潜入開始ですとさ
「ふぅ。ちと風が出てきましたが、大丈夫ですかいお嬢様?」
「ぷくく。お主のその口調には慣れぬのぅ、テレスよ」
笑いを堪えられず、肩を震わすセレナに呼ばれたように、俺の今の名前は『テレス』である。
セレナお嬢様を小さい頃から守護してきた騎士。
……という設定。
「いくら初めての舞踏会だからといって、ハメを外しすぎないでくださいよ?」
「心得ておるわ。妾の行動一つで家名が汚れる。その自覚はあるぞ」
「なら良いんですが。……さて、ボタン嬢はもう到着してますかね……」
すでに目的の館は視界に入っており、後は段取り通りにヴァイス達と合流して一緒に屋敷に向かうだけ。
最初は別々に向かう予定だったのだが、一緒に入れば、セレナや俺がボロを出したとしてもフォロー出来るから、とと言う事で待ち合わせすることにしていた。
待ち合わせ場所に指定されたところで待っているが、二人は今だ来る気配が無い。
すると、微かに聞こえてきたのは蹄の音と車輪の音。
音のする方を見れば、馬車が二台こちらの方へ向かってきており、その内の一台は、スカーが操っていた。
巧みに馬車を捌き、綺麗に俺らの隣で止まった馬車から降りてきたヴァイスは、
「あら、貴方方もゴルト卿の催す舞踏会に参加なさるのかしら?」
と、妙に芝居がかった口調で言ってくる。
分かりきったことの筈。どころか俺らの目的がそうなのだから、尋ねる必要の無いこの問いの意味は……。
「その通りじゃ。妾はサレト。パール・ド・サレトという」
「その護衛役を拝命したテレスだ」
ドレスの裾を摘まんで僅かに上げ、浅い礼をしながら自己紹介をしたセレナに続いて、俺も簡単な自己紹介をする。
俺の場合は直立不動で。それが、騎士としての敬意の表し方。
「まぁ、合格でいいんじゃない? チャラい騎士様なんかは、お嬢様の前に跪いて、手を取り唇を添えたりするけど、テレスがやったら悲鳴が起こるわ」
「うっせーな。自覚してるよ、ったく」
分かりきった問いの真意。
ようは、しっかりと演じる事が出来ているかの確認だったのだろう。
合格と言われたことから、無事にパス出来たようである。
「どうせ馬車とか用意してないと思ったし、二台持ってきたわ。一応聞くけど、運転できる?」
「無理」
「無理なのじゃ」
「そんなことだろうと思って運転手雇ってるから、ゴルト卿の屋敷までこれに乗って行って。私ら、少し後から来るから」
そうか、お嬢様ってんなら徒歩で赴いたりはしねぇわな……。
全く頭回らなかったわ。
(普段から旦那は徒歩派っすからねぇ)
(貧乏が染み付いちまってんだろ。HAHAHA)
(わ、私としては踏まれるので徒歩の方が断然いいと思います!)
(それ、シズ、限定)
脳内の装備の言葉は無視し、セレナを先に馬車にエスコートして乗り込む。
ここ数日で立ち居振る舞いを叩き込まれたせいか、中々に様になっていると思う。
乗り込んだのを確認したのか、雇われ運転手が馬車を動かした。
館はもう目と鼻の先。この距離ならば……酔うことは無いだろう。
*
「パール・ド・サレト嬢とその護衛のテレスだ」
館に着いて馬車から降り、護衛の兵士達へ挨拶を済ませて身分を伝える。
目に見える装備以外に何かを隠し持っていないか、簡単なボディチェックを受けると、中へと促された。
わざとゆっくり歩くセレナに合わせ、ゆっくり正面の扉へ歩いて行くと後ろから、
「ガーネット・オブ・ボタンよ。こっちは執事のシュバルツ」
という声が聞こえてきたのを確認して、俺たちは扉を潜った。
前情報の通り大広間へと案内され、そこへ入ると――。
「おー」
セレナが素で感嘆の声を上げるくらいに、豪華絢爛の飾り付けや、直視できないほどに眩しく輝く皿に盛られた料理達。
そして、それらに負けず劣らず様々な装飾品で着飾った、今回の舞踏会に招待された貴族達の面々。
……目の奥が痛くなってきた。
と、
「おや、お美しいお嬢様ですね。辺境伯のシズリ・ゴ・メーデーと言います。以後お見知りおきを」
さっそくセレナに言い寄ってくる貴族が一人。
辺境伯となれば地位はかなりのもの。それを示すかのように、片膝付いてセレナの手の甲にキスをする動きには、一種の気品すら漂う。
が、生憎俺らはそこら辺の招待客とは違い、玉の輿狙ってるわけでも、貴族と仲良くしたいとも考えていないからな。
ついでに言えば、
「妾はパール侯爵家、長女のパール・ド・サレトである」
設定上の地位で言えば、こっちの方が上だ。
「これは失礼しました。本日は足をお運びいただき、ありがとうございます」
「招待感謝するのじゃ。今宵は楽しませて貰うぞ」
俺らに招待状を出したことになっている、主催者相手であっても、地位とは大切なもの。
どうせこの辺境伯も、「自分より上の貴族が連れたラッキー」程度にしか思っていないだろう。
多少上から目線でも、世間知らずで家の中で可愛がられてきたお嬢様と見られるし、何より地位が地位。
上手くセレナが自然体の喋り方でも違和感ない設定を付けてくれたものだ。
「ご無沙汰しておりますシズリ卿殿」
「ん? おぉ、ガーネット卿のお嬢さんではないですか。しばらく見ない間にまた大きくなられましたなぁ」
「あらいやだ、もうそこまで成長しておりませんよ」
主催者への挨拶を終え、不自然にならぬよう大広間の中へと進んでいく途中、ヴァイス達が挨拶をしている声が届いてきて。
徐々に俺の内心で、不安と緊張が募っていく。
ヴァイスじゃないけど、屋敷ごと破壊してめでたしめでたしって訳には……さすがにいかねぇか。