第114話 弔い合戦
今日、ここに来たのは菊に頼まれたから、だけではない。
彼には、彼なりに決着を付けなくてはならないことがあったのだ。
大伯父の『仇』を討つ。
あの日、雷鳴轟く豪雨の下、上杉の手勢が取り囲む中、紅と共に利休の別邸に入った。
利休は茶室に居た。
「太閤に謝れと言いに来たか。だったら、端から言っておく。謝る気は、無い。」
「事ここに至っても、まだ強情張ってるんですか。どういう事態だかわかってるんですか?」
助左が言った。
「黙れ、チクゼン{筑前守。秀吉の以前の官職}の手先め。」
苦々しく吐き捨てた。
「私たち、太閤の為に来たんじゃありません。」
紅が言った。
「自分たちの為に来ました。どうか私共をお許し下さい。」
利休は助左の祖父の姉の子である。
共に納屋という堺を牛耳る一族であるが、呂宋屋の主人助左衛門もその女房も、親戚から厄介者扱いされている。
二人が祝言を挙げたとき、利休を招待したが、祝いの品が届いたきりで、その後、二人が屋敷を訪ねても会ってもらえなかった。
「当たり前だ。」
呆れたように言った。
「呂宋から戻ったばかりですが、今から祝言を挙げますから主賓としていらして下さい、だと?祝い事とは、何ケ月も前から予定を立てて行うものだ。大体主賓の都合も聞かずに今から、とは何だ!わしが教えてきたことが何一つ身に付いておらんではないか!」
「女房が越後から帰ってきているなんて知らなかったから。一刻も早く正式に夫婦になりたかったんです。」
助左は頬を膨らませた。
「師匠のご機嫌を損ねたことは謝ります。どうかお許し下さい。」
床に手を突いた。
「断る。」
にべも無く言った。
「今更、仲直りなんぞする気にはなれぬ。」
「亭主が、大伯父さまが持っていらした縁談を蔑ろにしたのは、私がこのひとを惑わしたからです。」
紅が言った。
「私のことをお気に召さないのは仕方無いです。でも亭主だけでもお許し頂きたい。なんといっても身内なのですから。」
「離れて行ったのはそちらのほうだろう。茶会にも顔を出さないで。」
利休は、紅を無視して助左に言った。
「師匠が作られた」
助左は膨れっ面のまま言った。
「茶席は、俺のような身体を持つ者にとっては狭すぎる。何よりあの『にじり口』、入らないでください、と言っているようなものだ。」
「小さな入り口は、別世界に入るための仕掛けなのだ。」
利休は言った。
「そちのような者に潜れ、などとは言ってはおらぬ。茶道口のほうから出入りすればよいこと。現に、少庵{利休の後妻の連れ子。娘婿。足が不自由。利休はその茶道を高く評価した}はそうしとる。」
「オレは、嫌だね。」
助左は口を尖らせた。
「特別扱いされるなんて、屈辱だ。」
利休は、思いがけず口元を綻ばせた。
「悪餓鬼で鳴らしていた頃と全く変わっとらんな。茶を点ててやる。これが最後だ。」
二人並べて茶を点ててやった。
助左に言った。
「こんな女を選ぶなんて、全く理解出来んな。それでも別れもせずに連れ添っとる。これがそなたら夫婦の形なのであろう。全うすることを、あの世から祈ってやる。」
紅は思った。
何か似てる、この二人。
(意地っ張り)
「ところで」
茶を頂く助左を見ながら、利休が言った。
「わしが死んだら、溜めておいた例の壷を世に出せ。扱いはそなたに任せる。わしの茶を世に広めてくれ。頼んだぞ。」
利休が死んで、助左には宿題が残された。
大伯父は彼にとって、茶の湯の師匠でもある。
(師匠の夢は茶の湯を、金持ちが金にあかせて買い漁った舶来の茶道具を自慢する場から、富める者も貧しい者も、誰もが自分なりの楽しみを見出すことの出来る場に変えることだった)
それには茶道具の価値観を変える必要がある。
茶道具で珍重されるのは大陸から渡ってきた古い品々である。故事来歴が付いていれば最高だ。
手に入れたお宝にハクをつけるために目利きが呼ばれる。
皆、自分の目には自信が無いから。そのくせ、目利きの鑑定にも最初っから疑いを持っているのだ。自分のお宝に思うような値段が付かなかったり、道具の購入の際、予想より値段が高かったりすると、忽ち不満は爆発する。
師匠はその目利きを一手に引き受けていた。
賜死は、茶道具の売買で法外な値を付けたという疑いをかけられたのも一因だった。
だがそれは、師匠の考える『美』が、世の人の理解を超えていたからではないか。
ありとあらゆる贅沢を堪能し、全ての名品を知り尽くした先にある、究極の世界。
それは全てを削りに削り、もうこれ以上は無い程削ぎ落とした、限りなく零に近い色であり、形であった。
その価値観が世の人に理解されなかったからこそ、『法外』と取られてしまったのではないか。
利休の初めての弟子だった助左は思うのである。
彼には、師匠の考える『美』を理解出来るのはほんの一握りの人間のみであろう、という諦観がある。そしてその僅かな人間の中に自分が入っていることも知っていた。
師匠が哀れだった。
龍や大百足のような人智を遥かに超えた存在に槍一本で刃向かって、取って投げられたようなものだ、と思った。
今度のことはいい機会だ。
幸い手元に、師匠が目利きして彼が保管していた壷が、そこそこある。それも、師匠が主張していた、新しい価値観を体現したような物ばかり。
(これが世間にどれくらい受け入れられるか)
試してみよう。
師匠を死に追いやった『世間』の頂点に立つ者の膝元で。
世の中では、かような行為を、弔い合戦、と呼ぶのだろう。