幸色の月
「ふ、ふざけんじゃねぇぞ、死ぬ気で探しやがれ!!」。
金持ちたちが待ち望むショーの舞台裏。
怒号飛び交う船内、走り回る輩たち。ただならぬ空気が漂っていた。
それもその筈、逃げ出したのだ、今回のオークションの大目玉である【眼に見える精霊】が。
悪そうな顔をした小太りの男は分かりやすく頭を抱える。
しがない渡りの奴隷商───グラコス・バウンティ。
彼が今回の精霊捕獲の立役者である。
捕獲というのも木陰で気持ち良さそうに寝ていた珍生物を偶然ケージに閉じ込める事ができただけの冴えない男であった。
彼は今回のオークションに文字通り命を掛けている。成功すれば莫大な金額が懐に流れ込むであろう。ただそれは逆も又然り、仮に精霊に逃げられてしまった……なんて事吐かした暁には国の権力者達に親族諸共、切り刻まれて豚の餌だ。
オークション開始まで30分、目玉商品はラストにもってかれるから多くても7……いや60分。
それまでに見つけられなければ俺は死ぬ。
青ざめる顔面、顔から吹き出る汗をハンカチで拭った。
「ぐ、グラコスさん!!」。
慌てた様子で下っ端の男が駆け込む。
「どうした、見つかったのか!?」。
「いや、そうじゃないんすけど……銀髪のガキが……」。
「あ?あのガキがどうした」。
「───いないっす」。
「ねぇ、私ちゃんとお断りした筈なんだけど」。
荒れる船内、薄暗い物置部屋に身を隠しながら走る少女と精霊。
看守の死角を縫って前へ進む。
『分かってるさ死にたいんだろ?君は痛いのは好きかい?』
「大嫌い」。
『ならあのまま捕まっているのは辞めたほうが良い、何故なら売れ残りはみんな獣のエサになるからね、君もどうせそうなる』。
「それは嫌ね」。
『そうだろ?だったら痛みを感じ無い様に一瞬で死ねば良いんだ、僕が手伝ってあげるから代わりに僕がここから逃げ出すのを手伝って』。
「どうして?あなた一人でも十分逃げられるじゃない、どうして私にそこまでしてくれるの?」
『会場に少し厄介な男がいてね、気取られない様に君と同化してるのさ、まぁ僕一人でも逃げられないことも無いんだけど』。
「じゃあどうして」。
『僕はルピシア、君が気に入ったんだよ』。
「私、気に入られる様なことして無いわ」。
『君程、面白い(くて悲惨な人生を辿っている)ニンゲンを僕は見たことが無い、誇っていいよ』。
精霊は不気味に笑う。
「そう……私の面白さってワールドクラスなのね」。
少女は何故か少し嬉しそうにした。
「どっちに行ったらいい?」
『甲板に向かってくれ、僕が指示する』。
指示されるままに少女は進む。
精霊の空間色覚の能力は凄まじく、看守達が先に彼女等の姿を捉える事はまずない。とはいえ挟み込まれたら一貫の終わりだ、だから慎重に行く。
一時身を隠す為に資材置き場に入り鍵を閉める。そのすぐ後、銃を携えた男がドアのすぐ横を通り過ぎた。
「……ふふっ」。
『どうしたの?』。
「ううん、少し楽しくって、こういうのをドキドキって言うんでしょ?」。
嬉しそうに笑う少女からはとても、死を望む様な人間には思えない。
『うん…そろそろ行こうか』。
再び甲板を目指す。
❖ ❖ ❖ ❖
『さて、ラストスパートだ』。
遂に甲板が見える。冷たい風が吹いていて肌寒い。
出口の前にはピストルを腰に付けた男が二人、眠たそうな顔をして立っている。
「ねぇ、あの銃で撃たれたら痛いのかしら」。
『凄く痛いし簡単には死ね無いだろうね』。
「そう───なら頑張らなきゃ」。
凄く真剣な眼差しで看守の男達がの動作一つ一つを読み取る。
『僕が合図したら何も考えずにただ前だけを向いて───走れ』。
「うん、任せるわ」。
ゴウゴウと吹き荒れる風、看守の男達はボイラー室からはみ出した熱気で暖を取る。
風の音は少女の儚い足音等掻き消した。
ヒタリ……ヒタリ……又ヒタリ…とその距離を詰めて、一間程まで擦り寄ったときだ。
丁度のタイミングで二人が大あくびをこく。
『 今だ、行け!!! 』
少女は走る。男二人の間をすり抜けて船首目掛けて一直線に走る。風が耳を割いて、揺れる空挺に蹌踉めいてそれでも走った。
十秒位、一心不乱に走ったら、パンッパンッとピストルを撃つ音が聞こえて、だけど風が強くて当たらない。それでも弾が一個だけ頰を掠めて、ちょっとだけ痛いって感じた。
刹那───横に殴るような突風が、華奢な少女の身体を容易に浮かせる。
そしてそのまま少女は上空4000メートルの空へと投げ出された。
「ふふっ私鳥さんみたい。最後にとても楽しかった。妖精さんありがとう、これって【駆け落ち】って言うんでしょ?」。
『うーん、少し違うかな、まぁ見てご覧よ』。
精霊が指を指す。
雲よりも上空、邪魔するものが唯の一つもない真ん丸の満月。
少女は見惚れて、そして微笑んだ。
「わぁ、綺麗なお月さま、私、少し死にたくないって思っちゃった」。
『そうだね、とても綺麗だ』。
力を抜いて重力に身を任せた風に煽られながら少女は落ちてゆく。
『ルピシア、君は何がしたい?』。
「妖精さん、こんな時に変な事聞くのね」。
『来世でも来来世でも夢でも良い、君はその時何がしたい?』。
少女は少し考えて思い出した様に
「そうね……私───お母さんと始めて行ったとても大きくてとても綺麗なお花畑にまた行きたい」。
『そうか、君の次の人生に栄光あれ』
ゴキャッ!!
砂舞い上がる砂上の地、月明かりに照らされた真っ白な世界に一輪の儚く散る真っ赤な花が咲いた。
「あぁ、あぁ、終わった、俺は豚の餌行だ」。
少女が身を投げ出して三十分、一連の話を聞かされたグラコス・バウンティは放心していた。
そんな男に詰め寄る一つの影
「何かお困りですか?」。
どこからとも無く現れたその男は奇っ怪な仮面を被っていた。
「放って置いてくれ、精霊持ってかれた女に逃げられちまったんだよ」。
「それは大変では無いですか今から追わなければ」。
わざとらしく驚く男にグラコスは腹を立てて
「ここは4000メートルだぞ!!女は死んでるし精霊も放って逃げてるに決まってんだろーが」。
「ふふっ……」
「何笑って……」
瞬間、グラコスは青褪める。得体の知れない恐怖と内臓を直接撫でられる様な不快感に見舞われて嘔吐する。
「その位じゃあ死にませんよ、精霊に取り憑かれたニンゲンは」。
男は不敵に笑った。