悪いウワサ
「井田テン、これが最後の1箱だよ」
タケルは、木目の美しい東京杉の敷き詰められた床に、モンステラの葉の絵柄がプリントされたゴザを広げ、その上に正座していた。
そしてゴザの横に山積みされた、大きな段ボール箱に入っていた大量のTシャツを取り出して、一枚一枚ていねいに畳み、サイズごとに分けていた。
「ありがとう。……オマエそういう作業、ホント好きだね」
店長の井田は、縦縞模様のサイケデリックな一人掛けソファーに腰をおろし、 古い小さなコーヒーテーブルに置いたノートPCを厳しい表情で見つめながら、しかし声だけはのん気な調子でタケルに言った。
「好きっつーか、、、もう、ホナミのせいで二度手間!あいつ、雑過ぎ」
ブツブツ言いながら、タケルはTシャツをゴザに広げ、 胸にプリントされたブランドのロゴマークが綺麗に見える位置に合わせて袖を折った。
昨日は久しぶりにホナミが『Blue Garden』にやってきた。
来月から始まるショップのサマーセールのために、大量の衣類やサーフギア、 輸入雑貨などが納品されたので、その手伝いを店長の井田から頼まれ、 わざわざ千葉の丸川という海沿いの比較的規模の大きな町から 、電車に乗って吉祥寺にやってきたのだ。
しかしホナミが店に到着したのは閉店間際の夜で、 その頃にはもう井田とタケルが検品は全て済ませ、 衣類はキレイに畳まれ、段ボール箱にしまわれていた。
そして今日は、また夕方のこのこ現れたかと思うと、 きちんと蓋を閉じてあった箱を片っ端から開けて、 中の衣類を引っ張り出し、これが良いだのあれが良いだの品定めを始めた。
それからハナコから頼まれていた、シークレットガーデンの方で販売する分と、自分が気に入った可愛い服だけを選び出して、違う箱に詰め替えると、後はもうグチャグチャのまま段ボールの蓋を閉じてしまい、 そしてそのまま井の頭公園の中へブラブラと消えて行った。
「わざわざ遠くから呼ぶことなかったのにさ。 どうせ仕事にかこつけて、井田テンがホナミに会いたかっただけなんだ」
「ははは。さ、もう、テキトーで良いよ」
「オレはこういうのは、テキトーにできない」
井田はPCから目を離すと、 乳白色の耐熱ガラス製のビンテージマグカップに入ったコーヒーを一口すすった。
そしてタケルが、チリチリの髪を後ろにひっ詰めて、 口をとがらせながら正座で神妙に作業をする姿を見て、 可笑しくて噴き出しそうになった。
「テキトーにしないのはありがたいんだけど、そうやって打ち首にあう罪人みたいに、 ゴザに正座しないと畳めないってのは何とかならないのか? いいかげんもう何年もやってんだから、ちゃんと立って畳めるようになってくれ」
「別にいいじゃん、ヒマなんだし。それにたくさん畳むときは、このほうが落ち着いてキレイにできる」
「はいはい、わかったよ。なんでも良いから、早くね」
たまに、そんな子供のような頑固さを見せるタケルだったが、 井田はそれを微笑ましく眺めた。
この店のオープン当初の、胃がちぎれそうな毎日に比べたら、こいつらと過ごすようになってからの数年はウソみたいに平和だ……
しかしそう言いながら、ふいに重い溜息が洩れ、 眉間に深い縦皺を寄せた。
それを、細く長い人差し指で数回なぞると、朝から不快なメールのやり取りが続いているノートPCをパタンッ、と閉じた。
……これが本当だとすると、ちとマズイよな……
井田は、座り心地の良いソファーのなだらかな背もたれに沿って、 気分を変えるように大きく伸びをした。
両肩から、関節のほぐれるゴリゴリという音がする。
そして今度はゆっくりと立ち上がると、店の開け放された格子戸の前に立ち、夜の空気を深く吸った。
木々に覆われた暗闇の中で、野外灯の白い明かりを受けた池が、ひっそりと光っている。
店と公園の池に挟まれた細い小道を、犬の散歩やジョギングをする人達が足早に通り過ぎる。
それをしばらくぼんやりと眺めた後、井田は決心したようにタケルのいる方を向いて質問した。
「タケル。オマエ最近、ホナミと海入った?」
「入ってない」
タケルはTシャツを畳む手を休めず、下を向いたまま短く答えた。
「こないだハナコさんとこ行った時は、一緒には入らなかったのか?」
「うん。合コンのゴタゴタが無ければ、トナリで合流できたかもしれないけど。 でも、、、あいつ、オレと一緒だと邪魔ばっかしてウザいから入りたくねぇ」
「そ、そうなのか?」
井田は片腕を組んで、しばらくアゴの裏に一本だけ剃り残していた、3ミリ程のヒゲを何度もつまみながら思いを巡らし、そしてまた質問した。
「あの日、カガミハマのローカルにさ、あいつの事、何か言われた?」
タケルは、手を止め、不思議そうに井田の顔を見上げた。
「ホナミの事?ササラ君達に??……なんも別に。なんで??」
「……じゃあ、今のところ、トナリとマルカワだけなのかな」
井田は独り言のようにつぶやき、大きなため息をついた。
タケルはじっと黙って、井田が話し始めるのを待った。
「一昨日……社長の仲良い、オトナリハマのローカルから、社長宛に電話があったんだって。ホナミの態度が、最近マズいんじゃないかって……。
あの日、あいつトナリで、ショートの若い奴に前乗りされて……まぁ、それはそいつが悪いんだけど……そしたらホナミがそいつを思い切り怒鳴りつけたらしくて、 その後、お互いしつこく前乗りの返しあいみたいになって、すごい険悪な雰囲気だったんだと。
見かねて、その人がいい加減にしろって、注意したらしいんだけど、 せっかく波、良かったのに、周りのサーファー達、みんなドン引きだったってさ。
……マルカワでも、あいつちょこちょこトラブル起こしてるみたいで、 女だからってこのままじゃ済まないんじゃないかって、、、忠告と言うか、警告と言うか……」
井田はそこまで一気に話すと、再び眉根を寄せて目を閉じた。
それを聞いたタケルは、驚いて目を丸くした。
「あいつ、こないだはそんなこと全然言ってなかったけど……。人違いとか、ウワサに尾ヒレがついてとかじゃなくて? あそこの人達、割と寛大じゃん。ビジターあしらいもイヤミないし」
「ブルーガーデンのステッカー貼ったボディボードの、パツ金オトコ女なんて、ホナミしかいないだろう。 その寛大なローカルが、わざわざ忠告してくるって事は、 ホナミがよっぽどヤバいってことだよな……」
タケルはホナミに代わって、まさに打ち首寸前のように 頭を垂れ、両膝に拳をついて呟いた。
「あのやろう、、、嫌がらせしてくるのはオレにだけかと思ったらローカルにまで……バカか?」
井田は難しい顔をして、摘んだヒゲを一気に引き抜いた。
「そのうち犯してやる!とか言われてるらしい。俺はそれが心配だ……」
いや、そりゃ心配ないべ。
と、タケルは即答しかけてやめた。
ホナミみたいな特殊な女とやれるのは井田テンくらいなもんだろ。
と、タケルは思う。でも、それも言わない。
そのかわり、井田にとっては耳が痛いかもしれないことを敢えて言った。
「マルカワに引っ越してまだ1年くらいしか経ってないクセに、ローカルづらしてんじゃないの? あいつ、ちょっとそういうトコわかってねぇ感じあるから……。空気読めないっつーか。 ちゃんと井田テンがしっかり教えてやんなきゃ、、、あ、そうか。それでこっちに呼び出したの?」
「そう。社長もちょっと気にしてて……。大会も最近ぜんぜん成績悪いし、おまけに態度が悪いんじゃ、いろいろ考え直さないといけないかも、って。 ボクが何とか話してみます、とは言ったんだけど……本人がどう思ってんのか」
「マズイじゃん、それ!どうすんの?んで、話しできたの??」
井田は黙って首を横に振った。
「……てか、肝心のあいつはフラフラどこ行った??」
「なんか女の子来るんだろ、今日。お前にゲロ吐いた。その子を駅に迎えに行ったんじゃないか?」
「えぇっ!?そうだったっけ!?!?忘れてた!!」
……こいつ、本当に女に関しては物忘れが早いというか、更新が早いというか……
なんて都合のいい頭の回路なんだろう……
井田は密かに感心した。
しかし今さら何も言わない。
そのかわり、腕時計を見た。
潮見表付きの青いデジタル時計は、もうすぐ9時になることを示していた。
それを見て、思わず深いため息が出た。
今日こそ久しぶりに、ホナミと二人でゆっくり部屋で過ごせると思ったのに……
井田は思わず、タケルに愚痴った。
「最近、俺はホナミに避けられているようで、まともに話をしていない。 あいつは電話にも出ないし、メールしても返信もない。 昨日もしらばっくれて、こっち来ない気かと思ってたらひょっこり現れたけど、 ちょっとその話をしようとしたら、どうやら感づいてるらしくて『それは後で』 とか言って誤魔化され、結局帰りも逃げられた。今日も恐らく、その子をダシに使って逃げるだろう。 そして明日には帰るだろう」
井田の愚痴は、波情報の『概況』のように淡々と語られた。
「なんなのそれ、終わってんじゃん」
「俺もそんな気がする。ここ3ヶ月くらい全く避けられてる」
「なんで?」
「俺が知りたい。マルカワに男でもできたのかな……」
いや、そりゃねーべ。
「超ローカルか、プロサーファーかなんかとデキちゃって、気が大きくなってるんだろうか……」
「あ〜それはありがちなパターンだけど……でもあいつとデキるヤツなんていないべ、あはは…ハぅっ!」
と、心の中で呟いたつもりが、うっかり口に出てしまい、タケルは慌てて両手で口を塞いだが、もう手遅れだった。
それを聞いた井田は、憤慨した。
「オマエ、、、ホナミを馬鹿にしたな!?そりゃフランス人形のような美しいハナコさんに比べたら、あいつは黒いバービー人形かもしれないけど、それはそれでカワイイとこもあるんだぞ!!」
「バービー人形?!オレには壊れたブリキのおもちゃに見え、、、ハぁっ!また言っちゃった!!あはは!!!」
「タケル、てめぇぇぇぇぇ〜〜〜!!!!そのクビ、切り落としてやるっ!!」
井田はゴザの上でタケルにヘッドロックをかけると、そのままフォールの体勢に持ち込んだ。
「あぁ〜〜〜!!許して下さい、腰腹店長!あはははは!!」
「うぐっ!…コ、コシハラ…くそぉぉお〜オマエだってなぁ、秘かに仮性ライダーって呼ばれてんだぞ!?」
「何ソレ、意味不明!てか、仮性!?オレ、アタマ出てますから、し〜っかりとアタマオーバー!つ〜ね〜に!! 」
「だったら大会にも出てしっかり闘え!このコシ抜けライダー!!女ばっか乗ってないで波に乗れ、波に!! 」
「あ、それ言ったね?言っちゃったね!?井田テンこそ、胸肩〜頭くらい軽く乗りこなせるようになれよ!!」
だぁぁぁ〜〜〜〜〜〜〜もぉぉぉぉぉぉ!!!
わっ、Tシャツが、オレの畳んだTシャツがぁぁぁぁっ!!
「……あれは、何やってんでしょうか?」
「……ヒマなんだろ?」
大きなショーウィンドーから丸見えの、 明るい小洒落た店内で繰り広げられる二人の黒い男のじゃれ合いに、アヒルとホナミは暫く首を捻っていた。




