また突き刺しましたとさ
「――っ!?」
思わず驚き振り返る前に、咄嗟に横へ飛んだ。
けれども俺が予想したような、およそ攻撃と呼べそうなものは俺の横を通り過ぎず。
唯一通り過ぎたと言えば、大人のお姉さんの見た目でも、幼女の見た目でも無くなった藤紅くらいだろう。
こちらを見もせず、ただただ通り過ぎてセレナへと歩み寄る藤紅の今の姿は、明らかにそれまでとは毛色が違っていた。
先ほどまでの姿は、言うなれば人間をベースに獣要素を追加したような見た目だったが、今の見た目は、ただ獣が二足歩行しているという表現がピッタリくる。
狼の耳に狐の鼻。口からは狼特有の牙が見え隠れしていて、先ほどまで着ていた服は見当たらず、全身を毛が覆っていた。
「これがこやつの元々の姿じゃよ」
「そやよ。せやからあんなにおめかししてたんやないの。こないな姿、恥ずかしくてよう見せられんわ」
先ほどの殺気は消え、今はただセレナと談笑しているようにしか見えない藤紅。
当然の如く警戒するが、どうしてセレナは無警戒でいるんだ?
「にしてももうええわ。負けや負け。煮るなり焼くなり好きにしーや」
そんなことを言っていきなり大の字に寝転がるが、セレナは一切動かない訳で……。
流石に痺れを切らし、俺が動こうとすると、目線だけで制される。
何か狙ってんのか?
「なんや? 辞世の句でも待たれてるんかや? せやなぁ、立派なのを考える必要がありんすなぁ」
藤紅も藤紅で、何もされないことを独自解釈でもしたのか、何やらうんうん唸って考え始めているし――、やっぱ二つ名持ちの考えることはさっぱり分からん。
だから――動く。そう決めた。
もし動くのがまずければ、セレナが止めるだろうし、何らかの工作が行われていて、セレナが操られていたり、動けない場合、その元凶である藤紅を叩くことが最も有効なはずだ。
まだツキのバフが残っている内に……。
そういや、ツキはさっきから姿が見えねぇな。……装備に戻った――ってあいつが被ってるまんまじゃねぇか!!
「返せっ!!」
先ほどまで身近に居た存在が急に消えていることに焦り、俺は慌ててトゥオンを藤紅の胸へと突き立てる。
肉を裂き、掻き分ける感触。音。そして、人間と同じ赤が吹き出して、藤紅の身体が痙攣する。
大きく一度。それから、小刻みに数度。
その痙攣が治まる頃には、藤紅の身体から力が抜け、辺り一面に赤が広がっていた。
微かに動いた藤紅の口からは、
「面白く…………なき……物事……を…………面白……く」
と、辞世の句らしい言葉だけが、弱々しく、そして途切れ途切れに聞こえてきた。
*
「かかか。謀多きが勝ち、少なきが負ける。それだけのこっちゃ」
高笑いをする藤紅は、自分の傍で横たわる二人を見下ろしながら上機嫌に言う。
どこから取り出したか分からない煙管を吹かし、夜空に向かって煙を吐いた後、未だに自分の視界で動く一つの影へと声を掛ける。
「嬢ちゃん、残念やったなぁ。最初っから全力でデバフ掛けとけば、あてを倒せてたかもしれんえ?」
「べーっだ。おばさんなんかパパがすーぐやっつけちゃうのー! パパー? おーきーてー! そんなとこで寝てたら風邪ひいちゃうのー!!」
「無駄や無駄。今そいつらの意識はうちが持ってるさかいにな。こんな特殊な人間、絶対手放さんし、頼まれても売りもせんけりゃ渡しもせん」
手のひらの上で鈍く輝く光を、これ見よがしにツキへと見せる藤紅。
どうやら、その光が彼女の言っていた二人の意識なのだろう。
「今すぐ返すのー!!!」
「効かんて。あんたのバフデバフに魔法の傾向理解しとるでありんすから、全面防御対策済みや」
ヒラヒラと手を振ってツキをあしらう藤紅は、煙管を片付け、セレナとケイスに向けて手を翳し――。
「よっこいせっと」
かけ声で空中へと持ち上げる。
地面から離れていく二人の身体は、空中に出来た闇の穴の中へと吸い込まれていく。
「ダメーッ!! パパー!!」
慌ててケイスの足を掴み、引っ張ろうとするが、持ち上がる力が強いのか、あっさりとツキも闇の穴の中へと引きずり込まれていった。
「あ、余計なもん入れてもうた。……まぁ、大丈夫やろ? 一応あいつ自体に何か特別な力があるわけじゃあらへんし」
ツキが飲み込まれる様子を見ていた藤紅は、うっかりしてた、とでも言うノリでそう呟くが、一人で納得し、闇の穴を閉じる。
――その直後。
「あ……、こらあかんわ」
そう口にし、膝から崩れ、そのまま前へと倒れ込む。
「流石に直撃は空元気でどうにかなるもんちゃうな。流石にしんどいわ。ちょっと休憩しまひょ」
起き上がる素振りすら見せず、そのままの体勢でゆっくりと目を閉じる藤紅。
「元々は謀る事だけが取り柄の謀狐。白龍相手に大金星やろ……」
意識を手放す直前に呟いたその言葉は、ただ、地面に染みるのみだった。