第9話 『邂逅』
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『オルセントの流れ屋』を出たジェイルはをイーンの街の中心部を通り、ハラル大森林へと向かっていた。
気づけばもう正午を過ぎており、街道はどこも人々で賑わっている。
イーンは公国の辺境にある小さな街だが、それでも人口は軽く一万人を超える。
街の周囲を居住区が取り囲んでおり、中心部に進むほど商店や市場、飲食店に広場といった施設が増えていく。
中心部にある大きな街道は、昼食を買いに来た婦人、仕事の休憩時間であろう労働者、魔術士組合に所属する魔術士たちで活況を呈していた。
「おっとと、相変わらず昼間は凄い活気だな」
ジェイルは正面から走ってきた子供たちを躱しながらそう呟く。
カレンを匿ってからは、ほとんど宿の部屋に付きっきりだったので、昼に外出したのは久しぶりだった。
森に行く前にどこか飲食店にでも立ち寄り、昼食を済ませようか――
そんなことを考えながら、人々流れる大きな街道を歩いていると。
「……ん?」
ふと、繁華街の隅――狭い裏路地の奥へ視線が移る。
そこには大きなフード付きのコートを纏った人物が、脚立に跨り壁に向かって、両手で何か作業をしている様子が見えた。
「ふむ、壁を塗装でもしているのかな?」
よく見ると両手にはペンキを携えている。
だが、その体はとてもふらついており、とても危なっかしい。今にも倒れそうだ。
「――大丈夫ですか?」
思わずジェイルは裏路地に入り、その人物に声をかけた。
「? ……おお、わしのことかいな」
ジェイルに気づいたようで、その人物は脚立を降りる。
大きなフードで顔は見えず、僅かに見える口元も、影でほとんど隠れてしまっている。やや猫背になっているが、身長はジェイルと同じほど。口調的に老人のようだが、その声色はなぜか青年のように若々しかった。
「ええ、とてもふらついているようでしたので……おじいさん? は、ここのお店の店主さんですか?」
壁に隣接している商店を眺めながら、ジェイルは尋ねる。
「――いやいや、わしはただの日雇い労働者じゃよ。この老いぼれた体じゃ、真っ当な仕事をするのは厳しいからの」
ペンキを持った両手をバタバタを振りながら、老人はおどけた口調で返した。
コートの上から視認する限り、かなり細そうな腕をしていた。とても元気な声だが、押したら倒れてしまいそうな弱々しい印象を受けた。
「よろしければ手伝いましょうか?」
そう言って、ジェイルはペンキを受け取ろうとするが。
「駄目じゃ駄目じゃ! それじゃあ、わしが雇い主に怒られちまう。――それにお主にはもっと、助けるべき人間がおるじゃろうて。お主の気持ちだけ、いただいておくとするわい。」
サッ、とそれを躱して、老人は申し出を断った。
「あはは、それもそうですね。では、せめてこれをお使いください」
ジェイルは自身が着ていた青いベストを脱ぎ、老人に差し出す。
「……ほう? 魔装束というやつかい」
「ええ、この街一番の魔導器雑貨店『オルセントの流れ屋』が誇る逸品です。これなら多少の魔力があれば、十分体を動かせます。先ほど譲り受けたばかりで、ほとんど新品なので安心してください」
ジェイルは笑いながら言った。
魔装束と呼ばれるそれは、魔導回路が組み込まれた布で織られた衣服の総称だ。
身体能力強化魔術や防御魔術などが付与されており、布面に魔力を放出するだけで、永続的に効果を発揮する。
その使い勝手の良さから、公国では魔術士だけでなく、一般人にも広く流通している。
似たような仕組みに隣国――レヴィエント王国の『魔鎧装』があるが、極薄の布に魔導回路を組み込めるのは、公国の高い技術力の特権だ。
「じゃが、ええんかいの? こんな貴重なもんを貰っちまって。お主も使うじゃろうに」
老人は訝しむような声を上げる。
「俺は身体能力強化の魔術が使えますので、それほど魔装束は必要ないんです。それに、公国の魔術士として、困っている人を見過ごすことはできませんからね」
笑いながらそう返すジェイルに対して。
「……ほう、それは立派じゃのう」
受け取った魔装束をコートの中に入れながら。
何を考えているのか分からない声で、老人は言った。
そんなやり取りをしていると。
ぐぅ……
「あっと……あはは、すみません」
ジェイルの腹が、盛大に鳴る音がした。
「――ほっほっほっ。いくら魔術士と言えども、空腹を満たす魔術は使えんじゃろうて」
その音を聞き、笑い声をあげる老人。
そう言いつつ、コートの中から包みを取り出してジェイルに放り投げた。
「ほれ、魔装束のお礼じゃ。わしの弁当をやろう」
「おっとと、これは……」
包みを受け取ったジェイルは、中を確認する。何やら植物の葉で包まれた中には、白い大きな塊が二つ置かれていた。
「米……おむすびですか? たしか、極東の国ヤハムの郷土料理の」
「正解じゃ。よく知っとるのう」
老人が感心したように言った。
「ちなみに、中の具はとある国の遊牧民族が好んでいた味付けじゃ。どれもこの国では滅多にお目にかかれんもんじゃから、大事に食べるんじゃぞ」
ジェイルは興味深そうに、弁当の中身をまじまじと見つめる。
「――はい、有難くいただきます」
そう言って包みを元に戻し、腰に下げたポーチにしまい込んだ。
「それでは、そろそろ失礼しますね。お仕事頑張ってください」
そして軽くお辞儀をして、街道に戻ろうとするジェイルだったが。
「あー、最後に一つだけええかの?」
「――? はい、なんでしょうか」
唐突に声をかけられ、再び老人へ振り返る。
「お主、名は何という?」
「名前ですか? ジェイル――ジェイル=サファイアです」
キョトンとしながら答えるジェイル。
「……そうか、ジェイルというのか……」
老人は、何やら噛み締めるようにゆっくりと呟きながら。
「いやはや、失礼。公国ではあまり聞かぬ名だが……なかなか良い名じゃのう」
なぜか感情の読めない口調で、老人はそう答えた。
「あはは、ありがとうございます。俺も、おじいさんの名前を聞いていいですか?」
「わしか? 名乗るほどの者でもないが……そうじゃのう、カイナとでも名乗っておこうかの」
「カイナさん……ですか。珍しい名前ですね」
ジェイルは不思議そうな顔をする。
「――ほっほっほ、それじゃあわしは仕事に戻るからの。お主も気をつけて行くんじゃぞ〜」
そんなことを言いながら。
ゆったりとした足取りで、カイナと名乗った老人は脚立のある場所へと戻っていく。
「はい。縁があれば、またお会いしましょう」
ジェイルも軽く会釈をして、その場を後にした。
そして――再び閑散とした路地裏で。
「……やれやれ、公国の魔術士か……」
老人は誰に向かってでもなく、そう呟いたのだった。




