第108話 釜茹で
三条河原に高札が立った。
盗賊の処刑を知らせるもので、そのこと自体は珍しくもなかったが、京雀の度肝を抜いたのはその処刑方法だった。
なんと、大釜に入れた油で煮殺すというのである。しかもその盗賊は先頃、不届きにも伏見城に侵入して太閤の命を狙った一味だというではないか。
高札の前はたちまち人で溢れた。
その中に蟷螂に似た異相の老人が混じっていた。老人は高札を眺めていたが、輿に乗ると、都の北を目指した。
老人を乗せた輿がたどりついたのは、一条戻り橋の近くにある上杉家の屋敷だった。書院に通されると、この家の側室が応対に出た。
「それ、いつぞやの『借り』。」
信虎が言った。
「返してもらうときが来たようじゃ。」
「かしこまりました。」
紅は微笑した。
「主は家宰と共に国許におります。私もこのたびは、表に出ないほうがよろしいかと存じます。痛くも無い腹を」
しゃあしゃあとして言う。
「探られるのもどうかと。」
「うむ。」
「そのかわり、この手のことに、うってつけの者たちを参上させます。御安心を。」
猿若は、慶次郎の元を訪ねた。
彼は刀をずらりと並べて手入れをしている。
さすが歴戦の強者が選んだだけあって、いずれも見るからに業物ばかりだ。中身の切れ味と、それを包む鞘の細工の見事さが合致している。
「最近、ちっとも店に顔をお見せになりませぬな。」
「ちと行きづらくてな。」
この男にしては珍しく、気弱なことを言う。
「姫君はお元気か。」
「一生懸命、屏風を作っていらっしゃいます。昼も夜も無く描いていらっしゃいます。食べ物は作業場に運ばせて、夜具を隅に置いて、限界まで作業すると、倒れるようにおやすみになります。でも暫くすると起きていらして又、描いていらっしゃいます。なんというか、その」
猿若が言いよどんでいると、慶次郎が、
「何だ？」
いやに鋭く尋ねる。
「いや、何か、鬼気迫るものがありましてな。元々、一生懸命仕事をなさる方ではありましたが、今までの姫君には無いものを感じます。」
「ふうん。」
あんまり面白くなさそうな顔をしている。
（何ゴネてんだ、コイツ）
「何かございましたか？」
「いや、ううん。」
ちょっとムッとした顔をした。
「詮索するな。」
「詮索ではございませぬ、挨拶代わりで。」
「うるせえ。挨拶なんぞ要らねえ。放っといてくれ。」
（おやおや）
こりゃ相当凹んどるぞ。
「俺も呼び出されている。」
慶次郎が言った。
猿若がまじまじと見るので、付け加えた。
「叔父貴の機嫌を損ねたまんまだろう。太閤が仲を取り持ってくれると言ってな。」
「一網打尽というわけですか。」
「さあ、謝らせたいんだろうよ。」
慶次郎はつまらなそうに言った。
「でも、謝りたくねえ。」
「大人にお成りなさいませ。それで万事、治まるでしょう。」
と、猿若。
「それにしてもあなたさまの腕なら、達丸さまお一人さらってくるくらい、雑作も無いことでしょう。何故、おやりになりませぬ。」
「姫君に言ったが」
慶次郎は大声で言った。
「断られた。今頃、天下の色男を袖にしたことを、さぞ後悔なさっておいでだろう。」
（ああ、それでスネてんのか）
「まあ後々、表を歩けませぬよってな。」
猿若が言った。
「もっともそれも、太閤が身罷るまでの辛抱。」
「奴も随分、耄碌しているとの話だ。」
「今日、伺ったのは」
猿若は本題に入った。
「会っていただきたい方がいらっしゃるからです。」
慶次郎は刀を片付けて、腰を上げた。
「何処へでも行こう。」
