玩具にでもするつもりか、それとも何か別の使い道が……」
リンゴをかじりながら男が脳裏に浮かべるのは、先ほど接触した奴隷の買い取り手の姿だ。
深く被ったフードで顔は分からなかったが、比較的若い男の声だった。
「ま、他所の事情なんぞ俺にはどうでもいい。金さえ手に入れば、それだけでな……」
男は、何か遠くを見つめるように空を見上げる。
男の仕事は、バラバ帝国からフォルニカ公国にかけての国境――ハラル大森林を通過し、とある奴隷を公国に送り届けることだった。
依頼人は、バラバ帝国の裏に深く根を張る巨大な奴隷商会。いわゆる、闇の仕事だ。当然違法だが、その分報酬は莫大な金額となる。
当初の目的は、危険なハラル大森林を抜け、奴隷を引き渡すだけの簡単な仕事だった。
ハラル大森林は数々の危険な魔物が跋扈している。公国と帝国を隔てる、言わば天然の魔境だ。
常人なら一晩立ち入っただけで、翌日の朝には骨すら残らない危険地帯だが、自分ならば何の問題もない。
実際、襲ってくる魔物を返り討ちにしながら、引き取りに指定された日よりかなり余裕を持って、公国付近に到着することができた。
だが、気を抜いて最寄りの小さな街――イーンに一人で訪れたのが間違いだった。
ほんの数刻、食事を済ませに行っただけなのに、帰ってくると馬車の中はもぬけの殻だったのだ。
当然、馬車には強固な隠蔽魔術を施していた。馬車を引いていた馬も召喚魔術で呼び出した使い魔で、外出する時に元いた場所へ戻しておいた。
相当の魔術士でない限り、気付くことすら不可能だろう。
「か~~~~っ! にしても、追加の仕事かよ……公国の魔術士なんぞと関わりたくはなかったんだがなぁ。あのフード野郎め……場所も名前も知ってるなら、手前ェが連れ戻せっての」
食べ終わったリンゴの芯を放り投げ、男は小さくため息をつく。
奴隷を引き渡す期日は明日。逃げられた今の状況では、依頼を完遂するのは不可能。
そのはずだったが――
フードの人物のタレコミから、誰が奴隷を連れ去ったのか、どこに潜伏しているのかを知ることが出来た。
なぜ買い取り手にすぎない人物がそこまで知っていたのか。それは分からないが、だったら後は簡単だ。
潜伏先に向かって、こっそり奴隷を奪い返せばいい。
そうしようとしたが……フードの人物から提示されたのは、更なる依頼の追加だった。
その内容は――奴隷を連れ去った魔術士の暗殺。
男はポケットから一枚の写真を取り出す。先程、フードの人物からもらった標的の写真だ。
写真に写っているのは、二十歳前くらいの黒髪黒瞳の男。いかにも優男という感じだが、左目にかけて大きな傷跡があるのが特徴だった。
「ふーん、こんな優男があの奴隷をねェ。全然、強く無さそうなんだが。いや、待てよ……この顔、どこかで――」
男が写真を流し見ながら何かを考え始めた――その時だ。
『『『『グルルルル………………』』』』
低く呻くような声が、四つ。
「あん?」
訝しむように、男は周囲を見渡す。すると、切り刻まれた大木の影から、巨大な一角を持つ黒狼が姿を現した。
角狼だ。
その数――四体。
一体一体が通常よりも大きく、全長は五メートルを優に超えていた。恐らく、親の個体だろう。
角狼は四方から囲み、憤怒に満ちた表情で男に狙いを定めていた。
この状況に遭遇すれば、誰しもが死を覚悟し、神か何かに祈りを捧げる。
しかし、男はそんな中でも盛大にため息をつきながら。
「はぁ……角狼らも懲りねェな。前、通った時に散々ボコってやっただろ。お前らのガキ共は、みんな散り散りになって逃げていったはずだが――」
特に焦る様子もなく、木の幹に座り続けている。
『グルルル……グガァアアアア!』
そんな中、痺れを切らした角狼の一体が、体表に纏った紫電をバチバチと迸らせ、男へ突進を開始する。
『『『グルァアアアア――ッ!』』』
他の三体もそれに追随するように、一斉に男へ飛びかかる。
「はぁ……。【荒れ狂え・旋嵐の剣奏】」
角狼たちの大爪が、今まさに男に触れようとしたその時。
心底つまらない表情で、男は二節呪文の〆を括った。
その瞬間。
ヒュパ! ヒュパ! ヒュパ! ヒュパ!
空気を掻き切る、鋭い音と共に。
四方から迫る角狼たちは皆、鋭利な何かで細切れされていた。
鋼鉄の如き硬度を誇る角狼の体表を、まるで糸で切られた蒟蒻のように、あっさりと。
「……さあて。目的か標的か、どちらを先にやるべきかねェ」
恐るべき魔術で、魔獣の絶対上位種を屠ったその男に、何の感慨もなく。
周囲に飛び散る血華と肉片を、気にすることもなく。
ただ手に持った写真を眺めながら、次の行動を考えていた。
やがてその男は、何か思いついたように。
「――あぁそうだ。折角、魔術なんて便利なもん使えんだから、効率良くいかねェとなぁ?」
ニヤリと笑って、近くの樹木に手をかざし――
「――、――」
何事か、呪文を唱え始めるのであった。




