第103話 千鳥
その日の朝、人々は、往来を慌しく馬が駆け抜ける音で、目を覚ました。
大勢の兵が辻々を固め、所司代から、用の無い者は出歩かぬようお触れが出た。人々は、何が起きたかと、家の中で息を潜めていた。半日ばかり足止めをくらった後、家の外へ出ることは許されたが、大通りにはまだ見張りが立ち、通る人々を厳しく詮議していた。
謀反が起きたのだ、いや、朝鮮が海を渡って攻めてきたのだと、まことしやかに言う者もあり、人々の不安をあおった。だがそのうち、真相らしきものが段々わかってきた。
伏見城に賊が入ったというのである。
もう二年程前から、伏見に築城が始まっていた。秀吉は聚楽第を関白秀次に譲り、自分は新しく築いた城に移っていた。その秀吉が、寝間で賊に襲われたというのである。
「賊は太閤殿下の枕元まで忍び寄って行ったんだそうだ。刃を振りかざして、あわや、というその時」
と、身振り手振りを交えて語る、何処かの威勢のいいあんちゃんの話である。
「床の間に置いてあった千鳥の香炉が一声鳴いた。これがこの世に二つとない名器で、主人の危機を見て急を報せたんだな。」
ちなみにこの千鳥の香炉というのは、砧青磁で三つ足のものである。底の中央の高台が高く、三つ足が浮き上がるのが千鳥の飛ぶ脚に似ているので、千鳥と名づけられた。天正三年三月に、領国を失った今川義元の子・氏真が織田信長に頼ろうとして贈った、駿河守護今川家伝来の名物香炉である。
「その声に、はっと飛び起きた太閤殿下、『曲者―っ!』と大音声で呼ばわると、次の間に控えていた仙石久秀という豪傑が、曲者にぱっと飛びついた。曲者はたまらず御用になった、と見えたが、そいつはすばしっこくて、雲を霞と逃げちまった。だがそいつと一緒に来ていた子供は、逃げ遅れて捕まっちまったんだそうだ。まだ十幾つかの子なんだが、太閤殿下を親の仇と狙っていたらしい。土壇場で失敗したにせよ、城中深く忍び入り、しかも親の仇討ちとは泣かせるじゃねえか。」
「ちょいとっ!」
話を聞く群集の中に混じっていた揚羽は、あんちゃんの胸倉を掴んで叫んだ。
「その子供っていうのは、どんな子だいっ!ええいっ、はっきりおしっ!」
「しっ、しっ、知らねえよお、俺だって他人から聞いたんだい……。」
あんちゃんは、揚羽の剣幕に怯えて、萎れてしまった。
「何でも弱々しい男の子だったっていう話だが。他にも一味の者がたくさん捕まったそうだ。そのうち河原で処刑になるだろうから、そン時に幾らだって見れるさ。」
揚羽は、あんちゃんを突き飛ばすと、走り出した。
報せを聞いて、菊は急いで身なりを整えると、寧々の元に参上した。
達丸がさらわれてしまったこと、これはきっと何かの間違いだと必死に訴えた。
寧々も驚いて、あの子のことは私もよう知っておる、とてもそんな大それたことをしでかすような子ではない、私が直接、太閤殿下にお願い申し上げるから、家に戻って待っていなさいと言ってくれた。
二、三日して、所司代から呼び出しがあった。
菊が、奉行所の役人から申し渡されたのは、思いもかけない言葉だった。
「屏風、でございますか?」
何かの聞き違いか、と思った。
「そうだ、出来るだけ早く作れ、との御命令だ。」
「あの……屏風を作ってお収めすれば、子供は返していただけるのでしょうか。」
菊が念を押すと、役人は、手にした書類にもう一度、目を落としてから言った。
「そういう事は……書いていない。」
菊が絶句していると、役人は重ねて言った。
「この度の明国との和議に当たり、恐れ多くも太閤殿下は、明国皇帝に下賜なさる屏風の制作をその方にお命じになる。ただし条件がある。その方は狩野や土佐、その他の一門の下にはつかず、独自の画法を持っている、とか。太閤殿下はそれら漢画、大和絵とは違う、その方独自の絵を見たい、とおっしゃるのだ。」
菊は、さあっと血の気が引くのを感じた。
漢画でもない、大和絵でもない、絵。
それは、御禁制のキリシタンの絵ということではないか。
「そ、それは……。」
菊が顔を上げると、役人は覆い被せるように言った。
「尚、太閤殿は、狩野にも屏風の製作をお命じになられた。双方の屏風が出来上がり次第、太閤殿下御自ら、絵の優劣を断じられる。」
目の前が真っ暗になった。
菊は両手をついて頭を下げ、衝撃に耐えた。
「太閤殿下は、私に死ね、と仰るのでしょうか……。」
役人は紙を傍らの机に置くと、慌てて上段から降りてきて、菊を支えた。
「御前さま、お気を確かに。」
命令を申し伝える役を終えたので、いつもの彼に戻っている。
船奉行の役を終えた後、彼は増田長盛と共に、京都所司代に任じられた。
「治部少輔{石田三成}さま。」
菊は顔を上げ、必死に言った。
「治部少輔さまが、弱い者や困っている者たちに大変親切にしてくださる方だということを、教会の者から聞いております。」
迫害の中で捕まった者たちの命ごいをしてくれたこともあると聞き及んでいる。
彼が、怜悧な吏僚の外見の下に熱い義侠心を隠していることを、菊は知っている。
「あの子はかどわかされて、あの場に連れてこられただけなのです。どうか、どうか、何の罪も無い子供のために、お力添えいただけませぬか。」
石田三成は、
『諫めについては、秀吉の気色{気分}を取らず、諸事有姿を好みしものなり』
と、殊更に貶められた後の世においてさえ、書物に書かれたような、骨のある男だった。
菊にすがられて、彼は困ったようだった。
「唐入りが長期化して、人心が動揺しております。そんな中、城内の、しかも殿下の寝間を襲ったところを捕まってしまったのですから……。」
要するに、見せしめ、ということなのだろう。
織田にたてついて滅んだ武田の残党。
格好の生贄ではないか。
「でも狩野と絵合戦だなんて……。勝負は始めからついています。」
三成は暫く考えていたが、言った。
「北政所さまの襖を拝見して、私は感動しました。だから狩野でもなく、土佐でもなく、あなたのお店に、お経の修繕をお願いしたのです。私は絵のことはよくわかりません。キリシタンでもありません。でも万里の波濤を越えて運ばれてきた絵を見て、何を表現しているのか、文化の違う世界で育った私にはよくわからないながら、それでも何か心に訴えかけてくるものがありますし、素直に美しいと思います。御自分の才能をそのまま、表現してみては如何でしょう。真実は人の心をうちます、必ず。」
この男は、近江の小さな寺の小僧だったのを、秀吉が拾い上げて育てたという。何の後立ても無く、ただ自分の才だけを頼みに、のし上がってきた男らしい言葉だった。
(この人は知らないのだ)
菊は思った。
(贈答用の屏風がどういうものであるかということを)
そして彼女が、どうしてもその絵を描けないということも。