第1話 ワキガ勇者が誕生する
ヨシハルが気付くと、そこは光に包まれた神殿の中であった。
宙には分厚い本が何冊も浮かんでおり、神を祝福するかの如くパイプオルガンの音が鳴り響いている。
ここは現実の世界ではないな。
俺は死んだのか?
ヨシハルはそう思った。
ヨシハルの身体は透けている。
どうやら、霊体と呼ばれる状態か、それに近い状態にあるのであろう。
そんな状況にも係わらず冷静なヨシハル。
まずもって最初にヨシハルが気になったのは、自分の脇の絶望の脇臭である。
脇に顔を近づけて確認する。
右。
左。
・・・・・・。
匂いが消えている。
自分で自分のワキガの匂いが感じにくいからではない。
間違いなく無臭なのだ。
そして、いつも制汗剤を塗りたくっていることで、常にピキピキと肌が引き攣ったように感じる脇の違和感も消えていた。
「やった・・・・。神様、ありがとう。」
長年の苦悩から解放されたことに歓喜するヨシハル。
この奇跡は神様からの贈り物に違いない。
ヨシハルは、心からの感謝を言葉にしたのであった。
ジャーーーーーーーーーーーン。
ひと際大きな音色が響き渡ると、パイプオルガンの音は急に静かになった。
そして、眩い光の渦がヨシハルの目の前に出現する。
息を飲んでその状況を見守るヨシハル。
その目の前に現れたのは、とても美しき女神であった。
銀色の長い髪。
純白のドレスは皺一つ見当たらない。
右手には何やら高そうな杖。
そして、女神の後ろで燦々と輝く光の輪っか。
「感謝の祈りを捧げた者よ。」
その美しき女神が口を開いた。
その姿をぼーっと眺めていたヨシハル。
はっと我に返ると、このまま立っているのは失礼にあたるのかな?と考えを巡らす。
そして、中世の騎士がするような、片膝をついて敬う姿勢をとることにしてみた。
美しき女神は言葉を続ける。
「我は創造の神ジーニャ。感謝の祈りを捧げた者に祝福を与える神である。」
女神様だから文句は言えないけど、どこか冷たい雰囲気が感じられる。
だが、それも悪くない。
悪くないぞ。
それにしても綺麗だ。
さすが女神。
「其方は、生前に与えられた才能を何一つ活かすことなく死を迎えた。」
「はい・・・何だか、申し訳ありません。」
だって、絶望の脇臭持ちだったんだもん。
自分に才能があるんじゃないかとは、正直少しは思っていましたよ。
でも。
でも、ワキガだったから、何も出来なかったんすよ。
と、ヨシハルは心の中で思った。
「其方に今一度チャンスを授けよう。」
「チャンスですか?」
「左様。魔王に苦しめられた世界では勇者の誕生を待っている。」
「異世界ですね。」
「左様。其方は、勇者となって世界を救う志があるか?」
「あります。勇者としての特別な力を授けて下されば、きっと救ってみせます。」
ちゃっかり特別な力をねだっておくことがポイントだ。
それがないと、異世界に行っても面白くない。
「よかろう。其方の志、しかと受け止めた。」
美しき女神は、ヨシハルの頭上に手を翳した。
すると、ヨシハルの身体中を熱き何かが駆け巡る。
「其方に力を授けた。魔王に挑む勇者の力、剣技・体技・魔法と特殊な力である。」
「ありがとうございます。」
「そして、これも其方に授けよう。」
片膝をついて跪くヨシハルの目の前の地面が光り輝いた。
そこから、ゆっくりと七色に輝く剣が現れてくる。
「これは、勇者だけが持てる伝説の剣。その名はヘクスカリバー。」
「ヘクス?」
エクスカリバーの一文字が変わるだけで、若干価値が下がる気がするのは気のせいだろうか。
その七色に輝く剣は、ヨシハルの身体の中に吸い込まれて消えた。
「ヘクスカリバーは、其方の心一つで最強の剣となる。」
「心ですか。」
「心の中で、ヘクスカリバーを求めてみよ。」
「はい。」
ヨシハルは心の中で叫んだ。
出でよ!ヘクスカリバー!
ヨシハルの両手に現れた七色に輝く剣。
右手、左手に1本ずつ。
なぜかヘクスカリバーは2本になっていた。
「ほう。双剣ヘクスカリバーとは珍しい。」
若干の驚きを見せた美しき女神。
「では、その双剣と勇者としての力を使って魔王を討伐してみせよ。それが其方の使命であり、其方が得たチャンスである。」
「かしこまりました。」
ヨシハルは、女神様からもう少し説明を貰いたいなと思った。
お金はどうしたら?
言葉はどうしたら?
そもそも異世界に関する基本知識は?
色々な不安が頭を過ぎる。
しかし、そんな心配を他所にして、ヨシハルの身体は光に包まれていった。
異世界が待ち焦がれた勇者の誕生である。
《転移した異世界》
ヨシハルは異世界に転移した。
透き通った水の小川が静かに流れ、穏やかな風が吹く平原である。
右手には常しえの密林。
左手にはうっすらと煙立つ火山。
気候はちょっと暑いくらいだ。
遥か彼方の上空には、空に浮かぶ島々が見える。
そして、幾つかの飛空艇らしき物体が、ゆっくりと動く姿が見えるのであった。
「これが異世界か・・・。」
しばし、感慨に浸るヨシハル。
出でよ!ヘクスカリバー!
少し心配になって、心の中で叫んでみる。
その双剣は、無事に手元に現れた。
「よしっ。」
安堵したヨシハル。
ひとまず、小川で顔を洗おうと考えた。
「あれ?」
そこで初めて気付く。
小川に映るヨシハルの姿。
その髪の毛は銀色に変化しており、肩までの長髪サラサラヘアになっていたのである。
全身を隅々まで見て確かめるヨシハル。
どうやら髪の毛の色と長さだけが変化したようだ。
他に変わったように思われるところは見当たらない。
あの美しき女神様の加護を受けたことで、女神様のような髪質になったのかな?
ヨシハルは首を傾げてそう思った。
因みに服装は、白い生地の滑らかな肌触りの半袖シャツに濃紺色のスラックスである。
上下ともに何か特殊な生地で作られているものに違いない。
ベルトと靴の色は黒で統一されている。
そうやって全身を確認していたヨシハル。
そのヨシハルの前に早速モンスターが現れた。
3匹のゴブリンである。
それは、すぐにゴブリンだと認識できた。
全身が薄緑色で腰に巻いているのは獣の皮。
凶悪そうな顔には牙が光っており、頭には角が1本。
右手には錆びた斧を持って、今にもヨシハルに襲い掛かろうとしている。
「フッフッフ。早速、俺の冒険譚のはじまりか。」
初めて目にするゴブリンを前にして、ヨシハルには恐怖心など全くなかった。
何といっても敵は小柄である。
身長180cmのヨシハルからすれば、腰の高さより少し高いくらいの大きさだ。
出でよ!ヘクスカリバー!
七色に光り輝く双剣ヘクスカリバー。
それを両手に構えた。
「▲%■●▲#&■■!!」
何やら叫んで襲い掛かってくるゴブリン。
ヨシハルの身体は自然と動いた。
美しき女神から与えられた勇者の力の一つ。
チートな剣技である。
1匹目が振り下ろしてくる錆びた斧を左手の剣で往なす。
すぐさま右手の剣でそのゴブリンを袈裟斬りにすると、そのまま身体を捻って横回転する。
そして、2匹目に対して左、右と双剣の華麗な斬撃を与えた。
その2匹のゴブリンは、崩れ落ちるようにその場に倒れた。
ヨシハルの強さに驚いて腰を抜かす3匹目。
形勢不利と見るや、そのまま一目散に逃げ出していった。
「チート最高! 女神様に感謝だな。」
機嫌良く勝ち誇るヨシハル。
モンスターとはいえ、初めて自分が手を下したという懺悔の念などない。
それどころか、どこか少しゲーム的な感覚を持っていた。
ヨシハルの異世界物語の知識としては、ゴブリンの耳を削ぎ落して冒険者ギルドとかに持っていくと、そこでお金に換金することができるはずである。
・・・・・・。
だが、無理だ。
流石にグロ過ぎる。
それが確かなことであれば仕方ないが、いまはまだ止めておこう・・・。
それにしても、髪の毛が少し邪魔だな。
汗でへばりつくのは不快だ。
!?
・・・・・・・。
ヨシハルは動きを止めた。
「ま・・・まさか。そ・・・そんな・・・。」
唖然とするヨシハル。
半信半疑で右腕をゆっくり上げると、その脇に顔を近づけた。
【絶望の脇臭レベル】
――――――――――――――
Lv.0 ■■■□□□□□□□ Lv.10
――――――――――――――
「嘘だろ・・・嘘であってくれ・・・。」
そのまま左腕を上げて、その脇に顔を近づける。
やはり間違いない。
絶望の脇臭レベル3である。
「あぁww」
頭を抱えて膝から崩れ落ちるヨシハル。
ヨシハル基準の絶望の脇臭は、レベル0が無臭。
レベル1~レベル10まで脇臭の脅威度が設けられている。
「なぜだ!なぜなんだぁ~!!」
あの女神様がおられた場所にいた時は、ワキガが消えていたじゃないかぁ!
せっかく異世界に転移したのに!
せっかくチートな能力を授かったのに!
なぜだ。
なぜこの呪縛から逃れることが出来ないのだぁぁぁ!!!
しかも双剣。
両手で剣を振るうとなれば、両脇とも塞いでおくことが出来ないじゃないかw
なぜ?
なぜ女神様は、この絶望の脇臭を消去してくれなかったの?
とことん嘆くヨシハル。
「そうだ!制汗剤!汗拭きシート!」
辺りを見回す。
当然のこと、そこには液状制汗剤も制汗スプレーも汗拭きシートもない。
だって、異世界だもん。
泣く泣く小川に入るヨシハル。
悲しみくれながら、ちゃぽちゃぽと脇を洗った。
それと着衣。
それは、とても残念なことに白いシャツ。
白は脇の黄ばみが目立つから、転移前のヨシハルは着ることを拒んでいた。
それを丁寧に小川で洗う。
「はあw これからどうしよう。」
ヨシハルの頭の中は、再び絶望の脇臭で一杯となった。
自分が世界を救う勇者であることなど忘れている。
「はあw 恨むよ女神様。」
これがゲームなら良かったのに。
現実を感じてヨシハルは落胆した。
残念ながら、ヨシハルの苦悩は異世界に転移しても消えることはなかった。
悩めるワキガ勇者の誕生である。