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あたしはアヒル2  作者: るりまつ
8/42

すぐできるものなら何でもいいです


『タケルの背中にゲロを吐いたアヒルちゃん』



 まさかその形の良い、美しい唇から『ゲロ』という言葉と、自分の名前が出るとは思いもしなかった。


「え、あ、、なんで、、、」


 アヒルが目をしばたかせ、どうにかこうにかそれだけ言うと、背の高いその人は、顎を引いて腕を組み、小さなアヒルと視線を合わせ、その瞳をじっと覗き込んだ。

 目と目がまっすぐに向き合う。

 まるで黒く光る小石が泉の中に投げ込まれ、その波紋が体の隅々まで広がっていくような不思議な感覚……

 その人はアヒルを見つめながら、ゆっくりと近づいて来た。

 そして、右手を差し出した。


「私、花子。よろしくね」


 それから、その名の通り、花のような笑みを浮かべた。


「あ、あ、あ、あたし、アヒルです。ヨロシク……」


 差し出されたハナコという人の右手に、アヒルが不器用に触れる。

 その肉付きの良い小さな手を、ハナコは細い指でしっかり握った。

 そしてそのまま、


「さ、こっちに来て座って」


 と言って、バーカウンターの方にアヒルを促したので、二人は広いラウンジの中を少しの間、手を繋いで歩くことになった。

 たったそれだけの事だったけれど、他人の体に触れることに慣れていないアヒルは、もうみっともないくらい真っ赤になって(うつむ)いた。


「服、裏に干したからな」


 その時、不意に聞こえたタケルの声に、アヒルはハッと我に返った。

 ハナコを見た瞬間、アヒルの頭の中からはタケルさえも吹っ飛んでいた。

 タケルは、水をなみなみと汲んだポリタンクを片手に持って、バーカウンターの横の外へ通じる扉から、ラウンジの中へ再び入って来たところだった。


「もう行くの?何か食べてったら?」

「……うん」


 花子にそう言われ、サングラスを掛けたままのタケルは、大人しくカウンターの方へやって来ると、重そうなポリタンクを床に置き、アヒルと一つ間をあけて、丈の高い、脚のガタつくスツールに腰かけた。


「アヒルちゃんも何か食べるでしょ?」

「あ、はい!」


 ラウンジの中には、3人の他、誰もいない。

 会話が途切れ、微妙な空気が漂う。

 天井の四隅に据え付けられた無機質なスピーカーからは、静かな心地よい音楽が流れていた。

 海の方からは、相変わらず女の子達の笑い声が、時々くす玉のように明るく弾けるのが聞こえてくる。


 メニューらしきものは見当たらないけど、ランチタイムはもう終わってるのかな……


 ふと時間の事を思い出し、アヒルは室内を見渡した。

 するとザラザラとしたコンクリートの壁に、古い振り子時計が掛っていて、その短針が曖昧に10の辺りを指しているのが目に入った。


 10……


「えぇっ!?じゅ、10時ぃ~~い!?!?」


 突然、素っ頓狂すっとんきょうな声を上げるアヒルに、ハナコとタケルは驚いた。


「な、なんだよ!?!?」

「えっ?ていうかまだ10時なんですか!?!?」


 もうとっくに昼を過ぎた頃かと思っていたので、まだ午前中だというその時間の経過の遅さに、アヒルは心底、驚いた。


「おまえって、本当にのんきだな」 そんなことでいちいち大声出すなよ


 と、付け加えようと思ったけれど、タケルはハナコの前なので黙っていた。


「フフッ、朝早く海なんて連れてこられたら、いつもと感覚が違っちゃうわよね」


 ベツニツレテキタクテツレテキタンジャネェシ……


 アヒルの肩を持つようなことを言うハナコに、タケルは口の中で何かゴニョゴニョ言った。


「ところでタケル、店の中ではサングラス外しなさいって言ったでしょ。ナルシストか変態みたいでみっともないわよ」


 ナルシストワルカッタデスネ、ウッセーナ……


 タケルは、もっと小さくゴニョゴニョ言いながら、左手の中指でヒョイとサングラスを頭の上にあげると、ハナコの方は見もせず、ふてくされたようにそのまま肘を付いてそっぽを向いた。

 アヒルも、さっき真っ赤になった頬をまだ両手で隠しながら、タケルと同じく肘を付き、カウンターに座っていた。

 ラウンジの中は、外からの日差しだけが頼りでかなり薄暗いのに、なんでタケルがサングラスをかけていたのか。

 ここに来る直前になって、車の中でなんでサングラスをかけたのか。

 アヒルには今、分かる気がした。


「そうよ、そのほうが良いわ。イイ男がもっとよく見えるじゃない。ねぇ?」


 ハナコのからかうような口調に、タケルはわりと厚みのある唇の両端を思い切り下に曲げると、


『やってらんね』


 というように肩をすくめて立ち上がり、陽の降り注ぐデッキの方へ、ゆっくりとガニ股で歩いて行った。

 その後ろ姿にハナコが声をかける。


「何食べるのよ。なんでも言って」

「ヤキソバ」

「ヤキソバは無いわ」

「だ、、、っ!てか、なんでもっつったじゃねーか、いま!」

「あら、そうだ。ごめんなさいね」


 ハナコは無邪気に笑う。


「もぅ、なんでも良いよ、早く出掛けるんだから、すぐ出来るやつなら何でも良いよ!」


 タケルは首を振り振り、デッキの海が一番良く見えるテーブル席にドッカリ座った。

 けれどその後ろ姿は、怒っているようには見えなかった。


「で、アヒルちゃんは何食べる?なんでも言って」


 アヒルは慎重に、ハナコの非の打ちどころのない美しい顔を見た。


 今、同じ事をタケルさんに訊いたよな……?


 思わず『ヤキソバ』と、答えたい衝動にかられたけど、そこはグッとこらえ、できるだけ自然な笑顔を浮かべると、



「すぐできるものなら何でもいいです」



 と答えてみた。






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