メルの過去
どうぞ、ごゆるりと~。
大きな樹があちこちに枝を伸ばし、上を向くと枝と葉に遮られた空から細やかな光が降り注ぐ。
よく見ると、樹にはたくさんのツリーハウスが作られており、そこには営みがあった。
少女はそれを下から眺めながら、微笑む。
「おい、何笑ってんだよ、メル」
ふと横から声をかけられ、驚いたがその声は知っているものだった。
幼馴染であるリュートが木刀を片手に横に立っている。
「皆が生活をしてるってすごいなと思って」
「そりゃ、皆生きるのに必死だからな」
少女――メルはエルフの町の風景がとても大好きで、いつもこうやって眺めながら一日を過ごすことは少なくない。
エルフの女性は裁縫から、家事に至るまでやることはたくさんあるのだが、メルは違う。メルは一日の中ですることは非常に少ない、いや、やらしてもらえないというのが正しいだろう。
メルはその事に関して疑問を持ち、育て親であるばばに聞いたが答えを渋られ、結局教えてくれることは無かった。
「今日も訓練してるの?」
「ああ、いつか俺も英雄になるためにな」
そう言って、リュートは訓練に戻ってしまう。
エルフの国に伝えられている英雄譚で一番有名なのが、『信愛の勇者』である。
その話に出てくる勇者は、生まれたときはただの村人だった。しかし、その勇者の住む村が他種族の抗争に巻き込まれ、壊滅したところから話は始まる。
時に仲間に裏切られ、時に魔物に囲まれ、だがそれでも諦めず他種族の戦争を終わらせるために戦った英雄として、後世にまで伝えられてきた。
この英雄譚の中で、エルフのことも記されている。
エルフの森が魔物によって焼き払われ、エルフ達はもう戦える力は無いと諦めかけたとき、勇者が颯爽と現れて魔物を退治していく。そして、勇者に助けられたエルフの一人が勇者の旅に同行し、そのエルフはエルフの英雄として今でも称えられている。
このエルフの英雄に憧れを持つエルフは多く、特にこの話を聞いた男の子は自分も英雄になるんだ、とリュートのように訓練に励む。
メルもその英雄に憧れはするが、話を聞いてすごく気になることがあった。
それは、この話に出てくる信愛の勇者の名前が分からないこと。
読み聞かせをしてくれるお姉ちゃんに聞いても分からないらしく、考古学者はそのことについていろいろ研究をしたが、一向に成果がでていないのだとか。
「あーあ、つまんないな」
同年代の子はすでに、家の手伝いをしたり、訓練をしたりといそがしそうにしている。
自分だって同じように家事をしたり、誰かに役立つことをしたいのに……。
前に一回だけ無断で、町を出歩き掃除をしていたことがあった。しかし、
『こっちに来るな』
『お前はこの広場に来たらいけないんだよ』
『あっち行け』
『まぁ、あの子が……』
『そうなのよ……それで……』
『お前は生かしてあげてるんだから、言う事を聞け。さあ、帰るんだ、あのばあさんの所でいろ』
同年代の子やそれより小さい子から物を投げられ、帰れと言われ。
大人は自分を見て、こそこそと話す。
最後にはその地域の長に無理やり追い出される。
その時からだろうか、人の機微をよく見る癖がつき、自分はこの町の住人から疎まれていると知ったのは。
それでも、普通に接してくれる人もいる。
ばばやリュートなど、自分にとって数少ない大切な人だ。
「それでも、やだな」
できるのなら、町の皆と仲良くなりたい、一緒に遊びたいと思ってしまう。
けれど……。
それは無理だ。自分が疎まれる理由が分からない、どこが悪いのか分からない。
このまま、死ぬまでこの生活が続くのかなと思っている時だった。
「ぎやあああああああ」
「た、助けてえええええええ」
上のツリーハウスから悲鳴が響く。
それと同時に大きな火が広がるのが見えた。
「一体、何が起きてるの」
確かめに行きたいけど、あの否定された記憶が行くのを邪魔する。
しかし、行かなかったことは正解であった。
樹の上では略奪、虐殺、暴力、それはまさに地獄絵図が広がっており、これを起こしたのは大群の魔物である。
空を舞うワイバーンが樹の枝を薙ぎ払い、ワイバーンの上に乗っていたゴブリンやオーク、ゴブリンメイジなどの亜種がエルフに襲い掛かり、血がそこらじゅうに広がる。
エルフの女は慰め物にされ、男は首をはねられて食われる。
魔物の動きはまるで誰かに統率されているかのようだった。
鳴り止まない悲鳴にメルは本能からかツリーハウスから遠ざかり、ばばの所へと向かう。
「ばば、ツリーハウスが、皆が……」
「ああ、とうとう来てしまったのかね」
「一体何を言ってるの、ばば」
「実はね――」
ばばの口からで出てきた言葉は今までの自分の生活で、疎まれていた理由や知りたかったことであった。
この国に勇者が訪れて1000年ぐらいが経ち、エルフ王から突然勇者から告げられていたことを発表する。それは、1000年前の厄災がまた起こるということ。
厄災とは他種族での戦争のことを表しており、今まさに起きている。
それに加え、今回の厄災はより大きなものとなると告げられたらしい。
そして、メルは――。
「メル、あなたはね、人間とエルフとの間に生まれたハーフエルフなのよ」
ハーフエルフが生まれるのはごく稀であり、ハーフエルフが生まれると良くないことが起きると信じられている。
ハーフエルフといってもエルフと姿は変わらない。
なのに、自分がハーフエルフだから今まで存在を否定され続けられている。
たったそんな理由で……。
自分が悪いのだと責め続けていた、だけどそれは違った。どれだけ改善しようとしても態度が変わらなかったわけだ。
メルは目の前が真っ暗になっていくような感覚に襲われる。
「メル、逃げなさい」
ばばの強い声が聞こえる。
「あなたのお母さんから伝えるように言われた言葉よ、『自分の信じた人に着いていきなさい』分かったかい」
「で、でもばばが……」
「でもじゃありません、早く行きなさい」
ばばに突き飛ばされ近くの茂みに突っ込む。
ばばを見ると、怒ったような顔で行けと指さしている。
迷ったメルは泣きじゃくりながら、ばばが指さす方向へとがむしゃらに逃げた。
その場に残ったばばはその姿を見て、どうかどうかと祈る。
「かわいい孫をどうか助けてください」
隠していた実の孫であることを。
しかし、これで良かったのかもしれない。もし実の祖母だと知れば逃げなかったかもしれないから。
これで良かったんだ。
「グギィィ」「グギャ」
目の前にゴブリンの群れが現れるが、怯むことはしない。
「この先は行かせないよ」
孫を助けるため、ばばは命が燃え尽きるまで戦うことを止めはしなかった。
そして、エルフの集落から必死に逃げたメルは幸運にも洞窟を発見し、そこで生き延びながら人間の町へとたどり着いた。
人間の町は初めてでとても怖かったが、優しい宿屋の家族に出会うことができ、今に至る。
次回は少し短くなる予定です。