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第119話 風神雷神

 菊が、助左に会釈えしゃくした。

 手下たちが屏風を立てた。

 開かれていく。

 大広間は静まりかえった。

 誰も身じろぎ一つしない。

 異様な沈黙が支配した。

(何だ、これは)

 これを明に贈る気か。

 どう贔屓目ひいきめに見ても、贈り物の基準に合っていないことは明らかだった。

 花鳥かちょう風月ふうげつの絵ではなかった。

 それは南蛮なんばん武人ぶじんを描いたものだった。

 八曲はっきょく一双いっそう

 その画面一杯(いっぱい)に、馬に乗った王侯おうこう貴族の絵が描かれている。

 片方には静かにたたずむ四人の王侯、もう片方には、馬をせ、今にも刀をまじえんとする、やはり四人の王侯がいる。いずれも、ターバンや、赤や青、碧のきらびやかな宝石で飾られた金の冠をかぶり、杖ややり、刀やたてを持ち、立派な甲冑かっちゅうの上に鮮やかな緑や赤のマントをまとい、美々(びび)しく飾られた黒・白・栗毛くりげの堂々たる体躯たいくのアラビア馬に乗っている。日本の馬とは比べ物にならない程大きな馬は、いななき、足掻あがき、今にも画面から飛び出して来そうだ。

 八人のうち、一人は、織田信長がイエズス会から譲り受けて家臣にしていた人物と同じ、黒い肌に黒い真ん丸い眼を持ち、他は皆、金色の髪に金色のひげ、真っ白な肌に、輝く目、艶やかなべにさすほおを持っている。

 誰が見ても、何処を見ても、明らかに、御禁制ごきんせいのキリシタンの王侯の図だった、だが。

(欲しいな)

 狩野の屏風を見たときには思わなかったことを、その場に居た武将たちは、思った、全員。

 秀吉を含めて。

(基準、なんて)

 くそくらえ。

(この会が終わったら)

 店に問い合わせてみよう、我が家にもこういう屏風を描いてくれるかどうか。この会が終わったとき、店があるかどうかにもよるが。

(永徳みたいだ)

 いや、永徳以上かも。

 画面一杯に描かれた雄偉ゆういにして優美な人物。

 大胆な描写。それでいて繊細せんさい筆遣ふでづかい。

 豪壮ごうそうにして絢爛けんらん。それでいて漂う叙情じょじょう

 こんな絵は見たことが無い。

 いいな。

 かっこいい。

 欲しいな。

「何じゃ、これは。」

 秀吉がやっと言葉を見つけた。

「明への贈り物にする、と、申したはずじゃが。」

「これが贈り物の屏風でございます。」

 菊は静かに言った。

「日本からの贈り物に南蛮人を描くか。」

 秀吉はようやく攻撃の箇所かしょを見つけた。

「いいえ。」

 菊は動じない。

「これは日本の武者むしゃでございます。」

「何。口幅くちはばったいことを申すな。これの何処が日本の武者じゃ。」

 いよいよ墓穴ぼけつを掘ったぞ。

漢画かんがでも大和絵やまとえでもない、私独自の絵を御覧になりたい、とのことでした。私独自の手法しゅほうでは、日本の武者もこのようになります。」

 菊は言った。

「何故この絵の武将たちは」

 秀吉が言った。

「動いているのに、止まっているように見えるのじゃ?」

 後ろのほうにいる武将たちは、よく見えないので、腰を浮かし、身を乗り出している。

 狩野の屏風が披露ひろうされたときには無かった熱気ねっきが、大広間をおおっている。

「何故ならば、この武者たちは全員、死者だからでございます。」

「何、死人、とな。」

「描いたのは武田の武者でございます。」

 諸将はざわざわし始めた。

 甲斐の武田、といえば、優秀な馬をたくさん持ち、勇猛で知られた家。

「兄たちの出陣の支度を思い出して、描いたものでございます。」

 でも織田に滅ぼされた家だ。

 織田で頭角とうかくを現した太閤の前で、あんなことを言ってしまって、この女は。

 胸を押さえた。

「本当は、あがってしまっているのです。」

 あろうことか、笑った。

 初めて見る笑顔に皆、胸をつかれた。

「昔から人前ひとまえに出るのは苦手でした。今、このようなところで独りでしゃべりまくっている自分が、信じられません。聞きとりにくい話を聞いてくださっている皆さまには心から感謝いたします。」

 諸将に向かって頭を下げた。続けた。

御覧ごらんのような」

 自分の、雨風にあおられて益々くしゃくしゃになってしまった茶色の巻き毛をつかんだ。

「頭をして、いくら他の姫君のようにつくろっても上手うまくいかず、何をやっても自信がございませんでした。絵だって昔、狩野の家に弟子入りしようとして、女の手慰てなぐさみだと笑われて門前払いを食わされたけど、今だったら、そういう対応をされたのも納得できます。」

 狩野一族の座っているほうを見て、言った。

「たしかに、昔の私にとって、絵はただの手慰みでしたから。」

 遠い目をした。

 「そんなとき、南蛮の絵に出会いました。でもキリシタンになる気は無かった。自分の家は信心深く、神社や寺にたくさんの寄進きしんをして、ずっと祈ってきたけれど結局、信心の甲斐なく滅んでしまった。だからといって南蛮の宗教に乗り換える気にもなれませんでした。ただ南蛮寺に飾られている悲しそうなゼスズ(イエス)や優しい母子の像にかれて、描き始めたのです。大和絵や漢画と全く手法しゅほうの違う南蛮画を描くのには、それは苦労しました。でも描いていくうちに段々、苦労ではなくなっていきました。描くのに慣れてきたこともありますが、それだけではありません。南蛮画に描かれた日本人とは違う目の色や髪質かみしつ、肌の色を持つ人々が美しいと思えるようになってきたからです。」

 助左と目が合った。

 菊は又、かすかに笑った。

「それと同時に、自分のちりちりして茶色い髪の色や、人とは違う感じ方、考え方も肯定こうてい出来るようになってきました。自分は他のお姫さまたちとは違った生き方をしているけど、それでも別にいいのではないか、と思えるようになってきたのです。」

 秀吉をぐ見た。

「私が武田の残党なので、復讐ふくしゅうたくらんでいる、と思っていらっしゃるのはよくわかります。世間一般の常識ではそうでしょう。でも私は自分の道を行きます。私はこの絵を、武田の人々の鎮魂ちんこんのために描きました。何故なら私が出来ることは絵を描くことしかないからです。私はずっと絵を描いてきました。これからも描いていければ、と願っています。でもそれは殿下でんかのおこころ次第しだいです。おさばきをお願いいたします。」

 皆、一斉いっせいに秀吉を見た。

 ぐっと詰まった。

 皆が彼女に魅了みりょうされてしまったのを知った。

 自分も一瞬、ほだされた。

 だが、この騒ぎの始末はどうなる。

 ちょっと待って。考える時間をくれ。

 許してやったら、というその場の雰囲気に飲まれてしまった、と、後で思った。

「申し渡す。」

 えへん、と咳払せきばらいをした。

「絵合戦は、狩野の勝ち、とする。」

 ため息がさざなみのように広がった。

 狩野の一門は皆、ほっとしたように平伏へいふくした。

 終わってみれば、と宗秀は頭を下げながら、思った。

 当然の結果じゃ。

「そちは」

 秀吉は菊を見た。

(こいつは上杉のしつだった)

 上杉ときたら、自分とこの正室せいしつがこんな大騒ぎを起こしているというのに、だれ一人ひとり寄越よこさない。

 使いを出したら、あちらの側女そばめが一人出てきて、慇懃いんぎんに、

あるじ家宰かさいは、国許くにもとの用が長引いて不在でございます。内方うちかたは、この家を出て久しゅうございます。()もとたみはもとより、すべからく殿下の臣下しんかでございますれば、には御意ぎょいのままになるものと存じます。」

 ご裁断さいだん不平ふへいを申すようなことは決してございません、とにこやかに言ってのけたという。

 もっとも朝鮮とめていて大変なときに、『きたゆう』上杉家と正面切って対立する気は無い。きもさむからしめて、豊臣の権威を誇示こじしてやろうという魂胆こんたんはどうやら、未遂みすいに終わりそうだった。

(ま、構わん)

 上杉への対策は、他に考えてある。

 龍の末裔まつえいには、虎の後継こうけいを名乗る者を。

 えへん、と咳払せきばらいした。

「上杉の預かりとする。子供、及び家臣たちはお構い無しとする。」

 わっと皆、いた。

 関係無いはずの諸将まで喜んでいる。明日は店に、彼らからの注文が殺到さっとうするに違いない。

(何で、そちがそんなに喜ぶ)

 秀吉は、下で控えている三成が満面まんめんみをたたえているのを見て、うんざりした。

「ところで」

 聞いた。

「そち、五条の絵屋、というのは屋号やごう、なのか?」

「あ、いえ。」

 菊はとまどったような顔をした。

「あのあたりには、うちくらいしか絵屋が無くて。」

 五条の絵屋、で通じるから。

「じゃ、他に絵屋が出来たら、どうする。」

「ああ。」

 菊は正直に言った。

「あんまり考えたことがありませんでした。」

あきれたの。」

「申し訳ございません。私、ぼんやりしていて、いつもよく兄に叱られておりました。」

「もう兄上もおられぬことじゃ。」

 秀吉は言った。

「兄上にわり、わしがそちの店に名をつけて進ぜよう。」

「ははっ。」

「そうじゃな。」

 ちょっと考えた。

「武田の家紋かもんわりびしじゃな。あれはたわらを重ねた形に似ておる。じゃによって、屋号は俵屋たわらや。俵は大黒天だいこくてんの座じゃ。福徳を意味する、どうじゃ、めでたかろう。工房のいんは『いね』。俵、じゃからな。てる漢字はそっちで考えるが良い。」

「有難き幸せ。」

 太閤から屋号をたまわるとは、一介いっかいの絵屋に。

 何という名誉だろう。

 絵合戦では負けたが、これは勝ったも同然の、破格はかくな待遇だった。

『俵屋』及び、『阿国一座』は平伏した。

「俵屋は絵を生業なりわいとし、一座は芸道に益々精進(しょうじん)するように。もう余計よけいなことは考えるでないぞ。」

 くぎした。

 今回だけは目こぼししてやる、という意味だった。

(そうでないと諸将の治まりがつかないだろう)

 席を立った。

 三成がついてくる。

「何かそち、嬉しそうじゃな。」

 ムッとして言った。

 主君が苦心しているのを見て、喜ぶ家来が何処にいる。

「あの女が気に入っておるのか。」

「あ、いえ。」

 顔を引き締めた。

「私は、ご政道のあるべき姿を見たのが嬉しかったのです。」

 ウソつけ。

 前を向いた。

(まあ、よい)

 この男もそうだが。

 あの女にも、権力をどうこうしようという野心やしんは無い。

 従って、脅威きょういにもならない。

 そうだ、警戒すべきは。

(わしの地位をおびやかすものは)

 容赦ようしゃはしない。

 豊臣政権に、武田ののろいがかかった、瞬間だった。



 翌日、五条の河原で、盗賊一味の処刑が()()()()と行われた。二、三日予定より早いような気がしたが、気にする者は居なかった。

 釜茹かまゆでは聞きしにまさる残酷なもので、目をそむけない者は居なかった。でも、でられた九人の中に、例の子供が混じっていなかったのでは、と後でうわさになった。

 他にも、妙な噂が後々(のちのち)まで残った。

 前の晩、あの大嵐の中、天から鬼が舞い降りて、子供をさらっていったのを見た者が居るというのだ。

 伏見城はもともと秀吉の隠居所いんきょじょとして建てられた為、都から山一つ越えたところにある。

 だから真偽しんぎは定かではなかった。人々の願望がそのような噂を生み出したのかもしれなかった。

 その鬼は三十三さんじゅうさん間堂げんどうにある風神雷神ふうじんらいじんの像の化身けしんだ、という者も居て、それからしばらく、寺は参拝さんぱいの人々でにぎわった。



        挿絵(By みてみん)

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