プロローグ
注:本作品は単なる異色系冒険譚で完全なフィクションとなります。
暗い話ではありませんので、気軽に読んで笑って頂けたらと思います。
尚、医学的・科学的な専門知識はありませんのでご了承下さい。
主人公・ヨシハルは19歳、大学生である。
見た目は爽やか系の超イケメン。
体格も恵まれており、身長は180cmと背が高くて足が長くスタイルは抜群。
だが彼は、その恵まれた体格を活かして、スポーツの道に挑戦することは選択しなかった。
それには理由がある。
彼はワキガであった。
ワキガとは脇の下から独特な悪臭が放たれる現象である。
皮脂を栄養素として皮膚下に存在する細菌が繁殖する。
その細菌が悪臭を放つ巨悪の根源だと言われている。
ヨシハルが、それに気付いたのは中学生に上がった時であった。
小学生時代の彼はとにかくモテた。
運動会などがあれば、足がとても速くてヒーロー。
文化祭などで劇を披露する場があれば、その見た目から主人公。
そんな彼を失意のどん底に陥れたのは、妹と母親のひと言であった。
「ママ~。お兄ちゃんが、何かめっちゃ臭い。」
「あら?ヨシハル、あんたワキガじゃない。可哀想にこれから大変よ。」
それからの彼の日々は一変した。
色々な制汗剤を試してみたが、悪臭を元から断ち切ることなど出来ない。
一時的に匂いを隠すだけで精一杯である。
それ以来、彼のなけなしの小遣いは、全て制汗剤の類で消えていくこととなった。
ひたすら周囲を気にして隠し通そうとするが、何をしても完全に悪臭が消えることはない。
特に体育の時間は、彼にとっての地獄であった。
冬場になると、体操着やジャージを学校に置いて帰る友人たちが羨ましい。
彼は、毎日の洗濯が必須であった。
それは匂い残りだけではない。
毎日洗濯しなければ、体操着の脇の下が黄色く変色してしまうからである。
ワキガの苦悩は悪臭以外にも色々とあるのだ。
それは、高校生になると更に酷くなった。
高身長と見た目の良さから色々な部活動からの勧誘を受けたが、それらを全てきっぱりと断る。
汗をかかないように。
そう思えば思うほどに緊張して、変な脂汗が出てくるという究極の悪循環。
毎日が神経を研ぎ澄ます日々。
いつ、誰から「臭い」と言われてしまうのかと怯える日々である。
そんな中、ヨシハルに言い寄ってくる女子は多かった。
見た目は本当に超イケメンなのである。
だが、彼はその告白を全て断っている。
実は、彼がワキガであるということは女子にバレていた。
女子の恋心は脇臭よりも深し(たぶん)。
そんなことをヨシハルは知らない。
そして、浪人することなく超一流の大学に進学した。
そんなある日。
ヨシハルの1日は制汗剤に始まる。
朝目覚めたら液状制汗剤+制汗スプレー。
それを2時間毎に繰り返すのが日常であり、ヨシハルはそれを制汗タイムと名付けていた。
制汗剤の類に費やしている月のお金は5千円を超える。
そこまで神経質になっているのが、この主人公である。
「ふう。そろそろ制汗タイムだな。」
大学のトイレに向かうヨシハル。
トイレの個室に入ると、カバンの中から制汗グッズを取り出した。
上着を全部脱いで、上半身裸になる。
まずは両脇を汗拭きシートで念入りに拭き取る。
そして、それの匂いを嗅ぐ。
臭かろうが、臭くなかろうが、その匂いを嗅いで確かめるのが昔からの癖となっていた。
そして、液状制汗剤を念入りに塗りたくる。
最後の仕上げで制汗スプレーを脇に振りかけて終了だ。
制汗スプレーを振りかけようとした時。
2人組の誰かが会話しながらトイレの中に入って来た。
知り合いの声ではない。
上半身裸のまま、個室の中で息を潜めるヨシハル。
制汗スプレーは散布する時に大きな音が生じる。
その音で、『あいつ制汗スプレーしてるぞっ!』『あいつワキガじゃね?』と誰かに言われるのをヨシハルは恐れている。
その2人組の会話に耳を澄ます。
「今日の合コン、超アタリらしいぜ。」
「まじ!?俺、今日のバイト休もうかな。」
そんな他愛もない学生の会話である。
ヨシハルは、合コンに参加した経験がない。
酒を飲むと脇汗が噴き出てくるからだ。
※注:お酒は20歳になってから。
そして、当然のこと彼女が出来たこともない。
だから童貞。
いつか、自分の全てを理解して愛してくれるような女性に出会えたら、その女性に一生愛を捧げるつもりでいる。
だが、このワキガという絶望の脇臭がある限り、俺にその日は訪れない。
そう、ヨシハルは思い込んでいた。
そんなヨシハルでも、アルバイトはしている。
オンライン家庭教師だ。
そのアルバイトで稼いだお金から、毎月の制汗剤の類に要する費用を引いた残りは、全て貯金している。
20歳になったら、その貯金で手術を受けるのがヨシハルの夢だ。
ワキガ手術。
その手術を受ければ、この苦しみから解き放たれる。
その日は近づいている。
もうちょっと。
あとちょっと。
2人組がトイレから出て行った。
その足音に耳を傾けて、間違いなく距離が離れていったことを確認するヨシハル。
「よし。」
もう大丈夫。
さて、制汗スプレーを。
その時、尋常ではない揺れが起こった。
地震か?
何が起こった?
何れにしろ、すぐに逃げ出さなければならない状況には違いない。
しかし、ヨシハルにとっては制汗スプレーの方が重要である。
ましてや上半身裸。
あちらこちらで悲鳴が上がる大学の校舎。
そのトイレの個室で1人、ヨシハルは脇に制汗スプレーを振りかけていた。
大学の校舎を襲った異変。
それは、突如巻き起こった深刻な災害であった。
そして、ヨシハルは逃げ遅れた。
この大学で、唯一の犠牲者となってしまったのである。