光の森とクラヤミさま
# 光の森とクラヤミさま
村の近くに、光の森と呼ばれる森がありました。
それは、それは大きな森です。
村の東から西まで、ずうっと続いていて、どこから見ても森の終わりは見えません。
昼も光っています。
夜も光っています。
雨の日も、雪の日も、くもりの日も、森だけは青白く、しんしんと光っていました。
森の木々は、白い骨のような幹をしていました。
枝は空に向かって長く伸び、葉っぱはガラスのかけらみたいに、光をきらきら返します。
夜になると、森の奥から小さな光の粒がふわふわ飛びました。
村の子どもたちは、それを見るのが好きでした。
「あれ、星の赤ちゃんかな」
「ちがうよ。森のほたるだよ」
「でも、冬にも飛んでるよ」
子どもたちはそう言って、村はずれの柵にしがみつき、光の森を見つめました。
けれど、村の大人たちは、いつも同じことを言います。
「森に入ってはいけないよ」
「どうして?」
「森の中には、神様がいるからだ」
「神様なら、いい神様じゃないの?」
「いいか悪いかではない。人間が近づいてはいけない神様なんだ」
その神様の名は、クラヤミさま。
光の森にいるのに、クラヤミさま。
それが、子どもたちには不思議でした。
けれど、ほとんどの子どもは、しばらくすると不思議に思わなくなりました。
大人がそう言うからです。
昔からそう決まっているからです。
森に入ってはいけない。
クラヤミさまを怒らせてはいけない。
光の森は遠くから見るもの。
みんな、そう教わって大きくなりました。
けれど、一人だけ、どうしても納得できない女の子がいました。
名前は、リリ。
村では、なぜなに少女と呼ばれています。
リリは、なんでも「なぜ?」と聞きます。
「なぜ、朝は来るの?」
「なぜ、雪は白いの?」
「なぜ、鳥は空を飛べるの?」
「なぜ、大人は、わからないことを『そういうものだ』って言うの?」
大人たちは、リリに質問されるたびに困りました。
「リリ。またかい」
「そんなこと、知らなくても生きていけるだろう」
「考えすぎると、よくない子になるよ」
でも、リリは考えるのをやめません。
知らないままでいるほうが、ずっと気持ち悪かったのです。
リリには、もう一つ、不思議に思っていることがありました。
それは、村のことです。
光の森はいつも明るいのに、村はいつも暗いのです。
昼でも、家の中ではランプをつけます。
朝になっても、窓の外は夕方みたいです。
畑の野菜は色が薄く、村人たちの顔も、どこか影をかぶっているようでした。
けれど、村の人たちは、誰もそのことを変だと思っていません。
「森があんまり明るいから、村が暗く見えるだけだよ」
「昔からこうなんだ」
「ランプがあれば困らない」
みんな、そう言います。
リリは思いました。
ほんとうにそうなのかな。
ほんとうに、村は暗くないのかな。
ある日、リリは決めました。
自分で確かめに行こう。
まだ朝早く、村の大人たちが起きる前でした。
リリは小さなリュックに、パンと水筒と、古いランプを入れました。
それから柵をくぐり、光の森へ入りました。
森の中は、村の外から見たよりもずっと明るく、ずっと静かでした。
まぶしいのに、あたたかくはありません。
光はあるのに、太陽のぬくもりがないのです。
木の幹は白く光り、足元の草も光っていました。
道はないのに、どこまでも見えます。
それなのに、森の奥へ進めば進むほど、リリの胸はざわざわしました。
鳥の声がしません。
虫の羽音もしません。
小さな動物の足あともありません。
こんなに明るいのに、森はまるで眠っているようでした。
「どうして、だれもいないの?」
リリの声だけが、白い木々の間に小さく響きました。
やがて、リリは森の一番奥で、それを見つけました。
大きな、大きな穴でした。
地面にぽっかり開いた、真っ黒な穴です。
丸くて、深くて、底が見えません。
穴のふちには光る草が生えていました。
けれど、その光は、穴の近くでふっと弱くなり、するすると吸い込まれていきます。
木の光も。
空の光も。
リリの持っていたランプの光も。
みんな、穴へ吸い込まれていました。
リリは息をのみました。
「この穴が、光を食べているんだ」
そう思った瞬間、リリの頭の中で、村の暗さと、森の明るさがつながりました。
光の森が明るいのは、この穴のまわりに光が集まっているから。
村が暗いのは、この穴が村の光まで吸っているから。
「たいへん」
リリは走って村へ戻りました。
息を切らして、村の広場へ飛び込みます。
「森の中に穴があるの!」
大人たちが振り返りました。
「リリ、まさか森に入ったのか」
「入ったよ! だって、確かめたかったんだもの!」
「なんてことを!」
「穴が光を吸っているの! 村が暗いのは、あの穴のせいかもしれない!」
リリは一生懸命話しました。
けれど、大人たちは誰も信じません。
「子どもの見間違いだ」
「森に入った罰で、変なものを見たんだ」
「クラヤミさまを怒らせたらどうする」
「もう二度と森へ入ってはいけない」
リリは怒られました。
その日は夕ごはんのあとも、ずっと部屋から出してもらえませんでした。
リリは窓から光の森を見つめました。
森はいつもと同じように、青白く光っています。
でもリリには、その光がとても悲しそうに見えました。
何日も過ぎました。
リリは穴のことを忘れられません。
けれど村の人に話すと怒られます。
だから、ずっと黙っていました。
そんなある日、村に旅人がやってきました。
長いコートを着て、大きなかばんを背負った人でした。
旅人は村の宿に泊まり、夕方、広場でランプの火を見ながら、温かいスープを飲んでいました。
リリはこっそり近づきました。
「ねえ、旅人さん」
「なんだい?」
「光を食べる穴って、知ってる?」
旅人はスプーンを止めました。
「それは、おもしろい話だね」
リリは、森で見たことを全部話しました。
旅人は最後まで笑わずに聞いてくれました。
「君は、自分で見たんだね」
「うん」
「なら、その話には価値がある」
旅人はそう言って、次の町へ行きました。
旅人は、別の町でリリの話をしました。
それを聞いた商人が、さらに別の町で話しました。
商人の話を聞いた新聞屋が、記事にしました。
記事を読んだ学者たちが、目を輝かせました。
光を食べる穴。
昼も夜も光る森。
暗い村。
その噂は、どんどん広がっていきました。
やがて、大きな町から、たくさんの人がやってきました。
学者。
記者。
役人。
測量士。
カメラを持った人。
白い服を着た研究者。
村の大人たちは、森に入ることを止めようとしました。
「森にはクラヤミさまがいる」
「昔から入ってはいけないことになっている」
「どうか、森を荒らさないでください」
でも、町から来た人たちは聞きません。
「これは世界的な発見かもしれない」
「迷信に従っている場合ではない」
「調査が必要だ」
たくさんの人が、光の森へ入りました。
リリも連れていかれました。
森の奥にある穴を、みんなが見ました。
大きな黒い穴。
光を吸い込む底なしの穴。
学者たちは、機械を置きました。
数字を測りました。
光の強さを調べました。
長い棒を入れました。
石を落としました。
けれど、穴の底はわかりませんでした。
石は、いつまでたっても音を立てません。
光は、どれだけ当てても吸い込まれます。
穴の奥からは、風も音もしません。
やがて、一人の有名な学者が言いました。
「このままでは、世界中の光がこの穴に吸い込まれてしまう」
人々はざわめきました。
「世界中の光が?」
「そんなことになったら、どうなるんだ」
「夜だけの世界になるのか」
「作物は育たない」
「町も村も真っ暗になる」
学者は続けました。
「すぐに、この穴をふさぐべきです」
リリは胸がざわざわしました。
穴が光を吸っているのは、たしかです。
村が暗いのも、たぶん穴のせいです。
でも、ふさいでしまって本当にいいのでしょうか。
リリは小さな声で言いました。
「クラヤミさまは?」
学者がリリを見ました。
「なんだね、それは」
「森にいる神様。村の人はそう呼んでいるの」
「迷信だよ」
「でも」
「この穴は危険だ。危険なものは管理しなくてはいけない」
大人たちは、すぐに工事を始めました。
まず、土を運びました。
山のような土を穴へ投げ入れます。
どさっ。
どさっ。
どさっ。
けれど、穴は少しも埋まりません。
石も入れました。
木も入れました。
古い家を壊して出た瓦礫も入れました。
それでも、穴は埋まりません。
まるで、入れたものすべてが、光と一緒に消えてしまうようでした。
そこで、人々は大きなふたを作りました。
鉄と石と、たくさんの機械を使った、とても大きなふたです。
ふたの上には、何重にも鎖がつけられました。
役人が言いました。
「これで安心です」
学者が言いました。
「これで世界は救われる」
村の人たちは、遠くから見守っていました。
リリも、見ていました。
ふたが穴の上へ下ろされます。
ごごごごご。
森全体が震えました。
白い木々がざわめきました。
穴の奥から、初めて音が聞こえました。
それは声のようでした。
泣いているようにも、笑っているようにも聞こえました。
リリは耳をふさぎました。
「待って」
でも、だれも止まりません。
ふたは穴を完全におおいました。
その瞬間、光の森から光が消えました。
青白く輝いていた木々は、ただの白い木になりました。
光る草は、普通の草になりました。
空を飛んでいた小さな光の粒も、消えました。
森は、ふつうの森になりました。
そして、村に光が戻りました。
朝、太陽がのぼると、村は本当に明るくなりました。
ランプをつけなくても、食卓が見えます。
畑の野菜の色がわかります。
家の壁の傷も、服の汚れも、顔のしわも、ぜんぶ見えます。
村の人々は喜びました。
「明るい!」
「昼って、こんなにまぶしかったのか」
「もうランプはいらないね」
学者は胸を張りました。
「やはり私の言ったとおりだった」
町の新聞は、大きな見出しで記事を書きました。
光を食べる穴、ついに封印。
世界を救った偉大な発見。
暗闇の村に太陽が戻る。
リリの名前も、小さく記事に載りました。
最初に穴を見つけた少女。
みんながリリをほめました。
「よく見つけたね」
「君のおかげだ」
「村が明るくなったよ」
けれど、リリはあまりうれしくありませんでした。
森が静かすぎるからです。
前は、音がしなくても、森はどこか生きていました。
けれど今の森は、本当にただ静かでした。
リリは、ふたをされた穴のことを思いました。
あの下には、何がいるのだろう。
クラヤミさまは、本当に悪い神様だったのだろうか。
それから、しばらくのあいだ、何も起こりませんでした。
村は明るくなりました。
町も明るくなりました。
人々は夜でも電気を少ししか使わなくなりました。
空はいつも、どこか白く光っていました。
はじめは、みんな喜んでいました。
「夜道が怖くない」
「洗濯物がよく乾く」
「仕事が長くできる」
けれど、ある日、リリは気づきました。
夜が短くなっているのです。
夕方が来ても、なかなか暗くなりません。
夜中になっても、空はぼんやり白く光っています。
朝は、前よりずっと早くやってきます。
やがて、夜はほとんどなくなりました。
星が見えなくなりました。
月も、白い空の中でぼやけました。
それでも大人たちは言いました。
「明るいほうがいいじゃないか」
「暗いよりはましだ」
「夜がなくても困らない」
でも、困ることは少しずつ増えていきました。
夜に咲く花が咲かなくなりました。
夜に鳴く虫が鳴かなくなりました。
眠れない人が増えました。
夢を見られない子どもが増えました。
そして、もっと大変なことが起こりました。
色が、消え始めたのです。
最初に消えたのは、薄い色でした。
朝焼けの桃色。
若葉の黄緑。
スープに浮かぶにんじんの橙色。
次に、濃い色も薄くなりました。
赤いリンゴと青いリンゴの違いがわからなくなりました。
空と海の境目がぼやけました。
人の髪も、服も、瞳も、だんだん白く光って見えました。
絵描きは泣きました。
「何を描いても、白くなってしまう」
料理人は困りました。
「焼けているのか、生なのかわからない」
子どもたちは、友だちの顔を見分けにくくなりました。
「ねえ、あなたはだれ?」
「ぼくだよ」
「ぼくって、どのぼく?」
世界は、まっ白に近づいていきました。
明るいのに、何も見えません。
光がありすぎるせいで、形も色も影も消えていくのです。
そのときになって、ようやく人々は気づきました。
暗闇は、光の敵ではなかったのかもしれない。
暗闇があるから、星が見えた。
影があるから、形がわかった。
夜があるから、朝がうれしかった。
黒があるから、白が白だとわかった。
クラヤミさまは、光を食べていたのではありません。
光が世界を焼きつくさないように、受け止めていたのです。
「ふたを外そう」
人々は叫びました。
「あの穴を、もう一度開けなくては」
学者たちも、役人たちも、村人たちも、森へ向かいました。
けれど、森がどこにあるのかわかりません。
世界は白くなりすぎていました。
道も。
川も。
山も。
村も。
森も。
ぜんぶ白くぼやけて、見分けがつきません。
ようやく森らしき場所を見つけても、どこに穴があったのかわかりません。
木も白い。
地面も白い。
鉄のふたも白い。
鎖も白い。
大人たちは、あちこちを掘りました。
けれど、穴は見つかりません。
リリも探しました。
何日も、何日も探しました。
でも、あの黒い穴は見つかりませんでした。
あれほど大きかったのに。
あれほど怖かったのに。
あれほど、世界に必要だったのに。
白い光の中で、リリはひとり立ちつくしました。
「クラヤミさま」
リリは呼びました。
「ごめんなさい」
返事はありません。
まっ白な世界には、声さえ遠くへ行けません。
それから、どれくらいの時間がたったのでしょう。
世界は今も、まっ白です。
昼も夜もなく、朝も夕方もなく、色も影もほとんどありません。
人々は、白い光の中で暮らしています。
だれもが明るい場所にいるのに、だれも本当には見えていません。
赤いリンゴも、青いリンゴも、同じ白。
白い花も、黒い土も、同じ白。
だれかの笑顔も、泣き顔も、遠くからでは見分けられません。
それでも、ときどき子どもが生まれます。
その子どもたちは、古い話を聞きます。
昔、世界には夜があったこと。
星があったこと。
影があったこと。
色があったこと。
そして、光の森にクラヤミさまがいたこと。
子どもたちは聞きます。
「クラヤミさまは、こわい神様だったの?」
大人たちは、もう簡単には答えません。
昔の大人たちのように、「そういうものだ」とは言いません。
ただ、少し考えてから言います。
「わからない」
そして、こう続けます。
「だから、もし君が何かを不思議に思ったら、ちゃんと考えなさい」
「なぜ? と聞きなさい」
「でも、答えを急いではいけない」
「こわいものを、ただふさいではいけない」
「暗いものを、悪いものだと決めつけてはいけない」
リリは大人になりました。
もう、なぜなに少女とは呼ばれていません。
けれど今でも、リリはまっ白な世界を歩きながら探しています。
光の森を。
大きな穴を。
クラヤミさまを。
そしていつか、ほんの少しでも暗闇が戻ったなら。
そのとき世界は、もう一度、色を思い出すのかもしれません。




