第111話 極楽橋
慶次郎が松風の背から橋を眺めていると、傍らに輿が下ろされた。
窓を開けて、信虎が顔を出した。
「これが極楽橋か。」
城の鬼門にある、御殿へと続く華麗な橋だ。
堀に架かる橋には屋根が付いていた。屋根は織田家中特有の金箔を貼った瓦で覆われており、その上には更に小櫓が付いている。小櫓には回廊が廻らされていて、上から景色が眺められるようになっていた。橋も小櫓も金色の板で覆われており、鳥や樹木の種々の彫刻が隙間無く張り巡らされていた。
小櫓に掲げられた旗幟が強い風にはためき、金の壁は、もくもくと空に溢れてきた黒い雲の間から漏れた午後の日差しに反射して、きらきらと光っている。
「大坂城にも同じものがありますが」
慶次郎が言った。
「この橋一つ作るだけで、一万五千両かかるそうです。」
信虎は、ヒェッ、ヒェッ、ヒェッ、と笑った。
「どれだけ民から搾り取ったか、目に見える証というわけじゃな。」
「この橋を通って極楽へ行く、という趣向ですな。」
信虎は、ふん、と言った。
「逆じゃよ。こっちが極楽、あっちが地獄、じゃ。」
「私は宴に参ります。大丈夫ですか、お一人で。」
「構やせん。」
信虎は、ひらひらと手にした紙を振った。
「この見取り図さえありゃな。約束の時間に、約束の場所に、迎えを寄越してくれりゃ、よい。それにしてもよう、こんな物手に入れたな。必要以上に詳しいの。」
慶次郎はふっと笑った。
「何しろ二十五万人を動員した大工事ですから。唐入りしていない大名は皆、駆り出されております。上杉も、この城の舟入りを担当しております。実にこの度ほど、簡単だった仕事はございませんでした。」
「ふむ、じゃ、後程な。」
信虎は、輿の窓を、ぴしり、と閉めた。
菊が、屏風を荷車に積ませて店を出た後、揚羽は万寿丸を背に、松の家と芝居小屋の様子を見に行った。
こちらも出立した後だった。
菊は、屏風を搬入したらすぐ店の者を帰すと言っていたし、松も、出番が済んだら一座の者を帰す予定だった。
揚羽は新兵衛と共に皆を連れて、都の郊外にある信虎の領地に避難することになっていた。
がらんとした芝居小屋を眺めて、ため息が出た。
又、あてどなく彷徨う暮らしが始まるんだろうか。ようやく安住の地を見つけたと思ったのに。
とそこへ、一足先に小屋にやった平助が、血相を変えて飛んできた。
「でっ、出た!」
大声にびっくりして、折角寝ていた万寿丸が、ぎゃあっと泣き出した。
平助は足をがくがくさせて、歯の根が合わない。
「出たって、何よ。」
「だっ、だからっ、幽霊が。」
何言ってるの、この子、こんな時に。
平助に連れられて、小屋の裏手に回った。
大道具、小道具を入れておく蔵がある。その中から、どんどんという音が聞こえてくる。
おそるおそる扉を開いた。
すると中から、後ろ手に縛られた誰かが、転がり出てきた。顔に袋が被せられている。
首に巻かれた縄を解いた。
出てきたのは、
「さっ、三九郎!」
ぺえっ、と唾を吐いて、むせている。
「どうしたの?」
「わからない。気が付いたらここに居た。」
「じゃあ今日、あんたの代わりにお城に上がっているのは、誰!」
松は知っている、と直感した。
でも菊は知らないはずだ。
だけど知らせる術が無い。
結局、やきもきしながら、皆が戻ってくるのを待つしかない揚羽だった。